April 23, 2006

帰国子女や海外留学経験者に負けない英会話力を日本国内で身につける

日本国内で英会話をマスターすることはできるのであろうか?

私は年間250名程、日英バイリンガルに限りなく近い講師応募者に英語でインタビューをしている。かれこれ700名近くの方々にインタビューしたので私の感想をまとめてみることにした。子供や大人に英会話を指導するという応募者で、英検準1級以上またはTOEIC830点以上と応募資格を定めているので、少なくとも英会話に自信のある人達のみ応募してくる。(100人に2~3人は、これでよく準1級に合格したな?、TOEIC830点をクリアしたな?という人がいるが、95%以上の応募者はなかなかイイ線行っている人達だ。)

応募者の約70%は幼少または小中学校の頃に英語圏に暮らしていた、いわゆる帰国子女である。また、約20%は英語圏の短大・大学・大学院を卒業した正規留学経験者である(以下海外留学組と呼ぶ)。残りの約10%は帰国子女でもなく正規海外留学経験者でもない。1ヶ月程度のホームスティ・海外語学研修や海外旅行を除いて日本国内で英会話をマスターした人達、日本の短大や大学・大学院を既に卒業したかまだ通っている人達である(以下国内組と呼ぶ)。

もちろん個人差がかなりあり、帰国子女が100%バイリンガルかというと、そういうことはなく、5年も海外に生活していたのにこの程度か?表面的な発音や発話はネイティブ気取りで英語を話しているが話しの中味がお粗末だったり、文法的なエラーが目立ったりということもある。ああこの人は帰国後にあまり英語を勉強してこなかったのだなと思える人も少なくない。

逆に長期(6ヶ月以上)の海外生活経験や正規留学の経験がなくとも、限りなくバイリンガルに近い人達もたくさんいる。ああこの人は英語が好きで相当頑張ってきたのだなと感心させられることも少なくない。勿論個人の努力や外国語習得の才能や親から譲り受けたDNAにも大きく左右されるのであろうが、国内組の実力は海外留学組や帰国子女と比べても遜色なく、帰国子女と言っても誰も疑わないようなネイティブに限りなく近い英語を発話する人に出会うと、驚きと嬉しさが込上げて来る。

海外に出なくとも国内で幼少時よりネイティブな英語をいろいろなメディア(英会話学習用のCD、ビデオ・DVD・英語の歌・TVなど)を通して耳に入れることが出来る。洋書を扱った大きな書店に行けば欧米人の幼児や子供達が楽しむ絵本やカード・ゲームなどがすぐに手に入る。幼少から英会話スクールに通ったり、英会話の家庭教師を子供に付けたりすることもできる。

しかし幼児期に英語の学習を始めなくとも、正規に中学で初めて英語を学習し始めた人でも中学・高校・大学までの10年間でかなりのところまで英会話をマスターしている人達も少なくない。決して大学で英語や英文学を専攻していなくとも大学の4年間みっちりESS(English Speaking Society)という英語クラブの活動に没頭すれば4年間の正規留学をして帰国した海外帰国組にひけをとらない英語を話す人達が延べ何万人もいることを私はよく知っている。

かく言う私も、中学で英語を学習し始めるまでは英語をまったく習ったことがなかったし、中学校の英語の成績は惨憺たるモノであった。公立中学にも拘らず、1年2年で教わった先生が特別な授業を行っていた。日本人の先生なのに日本語をほとんど使わずに英語でレッスンを実施したのだ。教科書の内容を画用紙に絵を描いて英語で説明していた。小学校時代に塾や英語教室で英語を既に学習し始めていた人たちは何となくわかっていたようだが、私のように中学校から英語を一から始めた者達にとってはほとんど理解できなかった。5段階評価の通信簿で英語はいつも1に近い2であったと記憶している。英語の時間はまったくちんぷんかんぷんで苦痛の何物でもなかった。中3で英語の先生が代わり、塾でも英語を学習して、少しわかるようになった。高校1年生の時に教え方の抜群に上手い英語の先生との出会いが私の英語との関わりの大きな転機だった。高校1年生から英語への興味に目覚め、いつかは欧米人と自由に英語を話せる自分になれることを夢見て、それこそ無我夢中で英語を勉強した。その甲斐あって、その高校英語の恩師と同じ大学の英語学科に進学できた。

英文学を学ぶ英文学科ではなく実用英語を学べる英語学科を選んだつもりであったが、大学ではまだまだ教養としての英米文学を翻訳するという古典的な指導方法で教える英語購読の授業がほとんどであり、いつかは欧米人と自由に英語を話せる自分になるという夢は一生夢のまま儚く消え行きそうで英語への学習意欲を失いかけた2年生の春に親友から「このままあと3年間大学の講義をどんなに一生懸命に受けて成績がオール優であっても絶対に英語は自由に話せるようにはならない!」と宣言された。そして親友と2人で1年遅れであったがESSのドアをノックした。自分でも恥ずかしくなるくらい英語がまったく話せなかった私でもESSの活動(ディベートセクションに所属し、土日祝祭日なし夏休み春休みなし、朝8時から夜9時頃までクラブ活動に没頭して寝ても覚めても英語ディベートのことを考えていた)を通してめきめき上達して、卒業の際には自分の夢にもう手の届くところまで来ていた。

国内組であっても英会話の学習の仕方さえ間違わなければかなりのところまで来られる。帰国子女や海外留学組にだって負けない位の英語コミュニケーション能力を身に付けられる。

語学の才に決して恵まれない私でさえ、高校からの7年間でかなりのところまで上達できた。今の子供達は小さいころから英語を学習する環境に恵まれている。私が通ってきた急な傾斜の岩のゴツゴツした山道よりも遥かに傾斜の低い安全な道を親に見守られ先生にガイドされて確りとした足取りで歩み続ければきっと私の目指した夢「いつかは欧米人と自由に英語で話せる」にたどり着くことが出来るはずである。

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March 27, 2006

小学生以上の入門学習者への英会話指導では読み書きは必要ないか?

小学生以上の入門学習者への英会話指導でテキストを使わずにリスニングとスピーキングのみ指導している英会話スクールがある。小学生以上の英会話入門者への指導ではリーディングとライティングは指導しない方が良いのであろうか?言語学的には文字を教えるかどうかということである。

オーラルでの言語習得において文字は邪魔モノなのであろうか?確かに幼い子供は外国語でもその音声を忠実に聞き取る耳を持ち、聞いた音を母国語の介在なしに忠実に再生できる。就学前の幼児への指導であれば音声オンリーの指導もありであろう。

しかし学校でも日本語の読み書きを本格的に学んでいる小学生以上であれば、英会話でも文字を積極的に教えるべきだ。今までは音声のみで理解していたことが文字を見る(読む)ことによって文字データの言語として認知されるようになる。言葉の配列や細かい音のつながりをしっかりと認知するようになる。ワッチャーネィム?と音声で認知していた表現、名前を聞かれていることは分っていたが、実はWhat is your name?という四つの単語が自然に発話されるとワッチャーネィムと聞こえることを理解する。そしてWhat'sは何?という質問であるということに気づき、yourはきみの、nameは名前のことだと気づく。What'sは何?という質問であることに気づけば、あとは芋づる式に、What's this?  What's that? の質問も理解でき、What's your mother's name? fathermotherという単語を習えば、お父さんお母さんの名前を聞かれていることが理解できる。

英語圏で暮らしていて英語を第2言語(第2生活言語)として獲得するのではなく、日本に生活していて英語をまったくの外国語として学ぶ場合において、文字を導入せずに音声のみで指導するならば、英会話習得の効率がとても悪くなる。何故ならば、音声のみで指導したことは定着せずにすぐに消えてしまうからである。確かに子供は大人と比べて外国語音の聞き取り及びその忠実な再生には優れている。しかしながら、例えば外国人講師の後につけてスムーズにリピートできた単語なりセンテンスがそのまま定着するかどうかという点に関しては心もとない。レッスン後にかなり復習しないとすぐに忘れてしまう。英語圏に暮らしていて新たに習得した単語やフレーズを日常生活の中で繰り返し聞き、自分でも実際のコミュニケーションで使う場面があるのであれば自然と定着するであろう。しかし、日常生活が日本語にどっぷりと浸かった環境で、同じことを期待することはできない。外国語として英語を学ぶ場合には、音声だけでのインプットにはかなり無理があり、それを補完する意味で文字として英語を確りと認知する必要があるのである。

