November 18, 2009

瞬間英作で英語はもっと楽に話せるようになります!

人は「おぎゃあ!」と生まれたときから母国語(母語)を学び始めます。先ずはひたすら母語を聞きます。母親や父親の言葉に耳を傾けひたすらその音を聞きます(ヒアリング期間)。その内聞いている言葉には意味があることを知り、それを聴き取って理解しようとします(リスニング期間)。意味が理解できると面白くなり母親や父親が自分に何を言っているのか必死に理解しようとして理解出来た時にはとても嬉しくてそれに反応するようになります。最初は笑ったり手や体を動かしたりして反応します。

その内言葉で反応するようになり、母親や父親が言った言葉を真似して口に出すようになります。最初は聞き取れた音のみを口に出しますが弱い音素は無視して強い音、言いやすい音のみを発します。(例えばママ、パパ、マンマ、ワンワン、ブーブーなどという具合です。)そしてトライアンドエラーを繰り返しながら両親の言葉に近い母語が徐々に話せるようになります。最初は母親や父親が使う言葉や表現をそのまま真似ます。

私の娘が確か3才位の時に、「パパこっちおいで」と私に言ったことを今でも覚えています。普段私が娘に「有彩、こっちおいで」と呼んでいたからそれを真似してそう言ったのですね。周りの人が使う表現を最初は真似してそのまま使っていても、それだけでは満足出来ずに、いろいろと応用して自分の思っていることを表現するようになります。娘もその内「パパこっちにきて」とちゃんと言えるようになりました。息子が6才で小学校に上がる前に「ぞうさん」と言えずに「じょうさん」「じょうさん」、「じどうしゃ」と言えずに「じじょうしゃ」「じじょうしゃ」と言っていたので妻と一緒に慌てて息子が正確に発音できない言葉の矯正をしたことも覚えています。特に小学校の先生からの指摘がなかったので小学校では問題なく正確に日本語を発音出来るようになったようです。

その後、成長した子供達は話す相手や場面や状況に応じて相応しい表現を身につけ、両親や家族だけではなく接するすべての人と言葉でコミュニケーションしながら母語で会話ができるようになります。母語の習得でさえこれだけの年数を費やして、たくさんの母語を「聞いて」「真似して言って」「応用して話して」ようやく身につくのです。外国語の会話習得(外国語が話せるようになる)にも同じように年数が必要なはずです。

学校英語だけでは、語彙・文法を学んで英語はある程度読解出来るようになりますが、英語は話せるようにはなりません。何故ならば、学校はたくさんの英語を「聞いて」「真似して言って」「応用して話して」という訓練を生徒に本気になって提供していないからです。

「英語を聞き流すだけで話せるようになる。」「英語が聞き取れるようになれば話せるようになる。」ということはあり得ません。上記母語の習得でさえ、聞くだけでは話せるようにはなりません。母語で出来ないことが外国語で出来るわけがありません。

それでは英語をたくさん聴いて口に出せば英会話はできるようになるのでしょうか?「音読」「リピーティング」という英語を口に出す学習方法がありますが、ある程度決まり文句的な表現は言えるようになるでしょうが、まだまだ不十分です。上記の「聞いて」「真似して言ってみる」止まりだからです。
そこから先、どうやって「応用して話す」訓練ができるのでしょうか?
英会話スクールに通ったり、外国人のプライベート教師に習ったり、いっそ英語圏に留学して何年か学習すれば英語は話せるようになります。

それでは、時間的にも経済的にもそれが出来ない人は英会話習得をもう諦めるより他ないのでしょうか?
いいえ、諦める必要はありません。私が代表を務める(株)エース外語が開発した特製CD(日本語→英語という順番で録音)を使って様々な日本語を瞬時に英語にして口に出す訓練を行えば、「応用して話す」という訓練がセルフスタディ(一人で学習)出来ます。

私は今年丁度50才になります。英会話はもうかれこれ30年以上も学習(近年はもうほとんど学習らしいことはしていませんが、仕事で外国人講師の採用をしたり打合せをしたりして英語を書いたり読んだり話したり)しています。自分では日英のバイリンガルの域に達したと思っています。私の会社で中国語教育ビジネスを開始することになり、同時に私は中国語の学習を始めました。いわゆる50の手習いですね。

そこで中国語をセルフスタディできる方法をいろいろと試している内にCDを使った「瞬間中国語作文メソッド」(覚えた中国語の構文パターンを応用して日本文から中国語を瞬時に作って言ってみる方法)に巡り会いました。中国語は「ニーハオ」や「シェイシェイ」しか知らない、それこそゼロからのスタートでした。自分でも驚いているのですが、それでも6ヶ月ほどの学習で中国語の基本的な会話が出来るようになったのです。まだまだ自由に話せるという域にはほど遠いのですが、ベーシックな中国語会話は出来るようになりました。それこそ「ひょうたんから駒」のように身をもって「瞬間外国語昨文メソッド」の絶大な効果を知ったのです。

私は自称、英会話教育のプロですから、これを応用してなんとか英会話がもっと楽に話せる英語スピーキングCDが作れないか研究して、ついに「瞬間英作で英会話マスター!スピーキング講座 E-Speaking」を完成しました。この特製CDコースで一人でも多くの方に、英語をもっと楽に話せるようになって頂き、私が中国語学習で経験した驚きと感動を感じて頂きたく切に願っております。

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February 25, 2008

英語の正確さに寛容になれれば英語はもっと楽に話せる!

英語の正確さにいかに寛容になれるか?
これこそ、日本人が英語を話せる国民になれるかどうかの鍵を握っているように最近強く感じています。「日本人の英語は文法的に正確だが堅苦しい、文法的な正確さを求めるあまり流暢さに欠ける、やたらとポーズが多くて話していると疲れる。言葉に一旦詰まると長いポーズがあり、場合によっては会話を続けることができなくなる。」これはすべて、自分の英語による発話の正確さを求めるがゆえに起こる流暢さの障害です。

日本の中学・高校と英語で平均以上の成績を残した卒業生は十分に、日常会話には不自由しない文法力、語彙力、構文力は持ち合わせています。しかし英会話(英語によるコミュニケーション)は苦手で話せない。何故でしょうか?「ある程度文法的な知識や発音の知識、語彙力があったとしても、その知識を実際の会話に生かすことができていない、または生かしきれていない。」からです。英語の正確さを求めるあまり、「英語を口に出すことが怖い。間違った英語は話せない。」という脅迫観念、つまり自分の英語の発話エラーに寛容になれないのです。これでは英会話を楽しむことはできません。

日本人は正確さに拘りすぎる為に英会話が上達しません。

世界中の人に聞いたら、
フィリピーノは英語のできる国民
日本人はまったく英語の出来ない国民
として認知されています。

皮肉なことにフィリピーノの英語は文法的な正確さには欠けます。I’m looking forward to meet you. とか、I don’t know, too.など大卒の人が平気で言ったり書いたりしています。
(正確には、I’m looking forward to meeting you. I don’t know, either.)
フィリピーノの全員が間違った英語を話したり書いたりしている訳ではありませんが、上記のような細かい文法的なエラーはかなり耳にしたり目にします。私の印象として、フィリピーノは細かい文法的なエラーには無頓着かあまり気にしない人が多いようです。細かい文法的なエラーは目立ちますが英語でのコミュニケーションにはほとんど支障はありません。皆さん会話はとても流暢です。英語圏のネイティブスピーカーにまったく引けを取らない流暢さで堂々と英語を話しています。フィリピーノは英文法の細かいエラーに対してはとても寛容なのですね。

文法的な正確さを更に求めることにより日本人は英語が話せる国民になれるのでしょうか?

