September 07, 2008

英語を自由に使ってみる機会が本当に大切!

直前のブログ記事「幼児・小学生が英会話(英語)を学ぶ最大の意義」で、幼児・小学生までは恥ずかしいという観念が中学生以上の大人よりもかなり希薄であり、文法的に間違っていようが発音が少しぐらいおかしくとも、元気よく大きな声で英語でのコミュニケーションができると書いた。更に続けて、こんなオーラルでのコミュニケーション能力に長けた年齢層には、単語を詰め込んだり細々とした英文法や発音の規則を教え込んだりすることは時間の無駄であり逆効果、もっと伸び伸びと覚えた英語表現を使って実際に外国人と英語でのコミュニケーションをしてみる時間をできるだけ与えてあげることが大切だと書いた。私はこのことを裏付ける実体験をこの夏に経験した。

生徒3人に1人外国人講師を付けて東京近郊の様々な場所を訪れて体験しながら英会話を伸ばす英会話実践体験プログラム(サマースクール)を実施した。そこで気づいたことをまとめてみたい。小学生と中学生が参加したが、年齢および学年によってコミュニケーションスタイルに大きな違いがあることに改めて気づいた。次の通りである。

小学生低学年(6歳~10歳未満)の子供たちはコミュニケーションがかなりオープンである。初めて会った外国人講師にも物おじせず、臆さずに日本語で平気で話しかける。英語しか話さないと知ると自分の知っている英単語を駆使してなんとかコミュニケーションを取ろうと試みる。単語の並びや発音が間違っていても、極端な場合、めちゃくちゃであったとしても一向に気にかけない。一度言って通じなければ何回も言い方を変えて試行錯誤しながら身振り手振りでなんとか自分の意図を表現しようと試みる。母国語の習得過程も同じなのだろうと思考を巡らせた。無垢で屈託がなく、異文化の人に対するコミュニケーションの壁がほとんど無い。良い意味、英語で外国人とコミュニケーションする上で、心理的なフィルターをほとんど気にしないのである。

日本人が英会話を習得できない大きな理由として正確さを求めるあまりエラーが気になって思うように英語を口にできないと別なブログ記事で書いたが、このことは小学校高学年、つまり10歳以上で少しずつ顕在化し、中学生以上になると顕著になるようである。その証拠に、このサマースクールでも中学生の方が小学生よりも英語力(語彙や文法知識)があるにもかかわらず、最初は小学生ほど外国人講師と積極的に英語を話そうとしなかった。逆に文法的知識がなまじあるので自分の発話した英文が正しいのかどうかが気になるようであった。勿論、日本人に特徴的な国民性、人前で間違うことが恥ずかしいという恥の文化の悪い面が英語を発話する時に顔を出す。しかしこのプログラムを担当した外国人講師に生徒の英語エラーに対して兎に角、寛容であるように注意を促しておいたので、学校の英語の先生のように生徒のエラーを直したりしなかった。これが功を奏して中学生でも多少文法的におかしい、または間違っていたとしても相手に自分の意図が伝われば十分にコミュニケーションが成立することを認識できたようだ、途端に格段と英語を自由に話そうと試みるようになった。このことに気づくためにはやはり実践の場で外国人と自由に話せる機会、英語コミュニケーションできる場の提供は絶対に必要だ。

学校の教室に外国人の先生が来れば問題が解決するのではなく、1対1または多くとも1対3で会話できる場の提供、機会は不可欠である。また普段さんざん正確さを求められる日本の教室で、エラーは気にしなくとも良い、間違いを気にしないで自由に話しなさいと言われてもできる訳がない。もっと自由な空間で自由に英語を話せる機会が学校以外に存在しなければいけないだろう。サマースクール(1日6時間×5日間集中)に参加した子供達のほとんど全員が外国人との英語でのコミュニケーションが余程楽しかったようで、また参加したいとの声をお母様方からも多数頂いた。

「英語を外国人とのコミュニケーションで使うことを前提に学習する。」このことは英語学習者にとって、とても大切な前提だと思う。教室でたくさん英単語を学習したり、ダイアログを覚えたり、発音や発話練習をしたとしても、外国人と英語を話す機会がなければ、生徒の英語学習へのモチベーションは下がって当然だろう。「覚えた英語表現を今度外国人と話すときに絶対使ってやる」という気持ちで学習するのとは雲泥の差が出てくる。レッスンで覚えた表現や構文を実際の会話で使ってみることによって、レッスンに更に身が入るようになる。実際の会話で上手く話せなければもっとじょうずに話せるようになりたいと思う。少し話せるようになったら、もっともっと上手くなりたいと思う。そんな良い循環が、生徒のやる気、モチベーションアップに繋がるはずだ。