大人の場合にも同じことが言える。例えば今まで学習したことのない英語以外の外国語を音声だけで学習することは困難を極める。先生やCDの後につけて言えたとしても、それを定着させるには何度も何度もその表現を言う必要があり、すぐ忘れてしまうので、忘れてしまわないうちに復習が必要である。

文字として目で見て、確りと文字を声に出して読み、更にその表現を書いてみることによってはじめて、音声だけのインプットとは比べ物にならないくらいに確実に定着するはずである。

別な例を挙げると、就学前幼児は英語圏で1~2年ほど生活し、近所の子供達と英語で遊ぶ環境を整えてあげるだけで、英語がかなりしゃべれるようになって帰ってくる。しかし日本に帰って来て、英語を話せる環境を作ってあげないと、せっかく獲得した英語を話す能力はすぐに消えてしまう。獲得も早いが喪失も早いのである。これに対して小学校以上で現地の学校で確りと文字で英語をインプットしてきた子供達は日本に帰ってから、英語を話せる環境がなくとも、CDなどで英語を聞いたり、英語の本を読んだりすることによって英語力を維持することができ、そう易々と獲得した英語力を喪失してしまうことはない。

就学したらできるだけ早い段階で文字の学習を開始すべきであり、耳だけに頼るのではなく目や口そして手でその単語や表現を体験させることが大切である。英語を目で見て理解でき、声に出して読め、更に書けるようになると、リスニングとスピーキングが飛躍的に伸びる。小学生が学校でも文字を学習して自分で日本語が読み書きできるようになって日本語の聴解力と表現力が飛躍的に伸びることと理論的にはまったく一緒である。国語つまり日本語を文字なしに音声だけで指導する場合と読み書きを指導する場合の日本語習得における効率を考えると明らかに読み書きを指導する方に軍配が上がる。

中学高校でのいわゆる学校英語、読み書き中心の指導方法が批判されるが、批判されるべきは英語を日本語に訳す教え方である。日本語に翻訳するのではなく、英語を日本語に置き換えずに、英語のまま読解または聴解する練習が必要であり、それができるようになって初めて、速読・速聴、直読直解・直聴直解の力が養われ、今流行りの表現をあえて使うならば、日本語を介在しない英語回路または英語脳ができあがる。

文で発話する際の英語文の組み立て、つまり自分で英語を発話する場合には単語は意識されるべきであり、無意味に表現を丸暗記したものだけで発話することはお勧めできない。ある表現を教えたら、その表現を使った質問に自分の言葉で答えさせたり、質問を作らせたりするクリエイティブな練習をすべきである。自分の言葉で質問に答える、自分で相手に尋ねたい質問を作る。このクリエイティブな作業なくして、自己表現としてのスピーキング力は伸びず、英語はいつまでも話せるようにならないのである。更に自分で作った英文を文字として書かせてみることは定着という観点から非常に大切である。

まとめると、小学生以上の英会話入門学習者への指導においてはスピーキングとリスニングだけに力を入れるのではなく、リーディングとライティングもバランスよく鍛え、4技能の集大成としてオーラルコミュニケーションを教えることが必要である。英語でのコミュニケーションスキルの育成、つまり英会話の上達において、4技能に磨きをかけることは遠回りのようで最短の道なのである。

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March 10, 2006

本当に子供は語学の天才なのか?

「幼児や子供は外国語をスポンジのよう吸収してすぐにマスターしてしまう。また英語をたくさん聞いていれば難無くそれを真似て言えるようになる。」と一般的に定説の如く信じられている。本当に子供は大人よりも外国語の習得は早いのであろうか?

確かに親の海外赴任の為に一家で英語圏に住むことになった場合、大人よりも子供の方が英会話の習得が早い。幼稚園児や小学生・中学生であれば2年位現地の幼稚園や小中学校で英語のネイティブスピーカーに囲まれて生活すればかなり上達する。発音や発話がかなりネイティブに近づき、日英バイリンガルになれる素地は十分に身につくはずだ。英語圏で生活して現地の学校に通ってall Englishの授業を1日中受けて、学習した英語を友達や日常生活で使うという英語環境に浸り切ればこれは事実であろう。つまり母国語を学ぶのと同じ環境に居れば英語をあたかも日本語と同じように吸収して身につけることができるのだ。日本語という母語が既に確立されている大人はこうは行かない。日本語が介在して英語の自然な習得を妨げてしまう。

しかしながら、日本に居て日常の会話がすべて日本語という日本語環境において英語を外国語として学習する場合、同じことが言えるのであろうか?英会話スクールや教室に通って週1回1時間足らず英語に触れることによって子供は大人よりも早く効果的に英会話をモノにすることが出来るのであろうか?私はこの問いに対しては声を大にして、「そんなことはない、学校英語で少なくとも6年間英語の授業で学んだ英文法の基礎や基本語彙を持っている大人の方が子供よりも遥かに吸収が早く英会話力が身につく」と言い切れる。つまり、日本に住んでいて日本語の環境で英語を外国語として学ぶ場合には、子供が語学の天才だとは決して言えないのである。週1回1時間足らずのネイティブのレッスンをオールイングリッシュで数年間受けて英会話がマスターできるほど英語は日本人にとって甘くはない。英語圏の人たちにとって日本語をマスターすることが非常に難しいのと同様、日本人がまったく異なる言語体系や音を持つ英語をマスターすることはとても難しいのである。同じインドヨーロッパ語族の母語を話すヨーロッパの人々が易々と英語をマスターするのとは訳が違うのである。

発音習得は別として、新しい単語を習得することや英語表現を覚えて実際の会話で応用することなどについては大人の方が遥かに早く効率的である。このことをしっかり認識していないと大変なことになる。子供は単語を覚えるのに大人の1.5倍から2倍かかるし覚えてもすぐに忘れてしまう。定着させるためには大人以上に何度も何度も繰り返し復習して定着させなければならない。英語教育の提供者はこのことをしっかりと認識すべきだ。「子供は語学の天才!早期に始めれば子供は楽に無理なく効率よく英会話を身につけることが出来ます。」と日本にある英会話スクールや英語教室が広告・宣伝で謳うことはまったく看板に偽りありである。

ところで、残念なことに公立の中学高校で教えているのはあくまでも英語である。英語を使ってのコミュニケーションを教えているわけではない。多くの英会話スクール、英語教室も英会話レッスンといいながら英語を教えている。

では英語を教えるということと英語によるコミュニケーションを教えることの違いは何かというと?

レッスンの中でどれだけ英語による実際のコミュニケーションが先生と生徒の間にあるかということだ。ホワイトボードで文法の解説をしたり表現の意味を説明したりすることはもちろんのこと、発音指導や表現のリピートも厳格にいうと英語を教えているのであり、コミュニケーションを教えているのではない。最近はリピーティングやシャドーイングなどが流行りであるが、大手英会話スクールで学んできた子供達はやたらと先生の発話をリピートしたがる。質問して答えを求めているにも拘らず、質問に答えるのではなく先生の質問を無意識にリピートしてしまう。これはクラスにおいて講師が絶えず生徒にリピートを強要することによって生じる弊害である。つまり先生と生徒の間で英語でのコミュニケーションが成立していないのである。4人以上の生徒がいる教室で指導する場合、先生が生徒1人1人と英語でのコミュニケーションを成立させることはかなり難しい。どうしても1対多のコミュニケーション、つまりクラス全体の生徒に対する英語の指導に終始してしまいがちである。その結果として先生の発話やCDのリピートが多くなる。いくら上手にリピートできるようになったとしても、実際の会話でその表現を使ってみないことには会話力は伸びないのである。リピーティングだけで会話力が伸びるのであればCDやビデオ教材で十分であり、英会話スクールはビジネスとしてまったく成り立たなくなってしまう。