私は、答えはまったく逆だと思っています。いかに正確な文法や発音から脱却して多少の文法的・発音的なエラーに寛容になれるか、そこにこそ日本人が英語の話せる国民になれるかどうかの鍵が隠されているような気がします。

発音についても同じです。
米国人イギリス人でも、地方出身者だと極端なアクセントが気になることがあります。ネイティブでもアナウンサーのような英語を話せる人がどれほどいるのでしょうか?
日本人は当然、自分が気づいていない日本語のアクセントで英語を話しています。発音の正確さが気になると自分の発音に自信が持てなくなり、大きな声も出ません。いつも引け目を感じながら英語を話してしまいます。いくら文法的に正確な英文が作れても、声が小さかったり、自信なく発話しているのでは、決して自分の意思は相手に伝わりません。発音についてもいかに日本人としての英語の発音に自信が持てるか=寛容になれるかが上達の秘訣でしょう。

たいへん失礼ですが、インド人の英語を聴いたことがありますか?
インド人もフィリピーノ同様、英語でコミュニケーションができる国民として世界中の人達が認めています。しかし発音は世界標準から、かなり程遠いと感じている人は私だけではないはずです。しかしインド人は皆、「自分たちは正統なイギリス英語を話している」と胸を張って、堂々と英語を話しています。

英語の発音に関しても私たち日本人はもっともっと寛容であって良いと思います。

最近次のような相談を中学生のあるお母さんから頂きました。

「小学校5,6年生でネイティブのイギリス人に週一度1年以上教えてもらいました。しかしその先生は文法エラーや発音エラーについてとても厳しく、態度が冷たく感じられ、子供はすっかり英語嫌いになってしまいました。その後色々なネイティブの先生を試しましたが、本人がおとなしくあまりしゃべらないため、意味がわからなくてもそれが伝えられず、先生がやる気をなくしたり、苛立ったり、そしてそれが本人に伝わりと、すべて失敗しました。4歳まで海外にいたので小さいころは英語ができましたがすぐにすべて忘れてしまいました。以来英語に対してコンプレックスがあります。英語ができない、習っても先生と意思疎通もうまくいかないと、いやな経験が続き、英語嫌いになっています。」

とても残念なことに最初のイギリス人の先生が正確さにあまりにも拘り過ぎた為にお子さんは英語を話すことの楽しさをすっかり奪われてしまい、英語を話そうとする意欲がなくなってしまったようです。

また生徒が大人だとしても入門者、初級者に対して正確さを求めることは効果的な外国語習得の足枷となります。如何に間違いに対して寛容になれるか?細部に渡って正確さを求めることは準中級レベル以上になってからで十分です。

教える側からすれば、入門者・初級者に対しては発音・文法・語法のエラーに対して大いに寛容になるべきです。実際のコミュニケーションにおいて誤解が発生しない限り、または支障がない限り、細かいエラーに対しては目を瞑るべきです。そして生徒の上達に応じて大まかなエラー矯正から少しずつ細かいエラーにも気を配って訂正してゆくべきです。

学校での英語教育の最大の弱点はテストで評価せざるを得ないのでどうしても正確さ、正しさを求めてしまうことにあります。民間の英会話スクールや英会話講師は心がけて生徒の正確さについては寛容になるべきでしょう。正確さに対する講師の姿勢は直ぐに生徒に伝染します。細かいところまで直されると細かいエラーに生徒は敏感になり、流暢さや意味を相手に伝達するというコミュニケーションの第一目的よりも、言語使用の正確さという二次的な目的が主眼となりそこから脱却できなくなります。

正確さに寛容になること!
英語・英会話学習入門者・初級者が求めるべき方向性がそこにあると私は確信しています。
正確さを求めるよりも英語を話すことが楽しい、相手に自分の意図した意味が通じるという喜びや嬉しさは外国語を学ぶ者にとってはかけがえのないものです。そんな楽しさを是非、子供達や英会話入門・初級者の人々には感じて頂きたいと思っています。正確さというよりも英会話の流暢さを指導者は求めましょう。

発音及び文法的な正確さをどの程度求めるか?またはどこまで容認するかは生徒の英語レベルに依存します。

日本人が英語を学習し始めて話す英語は当然ネイティブが話す英語とは異なります。
「母語(日本語)」の影響をかなり受けた英語であるはずです。ネイティブが自然に話す英語を「目標言語」とするとその英語とはかけ離れていて当然です。
Dr. Selinker(ロンドン大学教授・言語学博士)は、母語とも目標言語とも異なる別の言語体系で、2つの言語の中間段階、すなわち学習者の母語から目標言語へ移り行く段階の言語能力を中間言語(interlanguage)と呼びました。(1972年)
入門者がいきなりネイティブと同じ英語を話せるわけもないし、話せることを目標にすることはナンセンスです。何年間も英語を学習することにより日本語に近かった英語の発話(中間言語)が徐々にネイティブの英語の発話に近づいていくのです。

最近の研究成果によると、母語と目標言語の「距離」は各言語によって大きく異なります。文法や発音など母語と共通点がある外国語ほど当然学習し易いのです。日本人にとって一番学びやすい外国語は韓国語と言われています(難易度1:韓国語の他インドネシア語やマレーシア語など)。しかし同じ「語族」ではない英語との「距離」は遠く、難易度は3です。(難易度3:英語の他フランス語やドイツ語。因みに難易度2の外国語は中国語やベトナム語。難易度4の外国語はロシア語やアラビア語。)Newsweek 1002号(2006年)

ヨーロッパ人でバイリンガルやマルチリンガルの人は珍しくありませんが、同じ語族の外国語(英語・ドイツ語・オランダ語は同じゲルマン語派)は難易度1です。ゆえに、オランダ人が英語を習得することは比較的容易だが、日本人が英語を習得することは非常に難しいと言えます。英語と日本語は語順から音韻的な特徴まで、あらゆる点でかけ離れているからです。日本語という母語と英語という外国語の「距離」はそれほど遠いということです。

中間言語に話を戻すと、英語学習入門・初級者が話す英語は日本語に近く英語に遠いわけですから、ネイティブの発音や語順と大きく異なってもそれはすごく当たり前なのです。
この観点からも、英語学習入門・初級者が話す英語に対して教師は大きく寛容であるべきなのです。例えば、ネイティブの子供達でも完全にマスターするまでに時間のかかる「三人称単数現在のs」や[l]と[r]の発音エラーに対して早急に正確さを求めるべきではありません。

子供や大人の入門者・初級者を教える講師は生徒の英語レベルよりも高い英語の聴き取りと発話を生徒に求めてはいけません。聴き取り(リスニング)については入門者・初級者でも十分に聴き取れるスピードと発音で英語を話してあげなければいけません。語彙・構文についても初級者までが十分に理解でき近い将来使いこなせる比較的容易なものを多用する講師の発話が理想的です。自分の現在のレベルよりも少し上を行く講師の発話・英語を目標にすることにより、より一層効果的な学習が可能となるのです。

また、スピーキングで生徒のレベルよりも高い発音・構文・文法的な正確さを生徒の発話に要求してはいけません。あくまでも生徒の発話は日本語に近い英語レベルであると再認識すべきです。ネイティブの発音及び発話を目標にするには早すぎます。正確さを求めるよりも、正確さは劣るが意味がある程度通じれば良しとする発話を目指し、英語の流暢さ・英語によるコミュニケーションの楽しさを目標とすべきです。

準中級レベルからネイティブの英語の聴き取り及び発話を目指せばよいのです。生徒の英語レベルに応じて、発音及び文法・構文・語彙の正確さを発話の流暢さに追加して指導を行なうのです。語法や社会言語学的な適切さ、言い換え・訂正などのコミュニケーションストラテジー・説明描写力・論理的な話の展開・段落単位で話をまとめて話す方法(paragraph discourse)なども指導します。

英会話の習得には何年間もかかります。5~6年英会話を学んで英語がネイティブと同じように流暢に話せるようになると考えるのは無理があります。中級者以上になるまでには、毎日猛勉強しても最短でも10年は必要でしょう。英語・英会話の先生は生徒のレベルを適切に把握して、「正確さ」と「流暢さ」のバランスを取りながら指導することが大切です。学習者本人や英会話を学習しているお子さんを持つ親御さんは、長い目で考えて、英語の「正確さ」についてもっともっと寛容になりましょう。「正確さ」に寛容になればなるほど、英会話の「流暢さ」=「楽しさ」が増すはずです。