先日、10数年ぶりに大学時代の旧友に会う機会があった。同じ大学のESS(英語部)で英会話を夢中になって学習した仲間だ。大学卒業後、商社に勤務して海外駐在や海外出張で外国人と英語で様々なビジネスコミュニケーションを25年以上経験している。彼曰く、実際のビジネス場面での交渉や取引において、英語の正確さは二の次であり、文法や語彙の使い方が多少間違っていても十分に相手に自分の意図は通じるし、そんなことを気にしていたら相手との交渉なんてとてもできないそうだ。勿論、英語圏のビジネスパーソンは別だが、英語を母語としない国の人たち(アジア圏やヨーロッパ圏)の英語は、(言葉は悪いが)かなりいい加減で、文法・語彙・発音などのエラーが頻発するらしい。それでも相手に自分の意図が正確に伝わればビジネス取引が成約し、特に業務上支障を来たすことはまずないとのことだ。

何度も書いているが、もうそろそろ日本人は外国人との英会話において、英語の正確さを追求することから卒業しなければならない。正確さよりも流暢さ、正確な発話よりも内容のある発話、文法的に正確な英語ではなく相手にとってわかりやすく誤解されない英語などを目指すべきである。この意識改革を推進するためにも、中学校前から英会話を学習し、外国人と触れ合い、自由に英語を使ってみる機会が本当に大切であり、貴重である。
子供達に外国人と自由に英語でコミュニケーションできる場をできるだけ提供することを今後ともやっていきたい。

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June 01, 2008

幼児・小学生が英会話(英語)を学ぶ最大の意義とは?

日本人の英会話が上達しないのは、自分が発話する英語の文法や発音エラーに寛容になれないからだと前のブログ記事で書いた。
では、どうすれば寛容になれるのか?
方法論について、このブログに書いてみたい。
結論から先に書くと幼児・子供の内から外国人と英語でコミュニケーションできる場を持つことがとても大切である。
何故、幼児や小学生なのか?
中学生以上になると自分の発話エラーや発音の間違いに寛容ではいられないからである。
これは高校生、大学生、成人になるに従って強くなり、60歳の還暦を迎えるまで続くと私は考えている。

中学生以上の日本人は、人前で何か間違いを起こすことがとても恥ずかしい。ご存じのように日本人は恥の文化を持っている。日本人にとって英語を話していて間違いをすることは恥ずかしいことなのである。自分の文法的なエラーや自分の拙い英語の発音が恥ずかしいのだ。こうなると「間違いに寛容になりなさい」と言われても、土台無理な注文である。
だからこそ、幼児・小学生時代に間違いを恐れない英語のコミュニケーション能力を養成する必要があるのである。これは我ながらまったく理にかなっていると思う。

幼児・小学生までは恥ずかしいという観念が中学生以上の大人よりもかなり希薄である。
だから、人中で大きな声で歌ったり、話したり、はしゃいだりすることが平気なのだ。
とにかく天真爛漫で元気である。文法的に間違っていようが発音が少しぐらいおかしくとも、元気よく大きな声で英語でコミュニケーションが取れる。

よく言われることだが幼児・子供が英語圏で1~2年過ごすと英会話はかなり上達する。大人も目を見張るほど子供の英語運用能力は伸びる。勿論、脳が柔軟であることや英語を聞き取る聴覚能力(耳の機能)や英語を発話する発声能力(口の機能)という身体機能的な柔軟さはもちろん遥か大人の上を行く。プラスアルファーとして私は子供のエラーを恐れない天真爛漫なコミュニケーション姿勢に注目したい。別なブログ記事で書いたが英単語を短時間でたくさん覚えたり英文法の規則を体系的に学んで理解、自分の知識としたりすることにおいて、大人は子供に勝っていると思う。しかし大人は知識として習得したその英語能力を実際の運用場面で恥ずかしがって積極的に使わないので英語のコミュニケーション能力が伸びないのである。子供は大人の逆で、実際の英語でのコミュニケーションで自分の知っている英語表現を積極的に使いながらその運用力を伸ばし、使いながら同時に語法・文法・発音の正確さの精度も高めて行ける。簡単に書くと、Trial & Errorである。
子供は試行錯誤しながら英語のコミュニケーション能力を身につけることができるのである。故に英語圏での生活で子供の方が早く英語の運用力を高めることができるというのが私の考えだ。