CDを使って自宅で独習する場合にはリピーティングはそれなりに効果的だ。しかし、れっきとした講師が英会話を指導するレッスンにおいては、話は別だ。メカニカルなリピートをなるべく少なくして、生徒に英文を模倣させるのではなく英文を自分の力で組み立てさせる。テープやCDでのリピーティングプラクティスを講師の声でクラスにおいて実践することはまったくノンセンスだ。講師はできるだけ受講生に発話の機会を与え、自力で話すことを促すべきだ。生徒が英語で表現できなかったり間違った言い方をしたりした時にのみ講師は助け舟を出せばよい。最初から講師が模範解答を作ってそれを生徒にリピートさせ習得させようという教え方ではレッスンが単調でおもしろくないし、生徒はいつまでたっても自分の言葉で話せるようにはならない。

What's your name? My name is ... How are you? I'm fine, thank you. What do you like to do in your free time? I like to go to see the movies. など最初は1問1答でも構わない。先生と生徒の会話が成り立てばよい。1問1答がスムーズにできるようになってから、答えのバリエーションや2文3文で応えること、相手に質問し返すことなど各種コミュニケーションテクニックを身に付けていけばよい。

英会話スクールに子供を通わせている親御さん達は驚かれるであろうが、意味のあることを先生と英語でコミュニケーションするという始めの1歩を子供が踏み出せるかどうか?そこに幼児・子供の英会話マスターへの成功が隠されている。

先生と生徒の1対1のコミュニケーションを成立させる最大のレッスン形態はプライベートレッスンであり、いかに生徒に実践会話の機会を講師が与えられるかにその効果がかかっている。実践会話の場、これこそ英語の苦手な日本人が喉から手が出るほど求めているものなのだ。

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January 09, 2006

日本人の甘えの構造と英語によるコミュニケーション

もう25年前の話しであるが、私が米国に留学して最初に一番驚いたのは大学のカフェテリアでサンドウィッチを注文した時だ。
「とてもおいしいので是非食べてみて下さい。」とオリエンテーションで勧められたのでカフェテリアに行って早速注文した。当時の日本でサンドウィッチと言えば、ハムサンド、玉子サンドや野菜サンドなど種類が決まっていて既に調理されたものがパックされたものであり、同じような物を想像していた。

しかし、サンドウィッチセクションに行って、サンドウィッチが欲しいと言うと、いきなり
1)Which would you like for bread? White, rye or whole wheat?
とパンの種類を聞かれて、戸惑ってしまった。

サンドウィッチの材料がすべて取り揃えてあり、注文に応じて特製のサンドウィッチをその場で調理してくれる仕組みだったのだ。

サンドウィッチのパンといえば、それ用に薄くスライスされ耳が除かれた白い食パンしか知らなかったので、White, rye or whole wheat?と聞かれてもrye(ライ麦パン)は聞いただけで食べたことがなく、whole wheat全粒パンにいたっては聞いたこともなかったので、取り敢えずWhite, please. と答えた。

その後も、
2)パンには何を塗りますか?(マヨネーズ、マスタード、マーガリン)
3)野菜は何を挟みますか?(レタス、オニオン、トマト、ピーマン)
4)野菜につけるドレッシングは?(バジルマヨネーズ、チリトマトソース、シーザードレッシング、ハニーマスタード、サウザンアイランド、オイル、ビネガー、ソルト、ペッパー)
5)メインに何を挟みますか?(ハム、ツナ、ターキーブレスト、エッグ、ローストチキン、ローストビーフ、ベーコン)
6)他に何かトッピングしますか?(スタンダードチーズ、チェダーチーズ、クリームチーズ、ピクルス、オリーブ)

サンドウィッチが出来上がるまで6個も質問されたのだ。ろくにパンの種類もわからなかったので、あとはしどろもどろで聞き取れた物を調理師に伝えることが精一杯だった。汗ダクで、心臓はドキドキ、足はガクガク、疲労感と自分の無知への嫌悪感から食欲は一気に失せて、食べたサンドウィッチの味は全然覚えていない。適当に注文したので美味しくなかった事だけは確かである。

「こんなにたいへんな思いをして注文するくらいなら、既に出来上がった日本のサンドウィッチの方が楽でいいや」と苦々しく思った。

これは本で読んで知ったことだが、レベルはまったく異なるが私と同じような経験を著名な心理学者の河合隼雄氏がアメリカに留学中にしたそうだ。

河合氏はサンドウィッチではなく、ある家庭で模様されたパーティで着くや否やホストから「飲物は何がいいですか?」と尋ねられたそうだ。ホストと河合氏の会話はこうだ。

「飲物は何になさいますか?ビール、ワイン、ウイスキーがあります。ソフトドリンクもいろいろ用意していますので、好きなお飲物を召し上がって下さいね。」

「ウイスキーを戴きます。」

「スコッチにしますかそれともバーボン、モルトもありますよ。」

「スコッチをお願いします。」

「水割り、ロック、ストレート、それともソーダ割りにしますか?」

「水割りにしていただけますか。」

河合氏はホストの質問にちょっとうんざりして、「そんなに丁寧に尋ねるよりも何でもいいから、ただ飲物を出してくれたほうがリラックスできて嬉しかったのに」と思ったそうだ。

有名な日本人論「甘えの構造」の著者で精神科医の土居健郎氏によると、私や河合氏がうんざりした原因は一般の日本人が国民性として持っている他人への依存(甘え)にあるそうだ。

確かに日本人の国民性も少しずつ変化してきているが、土居氏の分析は次のとおりだ。

アメリカ的なお客のもてなし方の極意は、一人ひとりのお客様の個人的な希望や欲求を出来るだけ詳しく聞いて、それを充足してあげることにある。だからこそたくさんの質問をせざるを得ないのである。

これに対して、日本的なお客様のおもてなしは、どんな食べ物や飲み物であろうと、選んだり希望を述べさせるという責任を出来るだけお客様に負担させずにホストが気遣うものである。

日本人の客として、河合氏や私はホストに気遣ってもらうこと、ちやほやされること、つまり「ホストに甘える」ということを期待してしまったのである。

相手に甘えるという行為は日本人の日常的なコミュニケーションにおいても無意識に行われている。

若い夫婦は別であろうが、日本人の典型的な熟年夫婦(夫が働き、妻が家事を担う)の会話で、

夫は帰ってくるなり、「風呂にする」と言い、着替えて風呂に入る。風呂から出るといつも通り(言わなくとも)冷えたビールが食卓に出され、ビールを飲み終わったタイミングで、(何もいわなくとも)妻がご飯を出す。更に夫が夕食をほぼ食べ終わるタイミングでお茶が出される。

これはあまりにもステレオタイプな古典的日本人夫婦であるかも知れないが、少なくとも私の父と母は上記のような日常を送っていた。

昼間、家族のために一所懸命に働いて疲れているであろう夫を妻は気遣い、帰宅する時間を見計らって風呂を焚き、季節やその日の気温に応じて夫の一番好む冷たさになるように冷蔵庫にビールを入れて、夕食の準備を整えて夫の帰宅を待つ。夫が「風呂の前に飯にする」と言われてもよいように風呂と夕食を同時に準備しておくのである。

このような古典的な日本人夫婦間において、夫は完全に妻に「甘えて」いる。「風呂を沸かしてくれ」「ビールを出してくれ」「ご飯をよそって持ってきてくれ」「お茶を注いでくれ」などと一切言わなくとも、妻が夫の欲求を察して充足してくれる。

何も言わなくとも自分の欲求を相手が察して何でもやってくれるのだ。言葉に出して言わなくとも自分の真意を相手が察して理解してくれる。これが日本人の「甘え」なのであろう。

「甘える」と聞くと、子供が親に甘えることを想像する人が多いと思うが、子供が母親に甘えて何でも、言わなくても母親が自分の世話を焼いてくれる心理と、上記のように大人が他の大人に対して「甘える」という心理は限りなく近いものだと私は思っている。それだからこそ、土居健郎氏は「日本人の甘えの構造」とあえて「甘え」という表現を使ったのであろうことは想像に難くない。