ACE英会話では、生徒の英語エラーになるべく寛容になれるように、講師共々心がけている。

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January 04, 2008

英語でのコミュニケーション:発話の正確さ VS. 英語を話す意欲

何回も書いているように私はACE英会話講師の採用インタビューで年間600人以上の外国人応募者にインタビューを実施している。そんな応募者の中にアジアの国々、韓国や中国そして日本で小中学生へ英会話を指導した経験のある人たちが少なからずいる。他国の小中学生と比べて日本人の学生はどんな違いがあるか聞いてみると、10人が10人同じような評価をしている。日本人の学生は英文法をよく知っていて間違いのない正確な英文を話そうとするが、正確な英文を話そうとするあまり、間違いを恐れて英語を積極的に話そうとする意欲に欠ける。これに対して韓国や中国の生徒達は決して正確な英文ではないが日本人の生徒たちよりも遥かに英語で話そうという意欲が強いということだ。勿論、英語を話すことを恥ずかしがったりする国民性もあろうが、正確さを最優先する学校教育の弊害があることは否めない。私も20年以上英会話を日本人に教えてきて実感していることであるが、教えるほうが正確さを重視すると途端に生徒は英語を話すことに臆病になってしまう。ここで声を大にして言いたい。「英会話のレッスンで、生徒のエラーは絶対に直すな!」英会話は話せば話すほど上達する。英会話のレッスンで折角、英語を話す機会がありながら、生徒が正確さに拘るあまり英語を話そうとしなくなることほど、拙い教え方はない。日本に居ながらにして英会話能力に磨きをかけるには、兎に角自分が英語を話せる環境と時間を確保することである。海外に暮らしていても自分が英語を話せる環境に身を置かないと英語による会話はいつまで経っても上達しない。

倒産してしまったNOVAの英会話講師が日本に長年いても日本語は上達しない。何故ならば一歩NOVAに入って仕事をしている間に日本語を使う必要が一切ないからだ。また日本での日常生活でも買い物やレストランなどでの会話では必要最小限の日本語能力で事足りてしまうからだ。これに対して相撲取りは日本語の環境にどっぷりと浸かるので外国人の関取は日本語がとても上手い。幼少より日本語を学んでいなくとも、白鵬・小錦・曙・高見山・朝青龍・琴欧州など皆日本語が驚くほど流暢だ。皆それなりに日本語の勉強をしたのであろうが、厳しい相撲の稽古の合間を縫って日本語の文法書で学んだり、日本語学校に通ったとは考えられない。日本語会話の実践の場に身を置き、相撲部屋に住み込んで生活し同じ部屋の力士らと日本語を話す必要に迫られて自然と日本語を習得したと考えられる。

英会話を学んでいる人たち共通の目標は「英語を自由に外国人と話せるようになりたい!」ということだ。外国語学習に王道はないと言われているが、スピーキング力を伸ばす王道をあえて表現すれば、「英語を気持ち良くたくさん話すこと」ということになる。講師の役割としては、生徒に英語を気持ち良く話してもらう為の状況を作ることだ。

コミュニケーションにおける第一の目的は相手に自分の考えをわかってもらうことだ。文法的に正確な英文を作ることは二の次となる。チャンクを積み重ねて相手に自分の意思を伝達することが大切である。チャンクを積み重ねて自由に英語を話すコツは私の別のブログ記事に詳しい。(英語を流暢に話すコツ
ヒッポファミリークラブの創設者、榊原陽氏も文法的な正確さに意識が行ったとたんに外国語が話せなくなると言っている。

昨年末、姉妹(5歳と8歳)の帰国子女への英会話体験レッスンがあった。4年間米国で暮らして帰国した子供達なので英語はある程度は話せる。お母様のご希望は、スピーキング力を少しでも維持させたい、できることなら上達させたいというものだった。打ち合わせで担当予定講師が「どの程度文法的なエラーを訂正しましょうか?」と聞いてきたので私は、「まったくエラーは直さないほうが良い」とアドバイスした。正確な英文が話せるように指導することと生徒に英語を話すように励ますことは別物だからだ。敢えて書くと、文法的に正確な英文を話す指導と自由に英語を話す指導は対極するものと考えられる。講師が生徒の文法的なエラーに注目すると生徒は正確な英文を話すことを求められ、これは生徒が英語を話そうとする気持ちに水を差してしまう。話そうという欲求を引っ込めさせてしまうのだ。

幼児と話をしていて正確な日本語が使えていなくとも母親は我が子の言葉に耳を傾けてそれを理解し、会話を楽しむ。時々は言葉の使い方を直すだろうが、いちいち細部に渡って訂正をしてしまったら子供は母親に話せなくなる。また直されると思って話したくなくなってしまう。言葉というものは面白いもので人に直されなくとも人の話し方を聞いたり書物を読むことによって正確な話し方ができるようになる。(セルフモニタリング機能)自分で自分の言葉をコントロールして、正確に自分の意図が相手に伝わるように工夫するからだ。前述したようにまだまだ日本の英語教育は文法と読解が中心だ。中学・高校の英語の授業で英文法を細部に渡って徹底的に勉強する。学んだ英文法でかなり難解な英文を読みこなせる読解力も6年間で身に付く。6年間の学校英語で自分が文法的に正確な英文で話しているかどうかのセルフモニタリング力は十分に機能するようになるはずだ。あとは如何に英語を実践で話す機会を持つかどうかが、その人が英語を話せるようになるかの鍵を握っている。

ACE英会話では、レッスン中に生徒が英語を気持ちよく話せるように、講師共々心がけている。

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October 04, 2007

プロの英会話講師は「良き聞き役」である。~生徒が主役の教え方~

コロンビアティーチャーズカレッジのジョン・ファンスロー元教授(TESOL初代会長)は、「いつも準備した同じ教え方をせずに生徒に合わせて柔軟に指導すべきだ。」という教授理論を展開していた。レッスン準備は事前に入念にすればするほど良いレッスンを生徒に提供できるという一般論に対する強烈なアンチテーゼである。

いつも同じ教材を使って決まった教え方で指導する、「最初に教材ありき(Textbook Centered)」「最初にメソッドありき(Method Oriented)」的な教え方は熟練の域に届かない講師、アマチェアスクールの教え方である。プロフェッショナルなスクール、熟練講師が目指すべきは、「最初に生徒ありき(Student Centered)」的な指導法である。そして最も効果的な指導方法は、同じテキストを使っていてもひとり一人の生徒に合わせてその使い方を巧みに変えて、生徒を満足させるレッスンを柔軟に展開できる講師の力量・技から生まれる。

ACE英会話では、0歳~3歳までの乳幼児への英会話指導を始めた。そのレッスンを観察していて、0歳から3歳までの乳幼児に英語を指導することは大人への指導以上に難しいと実感した。この年齢への指導では、準備した教材や教え方に生徒が興味を示さなければそれは使えないからである。講師がいくら時間をかけて念入りにレッスン準備をしたとしても、それに生徒が興味を示さなければ講師のその努力は徒労と化す。その日・その時に・その場で生徒が興味を示す、テキスト・フラッシュカード・絵本や玩具、CD、DVDなどを駆使して指導しなければならない。

幼児の時間的な捉え方は、「今」「ここで」である(now and here)。過去のことは考えられない。ましてや自分の未来や将来のことなどは眼中にない。それ相応の年齢になれば、ここで我慢してこれをやっておけば将来に役立つと考えるようになる。つまり年齢や人生経験によって時間的なスパンが現在を起点にして、それが過去や未来に伸びるのだ。年齢が若ければ、過去は短く未来は果てしなく長い。逆に年齢が高くなると自分の人生において長い過去があり、未来の持ち時間は少なくなってくる。自ずと過去を振り返ることが多くなり過去の思い出や記憶を追う時間が増えてくる。