日本国内で英語を学ぶ場合、知識としての英語習得は中学生に入ってから大学卒業までに受ける10年間の学校英語教育で十分である。かなりの語彙力と英文法力、ある程度の難易度の英字新聞や小説、英語の雑誌などは辞書を引きながら読みこなせるであろう。語彙・文法的な知識・読解力については大丈夫だ。そこそこの大学を卒業するまで英語が平均点以上であれば全く問題ない。しかしそれでも英語でコミュニケーションができない。そこが問題なのだ。このことは、かれこれ20年以上叫ばれてきたことであり、もう聞き飽きているだろう。文部科学省も文部省だった頃から英語のコミュニケーション力の育成ということで中学1年と2年生の英語教科書にダイアログ(対話文)を大幅に取り入れたり視聴覚機器(LL)などを取り入れたり、高校の英語の授業でオーラルコミュニケーションを科目として設けたり、大学のセンター試験で英語のリスニング試験を導入したりと、それなりのことをやってきたが一向に英語でコミュニケーションできる日本人が育ってこない。東大生がどのくらい英語でコミュニケーションできるか見てみればすぐにわかる。何故か?答えは簡単、学校の英語の授業で学んだことを使ってみる実践会話の場が絶対量少ないからである。

JETプログラムを代表とする外国人アシスタント制度、通称ALT: Assistant Language Teachersが何千人も日本の学校にいるではないかと言う人がいるかも知れない。30人40人の生徒を前にしてALTが週に1回位50分来て、一人の生徒がその先生と英語でコミュニケーションできる時間が満足にあるのであろうか?おそらく一人1分程度、100歩譲っても2分だろう。年間48時間入ったとしても48分から多くて90分程度である。これでは話にならない。

EUの人々と米国人の外国語運用能力には雲泥の差がある。もちろん世界標準語としての英語で外国人とコミュニケーションが取れるわけだから米国人には外国語をマスターしようという必要性も少ないと思うが、学校で学んでも実践で使う場がないから米国人にも外国語の運用力が身に付かないと思われる。これも外国語の知識はあるが使う場がないので外国語によるコミュニケーション力が伸びない明らかな例の一つである。

コミュニケーションとしての英会話を学び始めるのは、はっきり言って中学生では遅すぎる。厳密に書くと中学1年生まではギリギリセーフだが、幼児・小学生のうちに外国人と如何に多く英語でのコミュニケーションの場を持てるか?
これがその人の後々の英語でのコミュニケーション能力に大きく物を言うのである。

間違いを恐れず、自分の英語の発音エラーも気に掛けずに元気に大きな声で英語のコミュニケーションに取り組む。幼児・小学生は絶好の年齢である。こんなオーラルでのコミュニケーション能力に長けた年齢層に単語をたくさん覚えることを強要したり、細々とした英文法の規則を知識として詰め込んだり、フォニックスという聞こえの良い外国語指導方法の下で細々とした発音規則を教え込むことは、時間の無駄であり、逆効果であろう。もっと伸び伸びと覚えた英語表現を使って実際に外国人と英語でのコミュニケーションをしてみる時間をできるだけ与えてあげたい。

まとめると、
年齢に応じて英会話(英語)学習に適切な指導内容がある。
乳幼児期:英語の音のリスニング導入が大切。文字はまだまだ早い。文字を入れることは音の習得に逆効果だ。
幼児期:片言でも英語でコミュニケーションする体験を持たせる。英語の音のリスニング&発音が大切。まだ文字の導入は早い。
小学生:更にリスニング強化。発音・リズム・イントネーションの習得。知っている英語表現を使って外国人と英語でコミュニケーションできる場をできるだけ提供することが最も大切である。中学校に入るまでは英語の音の習得に集中した方が、中学に入ってからの文字の学習にもスムーズに入れると思う。

結論
幼児・小学生での英語教育では、音声重視にすべきだ。英語でのオーラルコミュニケーション能力(リスニング力とスピーキング力)に磨きをかけるべきであろう。

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