私には今年8歳になる娘と10歳になる息子がいるので、子供達と母親の関係を観察してきた。子供が母親に「甘え」ている間は親は子供の面倒をせっせとみるが、ある時期が来てもっと自立してほしいと思えば、いままでやってあげていたことを敢えてやらずに子供に自分でやることを促す。最初、子供達は母親に甘えて自分で出来る事も母親に「やってやって」とせがむが、自分でできることを母親がもうやってくれないと自覚すると自分でやるしかないので自分でやるようになる。そうこうしているうちに子供達は母親から心理的にも行動的にも徐々に自立してゆく。そのうち、母親が自分のために用意した洋服が気に入らなければ自分で気に入った服をタンスから引っ張り出してきたり、出された食事で自分が食べたいものだけ食べて、食べたくないものは残すし、自分が食べたいものが冷蔵庫に入っていることを知っていれば自分で取り出してそれを食べるようになる。

ある意味、お互いに相手の気持ちを察して大人がお互いに甘えあえる日本社会は素晴らしいと思う。しかし、外国人に日本人と同じように甘えられると考えるのはよくないことだ。

米国人女性と結婚した日本人の夫に対して「夫は自分を愛していると思って結婚したにもかかわらず、夫は自分のことを愛しているといってくれないので確信がもてなくなった」という不満で心理カウンセリングを受けたという話しはよくあることだ。夫の言い分として、「自分は妻のことは心から愛しているが、それを言葉でどう表現してよいのかわからないし、結婚した後も愛しているよと口に出して言うことは照れくさいしあまりしたくない。愛していることは口に出さなくとも普段の行動から十分に妻に伝わっているはずだと思っていた。」と言うはずである。

これも、「言葉に出さずとも自分の気持ちを相手が察してくれてしかるべきだ」という、妻に対する夫の一種の「甘え」と解釈することができよう。

再び私の留学中の経験だが、私は日本人留学生としてシアトルの米国人家庭にホームスティしていたことがある。ある日、隣人のお客さん(弁護士)の男性をディナーに招いて家族と一緒に食事をしていた。ホストファーザーが私をその人に「日本人からの留学生だ」と紹介してくれたので、
Nice to meet you. My name is Toshikazu Ichimura. I come from Tokyo and I'm majoring in linguistics at Seattle University.
と自己紹介すると、その人はいきなり、
Oh, really? What kind of linguistics do you study? What made you decide to study linguistics at Seattle University? What is a major issue in Japan? Cars? (日本では今何が問題になっているのですか?自動車ですか?)などと立て続けに質問してきた。私は質問に上手く答えられずに赤面してしまったことを憶えている。特に最後の質問には、Yes, probably.(はい。多分そう思います。)としか答えられなかった。当時は日米間で自動車の輸出に関して激しい貿易摩擦が起こっていた最中だったので、日本人としての私の意見を聞きたかったのであろう。
「初対面なのだからもう少し簡単に答えられる質問をしてくれてもいいのに」と自分の不甲斐なさを棚に上げて心の中で叫んでいた。少なくとも私に対して興味を示し、いろいろと質問してくれたにもかかわらずである。

パーティなどで初めて会った英語圏の人との英語でのコミュニケーションの中でこのようにいろいろと質問されて上手く答えられずにちょっとうんざりした経験をお持ちの読者も少なくないと思う。特に日本人は自分の意見や出張をハッキリとダイレクトに、しかし攻撃的でない方法で述べることが苦手とされている。私は学生時代に英語ディベートを散々やったので、どうも自分の主張を述べるときに攻撃的になってしまう。

以上述べてきたように、時として日本人の国民性、日本式コミュニケーション方法が英語によるコミュニケーションの障害物となり得る。

特に、相手に言わなくてもわかって欲しいという「察しの文化」に根ざした「甘え」や、「遠慮」「控えめ」を美徳として自己表現をしないことは、英語でのコミュニケーションにおいては何の役にも立たない。

英語でのコミュニケーションにおいては、逆に自分の好き嫌いをはっきりさせて、自分の希望や欲求をきちんと表現し、自分の意見や主張を明確にしたほうが上手く行く。

私がこの記事で主張しているのは、「英語圏の意思疎通文化の方が日本のそれよりも優れているので、皆さん見習いましょう。」ということでは決してない。
英語でのコミュニケーションの時には英語文化の意思疎通方法を取った方がよりスムーズなコミュニケーションが可能だということだ。

話しをしている相手や場面状況に応じて、話し方を変えたり言葉を選んだり、どこまで踏み込んで自分の意見を主張するかなど、上手な使い分けが出来れば良いのである。

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January 01, 2006

アニメ映画「あらしのよるに」で英会話を学ぶ意義を考える

アニメ「あらしのよるに」を小学生の子供と見てきた。絵本作家、木村祐一氏のロングセラーの絵本が原作で、TBSテレビの「テレビ絵本」が好評を博して、ついにアニメ映画で公開された。子供の絵本が原作なので常識を超えたファンタジーである。人間で言えば10代の若者であろう山羊の「メイ」と狼の「ガブ」が嵐の夜に暗闇の山小屋で出会い、自分たちの群れ(狼=食うもの、羊=食われるもの)を裏切ってまでその友情を貫き通そうとする。

私は何故「狼」と「羊」という敵対関係がある物たちが友情で結ばれるに至ったかに興味があった。英語教育のブログを書いている私の解釈はこうだ。明るい昼間に2匹が出会っていたならば、言葉を交わす前に間違いなく羊は狼の餌食となっていたであろう。しかし2匹は相手の姿かたちが見えない暗闇で出合って、(子供の絵本なので日本語で)言葉を交わした。激しい雨に打たれ恐ろしい雷を逃れて辿りついた小屋で同じ境遇のものに会えば、ちょっと安心して心を許して会話するはずである。しかも気が合えば話しは弾む。話しが弾めば友情だって芽生えるかもしれない。お互いに相手が誰であるかがわからなくとも、究極それが敵味方であろうとも共通言語でのコミュニケーションの力は絶大である。所詮は子供の絵本のファンタジーで、現実にそんなことはあり得ないと思われる人も多いかと思うが、最初の出会いの場面で私は別な映画の1シーンを思い出した。

実在のピアニスト、シュピルマンの実体験を綴った回想録を基に、戦火を奇跡的に生き延びたピアニストとその生還に関わった人々の姿を描いた映画「戦場のピアニスト」(自身もゲットーで過ごした過酷な体験を持つロマン・ポランスキー監督作品)である。収容所を脱走した主人公のユダヤ人ピアニストが戦火の中逃惑い、終戦間近のある夜に逃げ込んだ空家でドイツ人将校と鉢合せしてしまう。ドイツ人将校は即刻銃殺することもできたが、将校はユダヤ人にいくつか質問し、シュピルマンがプロのピアニストであったことを聞き出す。そして将校はユダヤ人にその家にたまたまあったピアノを弾かせた。その演奏にとても感動したドイツ人将校はシュピルマンを匿う、しかも十分な食料と自分のコートまで与える。感動的なピアノ演奏という強烈な要因があったが2人の間に友情が芽生えたことは間違いなさそうである。もしも2人にドイツ語という共通言語が存在しなければシュピルマンはピアニストであることを打ち明ける前に銃殺されていたかもしれない。

上記2つの例は類い稀なケースであるが、一般論として異文化および異境遇な人間の間にコミュニケーションできるだけの共通言語が存在すればお互いのことを理解し合え、気が合いさえすれば友好関係を築くことができるのではあるまいか。

先日、コソボ紛争におけるセルビア系住民に対するアルバニア系住民の迫害の過去を乗り越えて個人レベルで友情関係を育んでいる人々がいることをテレビのドキュメンタリーで見た。やはり友好関係の第一歩は言葉による対話であった。

日本の歴史教科書問題、小泉首相の靖国参拝、領土問題でギクシャクした関係が続いている日中、日韓関係。反日運動のニュースをテレビや新聞で見聞きしてとても残念に思っているのは私だけではなかろう。

私には個人的に中国人と韓国人の友人が数名いるが、英語以外の外国語ができないので、いつも英語で意思疎通している。彼らとは少なくとも英語を媒介として、個人レベルではあるが相互理解し、交友関係を維持できている。

英語をコミュニケーションの道具として学ぶ意義のひとつは、まさに異文化間での相互理解と交友関係にあると、子供と「あらしのよるに」を見て強く感じた。

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December 18, 2005

英語圏の社会的な話し方のルール

日本人が英語をもっと上手に話せるようになるためには、次の3点を実践する必要があると前の記事に書きました。

1)「日本語的な発想で考えた日本語を英語に置き換える」ということをやめる。

2)「英語的な発想で考えて、英語の語順で表現する」という訓練をする。

3)「英語での話し方の社会的なルール」に則って実践会話練習をする。

だいぶ間が空いてしまいましたが今回の記事ではこの3番目のポイント、「英語圏の社会的な話し方のルール」について書きます。

英語圏の社会的な話し方のルールを知っていると、よりスムーズな英語でのコミュニケーションが可能になります。

例えばアメリカ人の知り合いに、 
 
Your English is very good.