「今」「ここで」楽しくなければ学ぼうとしない幼児には、まさに「最初に生徒ありき」の生徒主体 (Student-centered) 的な教え方をしないと上手く教えられないのだ。また、前回上手く行ったことが今回も上手く行くとは限らない。その日のその時の子供の気分次第である。また子供の興味は移ろいやすいものである。子供の成長や興味を的確に分析して、その日その時の子供の気分を的確に分析してレッスンを展開しなければならない。

これこそファンスロー教授の主張するところの生徒に合わせた柔軟なレッスンの実践であろう。「今」「ここで」子供の欲求を理解するには、まずは子供の欲求に耳を傾けることである。聴くという行為は相手を理解し、相手を認め受け入れることである。子供に多くを語ってもらう為には、私はあなたの話しに興味があるし、しっかりと聞いていますよというフィードバックを相槌や顔の表情、体全体で表現しなければならない。大人は相手が発する「ちゃんと聴いていますよ」という小さなノンバーバルなメッセージを見逃さないが、幼児や子供の場合には大袈裟な位に「ちゃんと聴いていますよ」あなたのお話しにとても興味があるし、もっとお話ししてほしいなあというメッセージを目立つ形で表現しないといけない。大袈裟に笑ったり、拍手したり、「相手が言ったことの気持ちを代弁して」、「そお、おもしろかったねえ!こわかったねえ!さびしかったねえ!かなしかったねえ!おかしいねえ!」などと相槌も自ずと大袈裟になる。その位、聞く方の大きな働きかけがないと子供が何を望んでいるのかを聞き出すことはできない。

幼児や子供に限らずこれは十分に大人のレッスンにも応用できる。例えば連休明けのレッスンでいきなりテキストを開始するのではなく、連休はどうだったか?尋ねることはとても効果的だ。何処かへ行ったり、何か普段しないような活動やレジャーやアクティビティをしたのであれば人に話したいはずである。ましてや楽しかったのであれば「こんなところに行きました」「こんなことをしました」と人に話したいものである。こういうタイムリーな会話をレッスン前に必ず入れれば生徒は今日のレッスンではどんなことを話そうか自ずと考えるはずである。「今日はこんなことを先生に伝えよう」「こんな話題を提供しよう」などと生徒は考えるようになり、知らず知らずのうちにテキストや講師中心のレッスンではなく、生徒中心の、生徒が主人公のレッスンになる。

人は自分の生活や活動などを人に話したいものである。おしゃべりな人は人の話しにはあまり耳を傾けず、自分のことを話し続ける。それだけ自分のことを知って欲しい、自分に関心を持って欲しいと思っているのだ。単純に言うと、とにかく自分の話を聞いて欲しいのだ。一番生徒に人気のない講師は、いつも自分のことばかり話している講師だ。生徒はいつも聞き役で、先生の話しを聞かされる。これでは生徒はその講師のレッスンがイヤになっても当然だ。これに対し、自分のことはあまり語らずに生徒の生活・活動・趣味・仕事などに絶えず興味を持ち、生徒の話しに耳を傾ける聞き上手の講師は生徒から好かれる。人とのコミュニケーションにおいて誰でも主役(話す人)になりたい、講師は敢えて主役を生徒に譲り自分は脇役(聞く人)に徹せられれば熟練の優秀な英会話講師と言えるだろう。

人の話しを聞く事はとても難しい。ましてや生徒の英語レベルが入門や初級であれば、生徒の英語を聞くことにはそれなりの忍耐が必要だ。また英語力のなさから話しの内容が一度ではわからないこともあるはずである。そんな時にも忍耐強く生徒の話しを聞いてあげられる度量があれば生徒は多少足りない英語力でも一生懸命に話すはずである。幼児の母親が一生懸命に話そうとしている我が子の話しを聞いてあげるあの優しい眼差しと態度が講師には求められる。

こう考えてみると幼児への英会話指導と入門・初級レベルの大人への指導は同じであることに気づく。幼児であれ大人であれ、いつもコミュニケーションの主役になっていたいのだ。先生が自分の興味や行動に感心を示して英語で話しかけてくれる。それでこそ、生徒は心を開き講師に英語で積極的に英語を話そうという気になるのだ。自分の英語で、できる範囲で話しをしてみる。先生に自分の英語で思っていることが少しでも伝われば、満足度はぐっと増すはずだ。逆に自分の話した英語が絶えずチェックされ、発音や文法および言葉の使い方(語法)などを矯正されたらどうだろう。生徒は途端に口を噤むはずである。話せば話すほど自分の英語による発話からエラーが次々と講師から発見され、直される。自分の英語はなんておかしいのだろう。自分は何でこんなおかしな英語しか話せないのだろう。何故いつまで経っても正確な英語が話せないのだろうと自己嫌悪に陥ってしまう。自ずと話しの内容よりも正確さに意識が行き、先生に面白い話しをしてあげよう、こういうことを話してあげようという話しの内容が疎かになり、正確だがつまらない無味乾燥な話しかできなくなる。だいたい日本人の会話力が学校の英語の授業で伸びないのは先生が生徒の英語の正確さを評価し過ぎるからであろう。正確さには目を瞑りその発話内容の面白さを評価されれば少しぐらい正確さにかけたとしても面白い話しを英語でしてやろうという気持ちに生徒はなるはずである。

講師は「良い聞き役」になり生徒を良き話し手(主役)にレッスンをしてあげる。このことは、「言うは易く、行うは難い」である。これができるようになれば講師は熟練の域に達したことになる。レッスン開始時に生徒に合って生徒の顔をみて何を話したいのか察した上でレッスンを進める。準備したことだけを必死に教えこもうとしているうちはまだまだ新米講師の域を出ていない。いつも同じ教材を使って同じ教え方をしていてはダメなのである。生徒との関わりの中で柔軟にその日のレッスン内容を生徒とのコミュニケーションの中で見出し、レッスンを進める。これが英会話の指導、特に生徒のスピーキング、英語によるコミュニケーション力を高める最高の指導方法である。ジョン・ファーンスロー教授が提唱する教授方法はすべての英会話講師が目指すべき熟練の技、教えるプロの技である。

PR: ACE英会話ではいつも生徒がレッスンの主役である。講師は脇役となり、生徒の話しにできるだけ耳を傾ける教え方を目指している。

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March 04, 2007

英語を話す時の姿勢~これを実行するだけであなたの英語は上手に聞こえる~

私は英会話講師採用インタビューで英語圏からの外国人と日本人(自称英会話上級者~日英バイリンガル)に年間約900名の人と英語で話しをしています。

「英語を話す時と日本語を話す時に同じ人の性格が違うように、本当に聞こえるんだ。」と実感する時がよくあります。帰国子女など日英バイリンガルの応募者が日本語と英語を話す時にそう感じることが多いです。採用インタビュー以外でも英語圏の人が母語の英語で話している時と日本語を話している時にもそう感じる時があります。

日本語を話している時にそんな人達は少し控え目になります。逆に英語を話している時には、より積極的になります。英語では自分の思ったことをストレートにはっきりと言う傾向があり、日本語を話している時にははっきりと言うよりもちょっと曖昧に話す傾向があります。このことは日本人の英語上級者、外国人の日本語上級者にも共通しています。無意識にそうなっているのか意識してそうしているのかはその本人に聞いてみないとわかりません。しかし、英語は社会心理学的にそういう言語で、日本語も同様なのです。

このことは実際に発せられる言葉だけではなく、話す人の態度にも表れます。英語を話している時の方が、態度が堂々としていてジェスチャーが多く、声が大きくなるのです。また日本語を話している時には逆に声が小さくなってちょっとかしこまった感じになります。