と自分の英語を褒められたら、あなたは何と答えますか?

思わず謙遜して、

No, no, my English is not good yet.

と答えませんか?

日本語では普通の返答ですが英語では謙遜せずに素直に褒めてくれたことに対して、Thank you. とお礼を言うのが一般的な返答の仕方です。日本人は相手に褒められてそれをそのまま受け入れるというよりも、謙遜することを美徳と考えています。

同窓会などにとびっきりおしゃれして出かけて、「素敵なスーツね。お似合いだわ。」などと褒められても、「ありがとう」とは応じずに、「あらそうかしら、これ古いんですよ」などと必ずと言っていいほど謙遜します。

これを外国人との英語での会話でそのまま言ったらどうでしょう?
  
 A: You look really nice in your suit!
 B: Oh, really? This is actually very old.
 A: ???

せっかく相手の良いところを褒めたのに、賛辞を素直に受け入れないなんて変な人だなと誤解されてしまうかも知れません。またそう返答された外国人は何と言ったらよいか閉口してしまうかも知れません。

「謙遜の美徳」という文化的な価値観は日本人特有のもので、英語圏の「社会的な話し方のルール」にはそぐわないものだと思います。

別な例を挙げます。

お客様を「夕食などに」招待してお迎えする時、米国では
 
「さあ、お入りください。ワインもスコッチもビールもありますし、お料理もたくさん用意しておりますのよ。どうぞくつろいで、ご自由にお取り下さいね。」

などとたくさん飲物や料理を用意していることを強調します。
 
これに対して日本人は謙遜して、

「何もございませんが、どうぞ」などと言う事が普通でしょう。

外国人をお客様で迎えるときにそのまま英語で、

 We have nothing to serve you at home.
 But please come in.

と言ったら、お客様はちょっと気分を害してしまうかも知れません。

このように「褒める」「歓迎する」「謝る」「断る」「依頼する」など様々な言語行動(発話行為)についてそれぞれの文化で独自の「社会的な話し方のルール」があります。
 
使用言語の文化において文化的に異なる言語行動をしてしまうと「相手に誤解」されたり、それがその文化で良くないものであれば、「相手に不快」な思いをさせてしまったりする危険があります。ですから、外国人とその人の言語で話をする時に、相手の文化に対して
基本的なことは必ず押さえ、その文化での社会的な話し方のルールに則って発言すべきでしょう。

私たち日本人が英語で英語圏の人たちと会話する場合、英語圏での社会的な話し方のルールに従って英語で会話すべきだということです。逆の立場で、日本人と外国人の人たちが日本語で会話をする場合には、日本文化の持つ社会的な話し方のルールに従って日本語で会話すべきでしょう。

皆さんよくご存知のように、言語と文化(その言語を話す人々の生活習慣や考え方など)が密接に関連しているからです。英語圏の社会的な話し方のルールに則って発話すれば、自然に英語的な発想で英語が話せるはずです。つまり英語圏の文化が持つ社会的な話し方のルールを確りと学んでから会話をすると、よりスムーズな英語でのコミュニケーションが可能になるということです。

別の見方をすると、英語圏の文化が持つ社会的な話し方のルールに則って英語を発話することを心がければ、自然に英語的な発想で英語を話すことになるのです。

 
ここで問題です。
 
英語圏の先生に何か贈り物を手渡すときに、日本語では「つまらないものですが」と言葉を添えるのが一般的ですが、英語では何と言ったら良いでしょうか?

皆さんは、日本語を英語にそのまま置換えて、This is a trivial thing. などとはもう言わないはずです。

ヒントは、

「つまらないものですが」に隠されている言外の真意を考えて下さい。

日本語は「察し」の言語だとも言われています。最後まで言わなくても相手に自分の真意を察して欲しいのです。「つまらないものですが、お気に召せば幸いです。」というニュアンスが言外に含まれているのです。

英語でのコミュニケーションで言葉を最後まで言わずに相手に自分の真意を察してもらうことを期待することはできません。逆に自分の真意をストレートに言わないと相手には伝わりません。

ですから英語では、I hope you'll like it. と言葉を添えるのが適切です。

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November 27, 2005

これからの英語学習は「対話型」を目指さなければならない!

私は以前ブログでTOEICの点数をアップするという「受信型」英語学習はもう古い、これからは「発信型」英語学習だと書いたが、発信型英語学習という考えでもIPコミュニケーション社会には十分に適応できないことに気づいた。

TOEICが登場する前から学校英語は、「中学校から大学卒業まで10年間も英語を学習するにもかかわらず日本人は英語が話せるようにならない。」という決まり文句的な批判を浴びていた。そこで登場したのがTOEICである。大学受験に代表される受験英語から学習者を解放しビジネスの場面で真に使える英語力を測定するという触込みでTOEICはスタートした。しかしながらTOEICの約20年間の歴史を振り返ってみると、確かに内容的には現在はネイティブスピーカーでも使わないような表現や重箱の隅を箸でつつく様な細々とした文法ルールを問う問題は改善されたが、大学入試のための英語受験勉強とTOEICの点数を上げるだけのためのTOEIC対策学習は50100歩であるといわざるを得ない。

なぜか?

大学の受験勉強は長年読解のための英文法、長文読解というリーディング力(実は英語を如何に日本語に訳すかという翻訳能力または日本語に訳した上で内容を理解するという訳読力)に尽きる。明治の開国から第二次世界大戦終結までの、欧米の技術や最先端知識に追いつき追い越せという時代であれば、その技術なり知識を英文で書かれた書物で読解する必要性が高く、音声での情報収集は考えられない時代であったのであるから、英語学習の主たる目的が英文の読解能力の育成であったとしても、それは当然といえば当然である。

しかし時代とともに我々が必要とされる英語力は姿を変える。最近になって大学入試でリスニング力が問われるようになり、益々TOEICの大学入試との差別化が難しくなってきた。大学入試の問題も以前と比べると遥かに実用的なものになってきたが、もはやリーディングとリスニングを問うテスティングは時代遅れである。

しかしながら、「これからは自分から情報を発信しなければならない。つまりライティングとスピーキングの時代だ。」と声高に叫んだとしても、その考えはインターネットが普及する前までの考え方かも知れない。ビジネスの場面で、ビジネスレターを郵送したりテレックスで送信するという方法で情報提供したり、自社の製品や商品の優れた点をプレゼンテーションで発表するという一方向性の情報提供の時代はインターネットの普及と共に終焉した。今時、国際郵便でレターのやり取りをして商売をしている会社は存続していないはずだ。情報をレターという文字情報にして伝達する方法およびスピーチやプレゼンテーションという音声情報伝達手段で、原稿を予め用意し十分にリハーサルを踏んだ上で発表する準備された発表方法(Prepared Speech or Presentation)という形式のライティング・スピーキング、それらを象徴する一方向性の「発信型」情報伝達のための英語教育・英語学習だけでは事足りなくなってきた。

私が主宰している英会話スクールの社会人の生徒さんで英会話レベルは決して高くない人でも海外での学会や海外出張で英語でのスピーチやプレゼンテーションを行っている人は少なくない。予めスピーチやプレゼンテーションの原稿をネイティブ講師に手伝ってもらって作成、発音や声の出し方などネイティブ講師について十分に発表練習をすればそれなりのスピーチやプレゼンテーションはできる。しかし、そんな方々の共通の課題はまず発表後の質疑応答だ。スピーチやプレゼン直後のQ&Aセッションであれば予想の範囲内の質問を講師に作成してもらい答え方も予め用意して練習しておけば何とか切り抜けられるようだ。しかし彼らが本当に困るのはセッション後のパーティや食事会におけるいわゆる自由な場面での「対話」だそうだ。どんな質問が出るかはその場の雰囲気であり、どんな人と会話をするかによって話題も変わる。特にビジネスパーソンで接待する側であれば尚更である。硬い話題ばかりではないので、様々な話題に適応して英語で相手との会話を進めなければならない。