先日もイギリス人の女性講師と英語で話す機会がありましたが、英語で私と2人で話している時には堂々と大きな声で自分の考えを表現していました。そこに英語の話せない日本人が私達に加わって日本語になったとたんに声が小さくなり、かしこまって自分の意見も控え目に言うようになりました。「同じ人なのに英語を話す時と日本語を話す時でこうも態度が変わり性格も変わったように見えるのか。おもしろいなぁ。」と感心してしまいました。

母語の英語には当然自信があり、外国語の日本語には自信がないのでそうなるのではないかと思われるかも知れません。しかし、母語が日本語の日本人でも同じ傾向があり、それだけでは説明がつきません。意識してみると確かに自分も英語と日本語で無意識に話し方を変えていることに気づきました。

そこで英会話を学習している日本人学習者へアドバイスです。あなたは英語を話している時に日本語を話している時と同じように控えめに曖昧に話していませんか?そうであれば、あなたの意識をすぐに変えた方が良いでしょう。たとえ英語を話すことに自信がなくとも、堂々と大きな声ではっきりと自分の意見を積極的に相手に伝えましょう。英語とはそういう言語なのです。文法的なエラーや表現の誤用があったとしても、相手はあまり気にしていません。相手はあなたのメッセージ内容そしてどういう態度や話し方でメッセージを述べているかに注目しています。更に付け加えると、ネイティブでも文法的なエラーがまったくない完璧な英文で英語は話していません。よく聞いているとネイティブでもかなり文法的なエラーを犯しています。文章を読むと一目瞭然です。文章を書くのがあまり得意でないネイティブの英文は間違いだらけです。

先日、NHKテレビの「プロフェッショナル」という番組にマサチューセッツ工科大学院の日本人教授が出演していました。北海道大学で修士まで取得してNTTでIT研究者として就労後に、その研究成果を認められてマサチューセッツ工科大学の講師からスタートして、現在は同大学院の生徒へIT開発技術を指導しています。

皆さんご存知のとおり同大学・大学院はIT研究分野では世界最高峰の教育水準で米国内を中心に世界中から優秀な学生や研究者が集まってきます。教授のゼミ風景も放映され、生徒との英語でのやり取りや講義のさわりを拝見できました。教授は当然、堂々と英語で生徒とディベートし生徒の研究テーマや視点・考え方の甘さを指摘し、論破してゆきます。失礼ながら教授の話される英語は日本人の発音で細かい文法的なエラーも目立ちました。しかし英語圏のネイティブに通じない発音や重大な文法的エラーではなく、意味不明になってしまうということでは勿論ありません。そんな発音の不自然さや細かい文法的なエラーなど生徒は気にも留めていませんし、気づいてもいないようでした。生徒にとってはそんなことはどうでもよいのです。教授の発する一文の隙もない論理的なメッセージ、確りとしたIT理論に裏付けられたユニークな視点やクリエイティブな発想、そういうものに生徒達は集中して真剣に教授の主張を聞いていました。

きっと教授はどんなに優れたIT技術や研究成果を持っていても、日本語と同じように控えめに曖昧に自分の主張を英語で述べていたならば、恐らく1~2年でマサチューセッツ工科大学の職は辞して帰国していたことでしょう。

英語を話す時には、意識して堂々とした態度で大きな声で自分の主張をはっきりと述べましょう。同じ英語力であったとしてもあなたの英語は格段に上手に聞こえ、今まで以上に外国人との英語でのコミュニケーションがスムーズになるはずです。


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February 18, 2007

英語をスムーズ(流暢)に話すコツ

先日NHKの「スタジオパークでこんにちは」にJ-WAVEや「英語でしゃべらナイト」の英語ナビゲーターで著名なクリス・ペプラー氏がゲストで出演していた。有働アナから英語を流暢に話すコツを尋ねられ、クリス氏は最初に、「英語は右脳で話す」とアドバイスしていた。とても的を射たアドバイスだったので、思わず膝を打ってしまった。
英語をなかなか流暢に話せない日本人への最適な助言といえるからだ。

私なりの解釈で解説させていただくと、「右脳で話す」とは「英語の感覚で話す」→「右脳に浮かんだイメージを英語でそのまま話す」ということだ。換言すると、日本語や文法のことは一切考えずに頭に浮かんだ英語を素直に話すということだ。

私を含めて英語を話したことがある日本人は例外なく経験していることだと思うが、英語を話していて、英語よりも日本語が先に頭に浮かんだ瞬間、英語がスムーズに話せなくなる。また、英語の文法的なエラーが気になった瞬間、英語がスムーズに話せなくなる。クリス氏の表現した右脳というメタファーを使うとすると、この時私たちは左脳で考えて英語を話そうとしたことになる。

人間は右脳だけで言語を話せるのかという議論を持ち出すとややこしいことになるので、ここでは上記のとおり「右脳に浮かんだイメージを英語で素直にそのまま口に出す」ことに対峙する考えとして「右脳に浮かんだイメージを左脳に送り、日本語や文法ルールというフィルターにかけてから英語を話す」と理解したい。

クリス氏はアメリカ人を父に持ち、日本のアメリカンスクールですべて英語の教育を受けた生粋のネイティブスピーカーである。したがって、「右脳に浮かんだイメージを英語で素直にそのまま口に出す」ということは出来て当然であろう。しかし、日本人英語学習者でも英語を流暢に話せている時にはその域に達していると思う。つまり日本に居て英会話を学習して、その学び方さえ誤らなければその域に達することができるということだ。

残念ながら日本の英語教育(特に中学・高校・大学で行われてきた教育)はまさに、「右脳に浮かんだイメージを左脳に送り、日本語や文法ルールというフィルターにかけてから英語を話す」ということを奨励してきた。英語を日本語に翻訳するという英文解釈自体が悪の枢軸である。また文法ルールを細々と教え、「文法的な少しの間違いも許さないぞ!」という英語ペーパーテスト、英作文と称して日本語を英語に翻訳させる授業などの弊害が日本人を益々英語の話せない国民へと追いやってきた。

この日本の英語教育の実像に対するアンチテーゼとして日本人を英語の話せる国民へ導く手立ては簡単に提案することができる。まったく逆のことをやればよいからだ。

1)英語は日本語に翻訳して理解するのではなく、英語を英語のまま理解する。
英文を読むときには極力日本語に置き換えるのではなく左から右へ文頭から文尾へ読み進め、英語で理解するように努める。英語を聴くときにも同じことを行なう。つまり聞こえてきた英語を極力日本語に置き換えずに、英語の音として捉え、聞こえてきた発話の意味を、日本語を介さずに英語のイメージとして理解する。

2)英文を書くときにも日本語を英文に翻訳することは一切やめて、持っている自分の英語語彙を駆使して英文を頭から書き下す。流行のブログを英文で書いてみることはお勧めである。頭に浮かんだイメージを、日本語を介さずにそのまま英語で表現することが大切であるその為には手を休めずに思いついた英語をそのまま書き進めることである。文法的なエラーは気にせずに意味が通る英文を目指して書き続ける。ひととおり書き終えた後で英文を読み返してみて自分で文法エラーを訂正する。あやふやな部分については辞書で調べてもよい。しかし書きながら文法的なエラーを意識したり、書いている途中で辞書を引いたりすることはあまりお勧めしない。その間に日本語が介在したり、文法的なエラーが気になったりしてしまうからである。