英会話力初級の人でも英語で準備したものをモノローグというかたちで「発信」することは可能であるが、何が話題として飛び出すかわからない自由な会話場面でのダイアログ、つまり「対話」には適応できないのである。「対話」においては、発信者としての自分の情報伝達が完了したとたんに、相手から質問や情報が提供され、それに即反応しなければならないからだ。情報伝達の「発信」準備時間が限りなくゼロに近づいている。

情報伝達における一方向性からの進化型は双方向性である。対面式の「対話」のみならず文字情報でのコミュニケーションにおいても「発信」準備時間が短くなってきた。電子メールにより外国とのやり取りでさえ相手がオンラインであれば瞬時に自分のメッセージが相手に届く、急いでいる場合には送信して5分も経たないうちに相手から返信が届いてそれに対してまた応答するという双方向での「対話」に近いかたちの文字情報コミュニケーションが可能になったのである。

また「高価な国際電話」という表現はすでに死語となった。最近の若い人はKDDが国際電信電話の略で、国際電話をかけるときには国際電話交換士を経由して3分数千円という高価な国際電話料金をKDDに支払わなければ海外の人と電話で話せなかったことを知らないだろう。IP電話・スカイプ・メッセンジャーなどインターネット網を使った双方向音声伝達ツールの普及により国際的な音声コミュニケーションの敷居は格段に低くなった。

もう、一方通行の情報発信のための「発信型」英語教育・学習の時代はすでに終わったのだ。これからはIP通信という時間的なロスのない双方向でのコミュニケーションの時代である。「発信型」ではなく「対話型」である。「発信型」が目指しているものはいかに自分の情報を「正確にわかりやすく、適切に」相手に提供し、それを受けた相手がその情報を読んだり聞いたりして理解、説得されるということが問題とされる。しかしながらこのような情報提供は一方向のモノローグである。これからは「対話」つまり即興性が要求される。自分が情報発信したらすぐに相手から返事が来る。すぐに返信してきた相手は、それに対するできるだけ早いリスポンスをこちら側にも求めるものである。国際的なコミュニケーションにおいて「即興性」が益々その重要度を高める。

前述のとおり「対話」とは対面での会話に代表される口頭でのコミュニケーション能力である。モノローグに対するダイアログである。「発信型」ではいかに効果的に自分の思いを表現して相手に伝えるか、その必要十分条件として「正確さ」と「適切さ」を追求してきた。「発信」と「対話」との相違はモノローグとダイアログとの違いである。

スピーチと会話との対比でもう少しわかり易く説明しよう。

スピーチでは聴衆に伝えたい自分の思いをまず文章にして、それから言葉として発する。自分が意図する意味が誤解されないように「正確に」「適切に」表現するように内容を吟味し十分な発表練習をしてからスピーチに臨む。意味の流れは直線的である。発表者(speaker)から聴衆(audience)へメッセージが言葉として伝達され聴衆がスピーチの意味を理解する。多くの場合、スピーチの原稿は予め作られ、言うべき英文は出来上がっておりそれを読み上げるか暗記したものを発表するので、発表の途中で修正を加えることは稀である。

これに対して会話においては相手との共同作業で意味を作り出す。意味の流れは双方向である。テニスの如く言葉のボールが行ったり来たりする。相手が打ってきたボールによって自分のショットも変わってくる。つまり相手と言葉を交わしながら話しが展開され、相手の言葉を聴きながらお互いが意味の調整を行い会話が進んで行く。自分の意図が相手に上手く伝わっていないようであれば言葉を付け加えたり言い方を変えたりする。発話を途中で放棄したり前言を取り消したりすることもある。これを会話における話者の「情報修正」という。場合によっては、自分が上手く表現できなかったことを相手が手助けしてくれて初めて意味が通ることもある。

また会話においては相手が自分の発話を待っているので即興性が要求される。一般的には日本語でのコミュニケーションよりも英語でのコミュニケーションにおいての方がリスナーはせっかちである。英語での会話において、自分の発話にポーズが空くとすぐに相手が話し始めてしまう。何も言わずにポーズを空けるのではなく、let me see, you know, I meanなど「自分は今次に言うことを考えているのですよ」という言葉のシグナルを発すると、言いたいことがすぐに出てこない時に間を繋ぐことができる。

英語圏の人々と対等に英語で会話をするためにはモノローグとしての「英語発信力」だけでは不十分だ。会話をする時には日本語でもしているように相手に繰り返しや説明を求めたり、誤解を解いたり、理解を確認したりするという会話の流れの調整が必要だ。これができないと自然な会話の流れの中で相手と共同でお互いの意図を交換しあうことができない。つまり英語での会話において話し相手と協同でお互いの意思を尊重しながら相互理解をするためには英語特有のコミュニケーションストラテジーを身につけないといけないということだ。(英語特有のコミュニケーションストラテジーについては別な機会にもう少し詳しく述べてみたい。)

「受信型」→「発信型」→「対話型」と英語教育・学習の目標はコミュニケーションメディアの進歩に伴って進化し続けている。

今回のブログは少し硬い文章となってしまったがこれはビジネスの世界だけの話ではない。今流行の「右脳学習法」「音読」「リピーティング」などでモノローグとしての「発信型」英語力は鍛えることはできるかもしれない。しかし上記の「対話型」英語コミュニケーション力はネイティブとの実践的なコミュニケーションの場で鍛えて行くのが最も効率が良いだろう。疑う余地はもはやない。

PR: エース英会話スクールでは、外国人と対等に英語で「対話」できることを目標にレッスンを実践しています。

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November 03, 2005

ビンバンブン経営者へ物申す: 英会話教育と会社経営

ご存知の方々も多いと思うが、英会話家庭教師派遣業の最大手のビンバンブンが倒産した。

2日の毎日新聞記事を引用する。

家庭教師派遣会社:破たん、受講料8億余円は返済不能に
英会話の家庭教師を派遣する「ビンバンブンクラブ」を全国展開する「オーブエデュケーションシステム」(さいたま市大宮区)と「エデュケアシステム」(東京都新宿区)が東京地裁に自己破産を申し立てたことが分かった。同社の派遣事業は28日に終了し、東京地裁が翌日、破産手続きの開始決定を出した。受講者は全国で約2万6000人に上り、返済不能な前払い受講料は2社で約8億4000万円の見込み。同社は会員らに受講料返還は不可能とする通知をしており、受講者の間で「被害者の会」を結成する動きも出ている。2社の負債総額は約48億円の見通し。両社は「脳内革命」などを出版した「サンマーク出版」を含む企業グループを運営するSMG(東京都新宿区)の系列会社。毎日新聞 11月2日

また、同日の朝日新聞の記事によると講師に対しても未払いの賃金が1億1千万円もあるそうだ。

同業の経営者として同社に対して強い憤りを感じる。
社会的な責務の一端を担う会社は当然未受講分前払い受講料を返還すべきだ。講師に対しても賃金の未払いは許しがたい行為である。破産した子会社ができないのであれば親会社のSMGがすべての責任を果たすべきだ。

受講料3年分35万円を一括払いというのも度を越している。一括で払えない人へは信販会社にローンを組ませていたようだ。

ビンバンブンに関してはここ数年ネット上で教務のいい加減さに関して苦情が絶えなかったようだ。ビンバンブンに勤務していたという講師の方から担当していた生徒さんに紹介したいと弊社のパンフレット請求で直接連絡をもらったが、講師に対しても事前に何の通達もなく、倒産の件は外部メディアで知ったという。講師に対する研修もサポートも殆どなかったようだ。

関係者によると「中途退会者が新規入会者を上回り、受講料返還経費などがかさんだ。」ということだ。教務運営がずさんであれば中途退会者が増えるのは当たり前である。

教育産業における会社組織はビジネスだが、利益一辺倒では決して成功しない。

今回の倒産劇で思い出したのはECC外語学院の創始者、故山口勇氏の次のような言葉である。私は新卒で20年以上前にECCに就職したが、山口氏の新入社員への訓示で、

「英会話スクールにおいて一番大切なことは、営業と教務のバランスだ。絶えず経営者は50%-50%のバランスを考えないといけない。これは経営者だけではなく社員も講師もこれを絶えず念頭において仕事をしないといけない。営業が教務よりも重んじられると生徒は逃げていく。しかし教務にばかり一生懸命で営業を軽んじると会社としての経営が成り立たなくなる。50-50が理想だ。1%であれ、どちらかに傾いてはスクールの発展はない。」

山口氏はゼロからECCを立ち上げ、現在もECCはビジネスでも英語教育でも成功を収めている。

私たちエース英会話スクールも襟を正してスクール運営と教務のバランスを保たねばと強く感じた。

PR: エース英会話スクールでは、長年英会話の業界に携わってきた経営幹部が、運営と教務のバランスを理想的な50-50にすべく最善を尽くし一般家庭へ英会話家庭教師を派遣しています。

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October 23, 2005

この英会話学習方法で日本人は英語が話せるようになる

前回の続きで、なぜ日本人は英会話が苦手でどうしたら英語をうまく話せるようになれるのかについて書きます。

私のメルマガ読者でも読む価値があるように途中展開を変えています。

まずは少し復習してみましょう。

1. 日本語的な発想と英語的な発想の違い

英語を上手く話せない日本人は「日本語の発想で考えた表現」を「英語」にそのまま置き換えて話そうとしてしまいます。
 
 独身のOLの会話で
 「ニューヨークで買ったネクタイをね、彼の誕生日にプレゼントするの。」

これを日本語の発想でそのまま英語で話そうとしてしまいます。

 ニューヨークで買った  bought in New York
  ネクタイ             necktie
  彼の誕生日プレゼント his birthday present

  bought necktie in New York and his birthday present.

こんな英文になってしまいます。

何となく意味は通じそうですが、完全にブロークンイングリッシュですね。

そこで! 私は

 「英語的な発想で英語を話しましょう」と提案しました。

私の提案

1)英語は必ず主語と動詞から話し始める。

上の例では、

  主語 I 

日本語では主語を省略しがちですが英語では必ず主語を言う

  動詞 give

「プレゼントする」は物をあげると発想
 
  これからあげるので → 未来 → be going to

  あげるつもりだ → I am going to give  → I'm going to give
  

2)英語は主語と動詞を言ったら、次に「一番相手に伝えたいもの」を言う。
 
I'm going to give と言ったら次は何が一番大切でしょうか?

   私はあげるつもりだ...

   聞いている人の身になりましょう。

「私はあげるつもりだ」ここまで聞いたら、当然

  誰に? 
  何を? 
  いつ?
  
が知りたいですね。これは英語でも日本語でも同じです。

 誰に? 「彼に」 独身のOLなら、
  
   私のボーイフレンド my boyfriend
      
     私の彼にあげるつもりだ → I'm going to give my boyfriend

 何を? 「ネクタイを」   → a tie

  いつ? 「彼の誕生日に」 → on his birthday

  
3)英語では一番重要なことを最初に言ってから説明を加えていくのでしたね。

ここまでで重要な事はほとんど言いました。
   
  でもそのネクタイってバーゲンで買った安物じゃなくて
  私がニューヨークに行った時に買ってきたものなのよ!

これを是非、いいたいのであれば、

   そのネクタイって?
   
    → ニューヨークで買った

    → I bought a tie in New York.

 I'm going to give my boyfriend a tie on his birthday.
      
 I bought a tie in New York.

この2つの文を関係代名詞 which で繋ぎます。

I'm going to give my boyfriend a tie on his birthday which I bought in New York.

☆これで英文が完成です。お疲れ様でした。

ちょっと堅苦しい英文ですが、初めはこんな感じで英文を組み立てていくのが一番簡単です。

英語の発想に慣れたら、もっと自然な口頭英語として、
 
I bought a tie in New York as a birthday gift for my boyfriend and I'm going to give it to him on his birthday.

などと言えるようになります。

でも、こんな英文を最初から言うことはちょっと難しいです。
 
このような英文を「リピーティング」や「音読」か何かで覚えて、それをそのまま実際の会話で使ってみようとしても上手く行きません。

あなたは独身のOLではないからです。

また独身のOLだったとしてもまったく同じ会話の状況は滅多にあり得ません。

最近は「リピーティング」「シャドーイング」「音読」「右脳学習」などで
英語の回路を頭につくろう!という英会話学習方法が幅を利かせています。
 
もちろんリスニングやリーディングの速聴や速読、スピーキングの発音やリズム・イントネーションなどの習得にはとても効果があります。

しかし自分で言いたいことを自分で組み立てて英語で表現する、皆さんがなってみたい「自分の思っていることを自由に英語で話せる」人になれるための効果的な学習方法としては役不足です。

上記学習方法をスピーキングに生かす方法として共通しているのは

「何度も繰り返し言ってみて覚えて、その一部を変えて実際の会話で応用する。」ということです。

でも、これではいつまでたっても借文から脱却できません。

 何かが足りないのです?

 私は足りないものは、

自分の持っている英語の語彙や文法知識をフル活用して自分なりの英文を創造する、クリエイティブなオーラルプラクティス(口頭練習)だと考えています。

英文と聞くと中学・高校で勉強した英語の5文型を想像する人が多いと思います。

確かに英語の文構造は5文型で成り立っています。しかしそんなに難しく考える必要はありません。

5文型の知識がない英語圏の子供たちは立派に英文で話しています。

なぜでしょう?

単純な発想がここでは必要です。

英語を習得する過程で英語圏の子供たちは英語の基本的な文構造としてSVαをまず身につけるそうです。

S は文の主語、V は動詞、そしてα は動詞に続く情報です。

SV を言ったとしても言い足りなければ何らかの情報を追加しないと文は完結しません。

SVα この基本を唯一おさえれば英文は作れます。

α に何を置くかを気にすることはありません。動詞がそれを決めてくれるからです。

例えば、次のSV の後に好きなようにα (動詞に続く情報)を英語で追加してみて下さい。(カッコ内は追加可能な情報のヒント)

1) She looked (~のように見えた)

2) Ted made (~を誰かのために作った)
 
3) Mary will give  (誰かに何かをあげる)
 
4) He cannot make (誰かを~にできない)

5) Alice put (何かをどこかに置いた)

どうですか?

上の文は第2文型から第5文型を含んでいます。

あまり文型は意識しなくても動詞の後にα(情報)を追加すると考えると案外簡単に英文がつくれます。

解答です。

1) She looked happy. 彼女は幸福そうだった。(幸福そうに見えた)

「~のように見える」という意味のlookの後には、sad, excited, well, sickなど感情や健康状態を表す情報を追加する。

2) Ted made the table for his family.

 テッドはそのテーブルを家族のために作った。

「~を作る」という意味のmakeの後には、a model airplane, a gardenやcookies, sandwiches など物や食べ物を表す情報を追加する。

3) Mary will give her father a shirt.

 メアリーは父にシャツをあげるつもりだ。

「あげる」という意味のgiveの後には、「誰に」という人を表す情報と「何を」という物を表す情報を追加する。

4) He cannot make her happy. 彼は彼女を幸せにできない。

「人を~にする」という意味のmakeの後には、「誰を」という人を表す情報と「~に」と人の感情や状態または職業(He cannot make her his secretary.)を表す情報を追加する。

5) Alice put her glasses on the piano.