3)英語を話す時にもこれと同じことをすればよい。文法的なエラーは一切気にせずに、相手に伝えたいイメージを英語で思いついた順番に話していく。下手に最初から完成された文で英語を話そうとすると話せなくなる。なぜならば、会話をする時、相手に伝えたい自分の「イメージ」が先にあり、その「イメージ」は初めから「文」として完成しているわけではないからである。繰り返しになるが、クリス氏のアドバイス「右脳に浮かんだイメージを英語でそのまま話す」ことが大切である。自分の思っていることが相手に伝わることを第一に考える。下手に文法的に正確な英文を話そうとしたり、気の利いた言い回しをしたりすることなどには一切意識を向けない。とにかく自分の「思い」が相手に英語で伝わることだけを考え、意識を集中して英語を話す。
その為には、気のおける、性格が合いそうな人と自由に英語を思いっきり話す機会をできるだけ持つ。英語を話す友人が身近にいれば最適であるが、日本に暮らしていてそういう友人がいる人の方が圧倒的に少ないだろう。英会話の先生でもよい。しかし自分の英語を直してもらおうとか、エラーを指摘してほしいとか、表現がおかしければ訂正してもらうとかは一切考えずに、純粋に英語を話すことを思いっきり楽しんだ方が良い。

実際、私のプライベートレッスン指導経験において、生徒に日本語を介さずに、文法的なエラーを気にせずに英語を話させるアプローチは効果を上げている。大学生や大人への指導で自分は聞き役となりリラックスして生徒が自分のことを英語で話せるように仕向ける。文法的なエラーや表現のおかしい部分に注意を向けるというよりも相手の「発話内容の意味」を理解するように努める。最初はたどたどしい英語で発話スピードがやたらと遅く、ポーズ(沈黙)の時間が目立つが慣れてくると少しずつ自由に英語で発話できるようになってくる。先生と生徒という上下関係の図式ではなく、友人・知人という横並びの図式で英会話を生徒と楽しんでいる。レッスンが進むにつれて生徒は自分のプライベートな事もフランクに話すようになる。そうなれば、しめたものである。英語を話すことに対する緊張やエラーを犯すことへの恐れや不安はすべて何処かへ消え去り、英語でおしゃべり(会話)を楽しめるようになってくるのだ。

先生の役割としてはスムーズなコミュニケーションのためのストラテジーを伝授することだ。意識して自分の発話に盛り込んで生徒が真似するように仕向ける。例えば相手の声が小さければもっと大きな声で、発話が速すぎればもっとゆっくりと話すことを要求する。自分の発話の意味がクリアでないと感じれば、I mean に続けて別な言い方をしたり、#1、#2と理由付けにナンバリングをしたり、言葉での表現を補うジェスチャーや顔の表情、声のトーンを変えたりする。言葉に行き詰まったり、相手の質問に即答できなかったりするような場合の間のつなぎ方(沈黙の間を埋めるテクニック)、言い間違いの修正の仕方、重要なことを相手に伝える場合、言い方を変えて重要なメッセージを繰り返す。英語的な発想で楽に話せるように英語の決まり文句や「定形表現」を上手に使うなどである。

PR: 初級レベル以上の段階でこの指導法は絶大な効果を発揮する。この指導方法を活用して、自由に英語のおしゃべりが出来る電脳空間をACE英会話スクールは開発中である。乞うご期待!

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September 25, 2006

英会話は教えるな!生徒から英語の会話を引き出せ!

私の妻の妹二人は小学生時代に学校のオーケストラに所属し、バイオリンを触ったこともない一から音楽教師の指導を受けて、全国大会で優勝したことがある。私はこの話を妻から聞いた時に、どんな先生に指導を受けたのかとても興味があった。佐治先生とだけ名前を聞いていたが、今年NHKテレビの「にんげんドキュメント」で先生について詳しく知ることができた。

佐治薫子先生(70才の今も千葉県少年少女オーケストラで音楽監督をされている)はこれまで公立の小中学校で、楽器に触ったこともない子どもたちを一から指導し、一流の音楽家も舌をまくハーモニーを奏でるまでに育て上げてこられた。その指導は、「佐治マジック」と呼ばれているそうだ。教職40年間をひたすら音楽教育に情熱を傾け、その間40数回も子ども達(小中学生)を全国優勝に導いている。主な受賞:「サントリー地域文化賞」「千葉県教育功労賞」「国際ソロプチミスト社会貢献賞」「キワニスクラブ教育文化奨励賞」「千葉県文化功労賞」「NHK関東甲信越地域放送文化賞」など多数。

佐治先生の言葉から、
「私は生徒の能力を最大限引き出したい。」
「誰でも才能を持っておりそれをどこまで引き出せるかが教師の力量だ。」

私は、先生の教育姿勢は英会話のマンツーマンレッスンにもそのままあてはまると思った。

学校のクラスレッスンで多くの生徒に指導する場合、教師は生徒に英会話を教える。テキストを使って英会話表現を説明しCDを聞かせ、文法解説をする。そして時々生徒に英文をリピートさせて言わせたりする。レッスンの中心はあくまでも教師であり教師がリーダーシップを発揮して生徒をぐいぐいと引っ張って行く。この場合には往々にして英語知識の伝授や理解の指導に終始しがちである。

このような教師中心の指導方法は1対1のマンツーマンレッスンには全くそぐわない。
1対1のマンツーマンレッスンにおいて、主役は生徒であって教師であってはならない。
ここで佐治先生の教育姿勢が生きてくる。

教師は生徒に英会話表現を教えるのではなく、生徒から引き出さないと駄目だ。そのために教師はgood listenerでなければならない。おしゃべりな外国人教師にありがちだが、教師ばかりが英語をしゃべって、生徒が聞き役ではリスニング力はつくだろうがスピーキング力はいつまで経っても身につかない。教師は良き聞き役となって 生徒に発話機会を与えないと駄目だ。生徒の口から英語を引き出すのだ。生徒が話し易い話題を提供し、興味をもって積極的に答えられる質問をしてあげるのだ。そして教師は生徒のペースに合わせて待ってあげる。待っても英語が出てこなければヒントを与えて誘導してあげる。

英語が話せるようになるためには、生徒が主体的に自分から発話しないと上達しない。オウム返しで先生の発話を真似して覚えた表現をいくらリピートしても自分の思っていることを英語で自由に表現するという域には達しない。習った文法事項や表現を使って自分から進んで英語で表現しようとする意欲が大切である。

生徒に発話の機会を与える教師は待ってあげる。この「待ってあげる」という行為がとても大切である。知識を一方的に与えるではなく、生徒から引き出す。専門的にはエリシテーション教授技術(Elicitation Teaching Technique)である。

生徒に教えようとすると、どうしても知識だけが先行してしまう。
教えるべき知識や文法(ルール)は最小限に留どめ、できるだけ生徒に主体的に、英語を発話させるように教師は仕向ける。そして生徒の発話を待ってあげる。そして待っても生徒から英語が出てこなければヒントを与える。自分が表現しようとしたが出来なかったことを教わるとその表現は身に沁みる。最初からその表現を教師から一方的に教えられるのとはわけが違う。これを「体験学習」と呼ぶ。まず生徒に自ら体験させ、出来ないことを教師が指導してあげるのだ。

こんな教え方は5~6人以上のクラスではできない。3~4人のグループでも時間的な制約および他の生徒の存在が邪魔をしてとても難しい。マンツーマンだからこそ実践可能な教え方である。

PR: エース英会話では教師に、「英会話は教師から教えるのではなく、生徒から英語の会話を引き出して生徒の会話能力を伸ばすことが大切だ」と指導している。

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June 01, 2006

音声インプット重視の幼児英会話教育

幼児(未就学児)への英会話指導において耳を鍛えることは将来スピーキング能力を高める上でとても大切である。前回のブログ記事で小学生からは文字情報による言語習得が音声のみによるインプットよりも効果的であると書いたが、このことは就学前の幼児については全く当てはまらない。むしろ180度発想をひっくりかえさないといけない。幼児期においては文字をなるべく使わずに耳での言語インプットに徹するべきである。言葉を変えると、幼児期においては文字として言語を処理する左脳教育を重視するよりも、耳に聞こえてくる音を目で見えるイメージとして視覚的に処理する右脳を鍛えるべきである。

元祖「英語耳」の第一発案者である故アルフレッド・トマティス博士(フランスの聴覚心理学者)は「人は聞き取れない音は発することができない」という原則を最初に発見した学者である。私達の発話は声がコントロールするというよりも耳がコントロールしているのである。人は自分が発した声を骨伝導(発した声の空気の振動を鼓膜で聞き取るということ以外に自分の発した声紋の振動を蝸牛内のアブミ骨という小さな骨の振動を耳で感じて自分の声をセルフモニタリングしている。つまり日本語にない英語特有の音(日本人の苦手な「r」と「l」や声帯を使わずに息だけで発する「s」や「th」などの歯擦音)の聞き取りができないと自分でも正確にその音を出せないということである。英語独特のリズムやイントネーションに乗っかった個々の英語音をハッキリと耳で捕らえて、自分の耳でネイティブの発音と自分が発する英語音を確りと比較・コントロールすることによって、自分の発話をネイティブのそれに近づけることができる。

博士によると人は「オギャア」と母親の体内から外界へ生まれ落ちた時には、既に母語を効果的に聞き取ることができるように耳がチューンアップされている。日本人の母親から生まれた赤ん坊は日本語の音に反応し日本語特有のリズムやイントネーションに乗っかった日本語音が聞き取り安いのだ。また英語を話すイギリス人の母親から生まれた赤ん坊はイギリス英語が聞き取り易い耳の状態になって生まれてくる。皆さんよくご存じのように胎児は母親の体内で母親の言葉を耳及び体全体で母親の声の振動を感じ取り上記アブミ骨を通して聞いている。言葉の意味を理解するというよりも、母語の特徴を脳に耳を通じて刷り込んでいるという感じだ。著名な生成英文法学者ノーム・チョムスキーが提唱していた生得的な言語能力とは母親の体内で母語の音声的な特徴を脳に刷込んだ結果としての潜在的な母語習得能力であると私は理解している。

幼児期においては文字情報から単語をたくさん覚えたりするよりは英語音を正確に確りと聞き取れる耳を鍛えるべきである。年齢が低ければ低いほどまだ耳ができあがっておらず、外国語としての英語音を聞き取れる耳を育成し易いからである。(トマティス博士によると人の耳は12才で完成する。ちょうど小学校卒業時に成人と同じ音域を聞き取れる耳の機能が完成するのだ。)単語や文法の習得はある程度年齢がいってからでも鍛えられるが耳はそういう訳には行かない。将来、英語音を正確に聞き取り、ネイティブに限りなく近い発音で発話できるために、幼児期の間に徹底的に英語を聞かせて耳を鍛えておくことは非常に大切である。

英語の歌による英語独特のリズム・イントネーションの習得も効果的である。ただし、BGMのように英語をただ単に流しておいて子供の耳に入れる(hearing)だけでは、いつまでたっても英語を聴き取って(listening)その意味を理解できるようにはならない。つまり聞かせた英語を理解出来るようにするビジュアルエイド(聴いた音の意味を視覚として理解させるイラストや写真・ビデオなど)が必要なのである。Natural Approachを提唱した言語学者クラシャンによる(意味の)理解可能なインプット(comprehensible imput)でないと英語の聞き取り訓練としては不十分だ。幼児期だからこそアルファベットや日本語という文字情報を介さずに英語を英語のまま理解出来るようにトレーニングする。その為にAV(オーディオ・ビジュアル)が効果を発揮する。

帰国子女と英語圏への大学・大学院レベル留学経験者との違いは、英語の発話におけるネイティブライクな発音と発声であろう。突き詰めれば幼少期にネイティブの英語音をどれだけ聞いて耳を鍛えたか否である。英語を正確に聞き取れる耳の善し悪しはリスニング力のみならず、将来における英語の発音・発話の善し悪しにも繋がるということである。

PR:エース英会話スクールでは幼児への指導で英語の歌・カラフルなカードやCD・ビデオ(DVD)教材を積極的に使用して目からの視覚的なインプット・耳からの音声的なインプットを最大限に取り入れて、(意味の)理解可能なリスニング指導を実践している。

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April 23, 2006

帰国子女や海外留学経験者に負けない英会話力を日本国内で身につける

日本国内で英会話をマスターすることはできるのであろうか?

私は年間250名程、日英バイリンガルに限りなく近い講師応募者に英語でインタビューをしている。かれこれ700名近くの方々にインタビューしたので私の感想をまとめてみることにした。子供や大人に英会話を指導するという応募者で、英検準1級以上またはTOEIC830点以上と応募資格を定めているので、少なくとも英会話に自信のある人達のみ応募してくる。(100人に2~3人は、これでよく準1級に合格したな?、TOEIC830点をクリアしたな?という人がいるが、95%以上の応募者はなかなかイイ線行っている人達だ。)

応募者の約70%は幼少または小中学校の頃に英語圏に暮らしていた、いわゆる帰国子女である。また、約20%は英語圏の短大・大学・大学院を卒業した正規留学経験者である(以下海外留学組と呼ぶ)。残りの約10%は帰国子女でもなく正規海外留学経験者でもない。1ヶ月程度のホームスティ・海外語学研修や海外旅行を除いて日本国内で英会話をマスターした人達、日本の短大や大学・大学院を既に卒業したかまだ通っている人達である(以下国内組と呼ぶ)。

もちろん個人差がかなりあり、帰国子女が100%バイリンガルかというと、そういうことはなく、5年も海外に生活していたのにこの程度か?表面的な発音や発話はネイティブ気取りで英語を話しているが話しの中味がお粗末だったり、文法的なエラーが目立ったりということもある。ああこの人は帰国後にあまり英語を勉強してこなかったのだなと思える人も少なくない。

逆に長期(6ヶ月以上)の海外生活経験や正規留学の経験がなくとも、限りなくバイリンガルに近い人達もたくさんいる。ああこの人は英語が好きで相当頑張ってきたのだなと感心させられることも少なくない。勿論個人の努力や外国語習得の才能や親から譲り受けたDNAにも大きく左右されるのであろうが、国内組の実力は海外留学組や帰国子女と比べても遜色なく、帰国子女と言っても誰も疑わないようなネイティブに限りなく近い英語を発話する人に出会うと、驚きと嬉しさが込上げて来る。

海外に出なくとも国内で幼少時よりネイティブな英語をいろいろなメディア(英会話学習用のCD、ビデオ・DVD・英語の歌・TVなど)を通して耳に入れることが出来る。洋書を扱った大きな書店に行けば欧米人の幼児や子供達が楽しむ絵本やカード・ゲームなどがすぐに手に入る。幼少から英会話スクールに通ったり、英会話の家庭教師を子供に付けたりすることもできる。

しかし幼児期に英語の学習を始めなくとも、正規に中学で初めて英語を学習し始めた人でも中学・高校・大学までの10年間でかなりのところまで英会話をマスターしている人達も少なくない。決して大学で英語や英文学を専攻していなくとも大学の4年間みっちりESS(English Speaking Society)という英語クラブの活動に没頭すれば4年間の正規留学をして帰国した海外帰国組にひけをとらない英語を話す人達が延べ何万人もいることを私はよく知っている。

かく言う私も、中学で英語を学習し始めるまでは英語をまったく習ったことがなかったし、中学校の英語の成績は惨憺たるモノであった。公立中学にも拘らず、1年2年で教わった先生が特別な授業を行っていた。日本人の先生なのに日本語をほとんど使わずに英語でレッスンを実施したのだ。教科書の内容を画用紙に絵を描いて英語で説明していた。小学校時代に塾や英語教室で英語を既に学習し始めていた人たちは何となくわかっていたようだが、私のように中学校から英語を一から始めた者達にとってはほとんど理解できなかった。5段階評価の通信簿で英語はいつも1に近い2であったと記憶している。英語の時間はまったくちんぷんかんぷんで苦痛の何物でもなかった。中3で英語の先生が代わり、塾でも英語を学習して、少しわかるようになった。高校1年生の時に教え方の抜群に上手い英語の先生との出会いが私の英語との関わりの大きな転機だった。高校1年生から英語への興味に目覚め、いつかは欧米人と自由に英語を話せる自分になれることを夢見て、それこそ無我夢中で英語を勉強した。その甲斐あって、その高校英語の恩師と同じ大学の英語学科に進学できた。

英文学を学ぶ英文学科ではなく実用英語を学べる英語学科を選んだつもりであったが、大学ではまだまだ教養としての英米文学を翻訳するという古典的な指導方法で教える英語購読の授業がほとんどであり、いつかは欧米人と自由に英語を話せる自分になるという夢は一生夢のまま儚く消え行きそうで英語への学習意欲を失いかけた2年生の春に親友から「このままあと3年間大学の講義をどんなに一生懸命に受けて成績がオール優であっても絶対に英語は自由に話せるようにはならない!」と宣言された。そして親友と2人で1年遅れであったがESSのドアをノックした。自分でも恥ずかしくなるくらい英語がまったく話せなかった私でもESSの活動(ディベートセクションに所属し、土日祝祭日なし夏休み春休みなし、朝8時から夜9時頃までクラブ活動に没頭して寝ても覚めても英語ディベートのことを考えていた)を通してめきめき上達して、卒業の際には自分の夢にもう手の届くところまで来ていた。

国内組であっても英会話の学習の仕方さえ間違わなければかなりのところまで来られる。帰国子女や海外留学組にだって負けない位の英語コミュニケーション能力を身に付けられる。

語学の才に決して恵まれない私でさえ、高校からの7年間でかなりのところまで上達できた。今の子供達は小さいころから英語を学習する環境に恵まれている。私が通ってきた急な傾斜の岩のゴツゴツした山道よりも遥かに傾斜の低い安全な道を親に見守られ先生にガイドされて確りとした足取りで歩み続ければきっと私の目指した夢「いつかは欧米人と自由に英語で話せる」にたどり着くことが出来るはずである。

PR:エース英会話スクールではこの夢を一人でも多くの人達に達成していただけるように講師と一丸となってレッスンを実施しています。

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March 27, 2006

小学生以上の入門学習者への英会話指導では読み書きは必要ないか?

小学生以上の入門学習者への英会話指導でテキストを使わずにリスニングとスピーキングのみ指導している英会話スクールがある。小学生以上の英会話入門者への指導ではリーディングとライティングは指導しない方が良いのであろうか?言語学的には文字を教えるかどうかということである。

オーラルでの言語習得において文字は邪魔モノなのであろうか?確かに幼い子供は外国語でもその音声を忠実に聞き取る耳を持ち、聞いた音を母国語の介在なしに忠実に再生できる。就学前の幼児への指導であれば音声オンリーの指導もありであろう。

しかし学校でも日本語の読み書きを本格的に学んでいる小学生以上であれば、英会話でも文字を積極的に教えるべきだ。今までは音声のみで理解していたことが文字を見る(読む)ことによって文字データの言語として認知されるようになる。言葉の配列や細かい音のつながりをしっかりと認知するようになる。ワッチャーネィム?と音声で認知していた表現、名前を聞かれていることは分っていたが、実はWhat is your name?という四つの単語が自然に発話されるとワッチャーネィムと聞こえることを理解する。そしてWhat'sは何?という質問であるということに気づき、yourはきみの、nameは名前のことだと気づく。What'sは何?という質問であることに気づけば、あとは芋づる式に、What's this?  What's that? の質問も理解でき、What's your mother's name? fathermotherという単語を習えば、お父さんお母さんの名前を聞かれていることが理解できる。

英語圏で暮らしていて英語を第2言語(第2生活言語)として獲得するのではなく、日本に生活していて英語をまったくの外国語として学ぶ場合において、文字を導入せずに音声のみで指導するならば、英会話習得の効率がとても悪くなる。何故ならば、音声のみで指導したことは定着せずにすぐに消えてしまうからである。確かに子供は大人と比べて外国語音の聞き取り及びその忠実な再生には優れている。しかしながら、例えば外国人講師の後につけてスムーズにリピートできた単語なりセンテンスがそのまま定着するかどうかという点に関しては心もとない。レッスン後にかなり復習しないとすぐに忘れてしまう。英語圏に暮らしていて新たに習得した単語やフレーズを日常生活の中で繰り返し聞き、自分でも実際のコミュニケーションで使う場面があるのであれば自然と定着するであろう。しかし、日常生活が日本語にどっぷりと浸かった環境で、同じことを期待することはできない。外国語として英語を学ぶ場合には、音声だけでのインプットにはかなり無理があり、それを補完する意味で文字として英語を確りと認知する必要があるのである。

大人の場合にも同じことが言える。例えば今まで学習したことのない英語以外の外国語を音声だけで学習することは困難を極める。先生やCDの後につけて言えたとしても、それを定着させるには何度も何度もその表現を言う必要があり、すぐ忘れてしまうので、忘れてしまわないうちに復習が必要である。

文字として目で見て、確りと文字を声に出して読み、更にその表現を書いてみることによってはじめて、音声だけのインプットとは比べ物にならないくらいに確実に定着するはずである。

別な例を挙げると、就学前幼児は英語圏で1~2年ほど生活し、近所の子供達と英語で遊ぶ環境を整えてあげるだけで、英語がかなりしゃべれるようになって帰ってくる。しかし日本に帰って来て、英語を話せる環境を作ってあげないと、せっかく獲得した英語を話す能力はすぐに消えてしまう。獲得も早いが喪失も早いのである。これに対して小学校以上で現地の学校で確りと文字で英語をインプットしてきた子供達は日本に帰ってから、英語を話せる環境がなくとも、CDなどで英語を聞いたり、英語の本を読んだりすることによって英語力を維持することができ、そう易々と獲得した英語力を喪失してしまうことはない。

就学したらできるだけ早い段階で文字の学習を開始すべきであり、耳だけに頼るのではなく目や口そして手でその単語や表現を体験させることが大切である。英語を目で見て理解でき、声に出して読め、更に書けるようになると、リスニングとスピーキングが飛躍的に伸びる。小学生が学校でも文字を学習して自分で日本語が読み書きできるようになって日本語の聴解力と表現力が飛躍的に伸びることと理論的にはまったく一緒である。国語つまり日本語を文字なしに音声だけで指導する場合と読み書きを指導する場合の日本語習得における効率を考えると明らかに読み書きを指導する方に軍配が上がる。

中学高校でのいわゆる学校英語、読み書き中心の指導方法が批判されるが、批判されるべきは英語を日本語に訳す教え方である。日本語に翻訳するのではなく、英語を日本語に置き換えずに、英語のまま読解または聴解する練習が必要であり、それができるようになって初めて、速読・速聴、直読直解・直聴直解の力が養われ、今流行りの表現をあえて使うならば、日本語を介在しない英語回路または英語脳ができあがる。

文で発話する際の英語文の組み立て、つまり自分で英語を発話する場合には単語は意識されるべきであり、無意味に表現を丸暗記したものだけで発話することはお勧めできない。ある表現を教えたら、その表現を使った質問に自分の言葉で答えさせたり、質問を作らせたりするクリエイティブな練習をすべきである。自分の言葉で質問に答える、自分で相手に尋ねたい質問を作る。このクリエイティブな作業なくして、自己表現としてのスピーキング力は伸びず、英語はいつまでも話せるようにならないのである。更に自分で作った英文を文字として書かせてみることは定着という観点から非常に大切である。

まとめると、小学生以上の英会話入門学習者への指導においてはスピーキングとリスニングだけに力を入れるのではなく、リーディングとライティングもバランスよく鍛え、4技能の集大成としてオーラルコミュニケーションを教えることが必要である。英語でのコミュニケーションスキルの育成、つまり英会話の上達において、4技能に磨きをかけることは遠回りのようで最短の道なのである。

PR:エース英会話では、小学生以上の英会話入門学習者へきっちりと4技能を教え、効果的に生徒の英語オーラルコミュニケーション能力を高めている。

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