 アリスはピアノの上にメガネを置いた。

「置く」という意味のputの後には「何を」という物を表す情報と「どこに」という具体的な場所を表す情報を追加する。

このように動詞の意味によってどんな情報がどんな順番で追加されるかが決まってきます。

同じ動詞のmake でも「~を作る」という意味と「人を~にする」という使役の意味の場合に次にどういう情報がどんな順番で置かれるかが違ってきます。

2)のTed made the table for his family.を

 Ted made his family the table. とは絶対に言えません。

「~を作る」という意味のmakeはその後に必ず作る「物」が直に追加され、家族という「人」が追加される場合には、「人を~にする」という使役の意味になってしまうからです。

家族をテーブルにしてしまうのは論理的に意味がおかしいですよね。

逆に4)のHe cannot make her happy. を

He cannot make happy for her. とも言えません。

makeが「~を作る」という意味になってしまうからです。

幸福を彼女のために作ることはできませんよね。

賢明な読者はここまで読んで気づいたと思いますが、英語圏の子供たちが完璧な英文を発話できるのは、

文型を学校で学んでその文型に当てはめて英文を組み立てているからではありません。

主語と動詞を言ったあとでその動詞の意味を完結するため、(意味がおかしくならないように)自然に情報を付け加えているからです。

「先に文型ありき」ではなく、「先に意味ありき」です。

もともと文法や文型は人々が使っている話し言葉や書き言葉を体系化して後からルールとしてまとめたものです。

ここが重要なポイントです。

つまり言語をその文型に当てはめて話そうとすることは、とても不自然なことだということです。

自然に英語を話すためには文型を意識せずに主語と動詞を言ったあとにその動詞の意味する情報を論理的に追加すればよいということです。

ピンと来ない人のために上の例文を使ってもう少し説明してみます。

1) 「彼女は幸福そうに見える」を表現する場合、

主語:彼女は She

動詞:見える looks (自動的に=無意識に動詞にsがつく)

情報:「どんな風に見えるのか?」を追加情報として言えばよい。

→ 幸福そうだったら happy
→ 悲しそうだったら sad
→ とても元気そうだったら very well
→ 気分が悪そうだったら sick

5) 「アリスはピアノの上にメガネを置いた」を表現する場合、

主語:アリスは Alice

動詞:置いた put (過去なのでsはつかない)

情報:「何を置いたのか?」を追加情報として言えばよい 

 誰の? → 彼女の  her
 何を? → メガネを glasses
 
She put her glasses だけでは情報は完結していないので更に追加して
 
 どこに? → ピアノの上に on the piano
 
  She put her glasses on the piano.
 
どうでしょうか?

動詞の意味を論理的に追っていけば自然と次に何を言ったら良いのかが見えてきませんか?

考えてみるとこれは当然です。

相手に伝えたいメッセージがありそれを言語にしたときに言い足りなければ言葉を続けなければなりません。

自然に英語を話すコツをもう一度繰り返します。

自然に英語を話すためには文型を意識せずに主語と動詞を言ったあとにその動詞の意味する情報を論理的にかつ自然に追加する。

皆さんが感じているように、これは確かに「言うは易く行うは難い」です。

しかしながら私は誰でも確りとした英語学習論に則って、十分に練習すれば、誰でも英語が話せるようになると信じています。
 
ここで私の言う確りとした英語学習論とは皆さんの年齢と大きく関わってきます。

皆さんが10歳未満の幼児や小学校の低学年の親御さんでお子さんのためにこのブログを読んでいるのであれば、

皆さんのお子さんはまだ言語習得臨界期前ですので、

英語をイメージとして捉え、そのまま右脳に刷り込む学習方法=英語のみによるダイレクトメッソッドや大量のリピーティングまたはシャドーイング学習によって、上記「文型を意識せずに動詞の意味する情報を無意識に追加できるようになる」可能性があります。

※詳しくは私の別なブログ記事「小学校高学年からの英語(英会話)学習」をお読み下さい。

残念ながら、読者の皆さんのほとんどは10歳以上の英語学習者でしょう。

皆さんは既に言語学習臨界期後ですので、上の子供への学習方法を行ったとしても同じような効果はあまり期待できません。

むしろ皆さんは、

英語の文法や文型を概念(言葉のルール)として理解し、右脳のイメージというよりも、論理的に左脳をフル活用して文字として英語をインプットすることが大切です。

※もちろん右脳学習と左脳学習がオーバーラップすることはありますが、主軸を誤ってしまっては効果は薄いと言わざるを得ません。
 
そこで最後に臨界期を越えた皆さんのために無理なく英文を組み立てるコツを伝授します。

英語では、主語と動詞を言ったあとに大切な情報を付け足すと前述しました。

気づかれた方も多いと思いますが、追加される情報自体は日本語と同じです。

日本語: 「アリスはピアノの上にメガネを置いた」

       置いた→ 「ピアノの上に」 「メガネを」

英語: Alice put her glasses on the piano.  

       put → 'glasses' 'on the piano'

何が違うのでしょうか?

「何を」「どこに」という相手に伝えるべき情報自体は同じなのですが、その情報をどういう順番で追加するかという「語順」です。

英語ではその付け足していく情報のことを「チャンク」と呼びます。

チャンクとは「意味のあるひとかたまり」の情報のことです。

 彼女は置いた   Alice put
 彼女のメガネを  her glasses
 ピアノの上に    on the piano

チャンク(意味のひとかたまり)をどう決めるのかについてのルールはありません。私は皆さんが英語をスムーズに話すのに一番わかり易いチャンクを提示しようと思っています。

「誰が」「する」という主語と動詞はワンセットでチャンクとします。くどいようですが、英語スピーキングでは主語と動詞が要だからです。あとは追加すべき情報をチャンクとします。

いきなり言うのはちょっと難しいと書いた上記英文を思い出してください。

I bought a tie in New York as a birthday gift for my boyfriend and I'm going to give it to him on his birthday.

チャンクでまとめてみます。

 私は買った I bought

 ネクタイを a tie

 ニューヨークで in New York

  誕生日プレゼントとして as a birthday gift

  彼のために for my boyfriend

  そして and

  私は~するつもりだ I'm going to

  彼にそれをあげる give it to him

  彼の誕生日に on his birthday

英語ではこのチャンクを文法ルール(規則)に則って組み立てて(並べて)会話をします。

どうですか?

チャンクに分解してみると自分でもこのぐらいの英文なら1から創れそうな気になってきませんか?

英文を丸ごと何回もリピートして覚えてから応用するよりも、

自分で最初から英文を組み立てられる力を養った方が、

皆さんのゴール「自分の思っていることを自由に英語で話せる」

への近道であると私は考えています。

つまり、皆さんが英語で自由に会話をするためには、

 1)英語らしいチャンクが作れるかどうか
 2)作ったチャンクを文法的に正確に組み立てられるかどうか

が大切になってきます。

チャンクを作るためには、語彙力がなければ駄目です。

また正確なチャンクの組み立てが出来るためには文法的な知識が必要になります。 

つまり、英会話が出来るようになるためには、英語表現をたくさん覚えて文法も学ばなければならないということです。

しかしこのような英語知識(語彙力+文法力)は英語を上手に話せるようになるための必要条件であったとしても必要十分条件ではありません。
 
英語の知識だけでは英会話は上達しないということです。

知識として獲得した英語力を実際の会話で使える英語運用力に変えていく十分な口頭練習が必要なのです。

次回の記事につづく。

お楽しみに!

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October 04, 2005

どうすれば日本人はもっと上手く英語で話せるようになるのか?(Part-1)

どうすれば日本人はもっと上手く英語で話せるようになるのでしょうか?

今回から3回に分けて、
なぜ日本人は英会話が苦手なのか?
どうすればもっと上手に英語で話せるようになるのか?
を論じてみます。

英会話初級者の人でもわかるように簡単に書きますので、
是非おつきあい下さい。

これから書くことは、自分で英会話が苦手だと感じている人や
自称「英会話初級者」の皆さんにとっては有益な記事でしょう。

 私のメールマガジンの読者は内容が重複していますので、
 お忙しい方は読む必要はないかもしれません。
 でも、少しアプローチを変えていますので、お時間のある方は
 復習のつもりで読んでみて下さいね。

それでは、結論から書き始めます。

日本人が英語をもっと上手に話せるようになるためには、
次の3点を実践する必要があると私は考えています。

1)「日本語的な発想で考えた日本語を英語に置き換える」ということをやめる。

2)「英語的な発想で考えて、英語の語順で表現する」という訓練をする。

3)「英語での話し方の社会的なルール」に則って実践会話練習をする。

以上の結論を皆さんに「なるほど!そうだったのか!」と思って
いただけるように、少しずつ説明していきます。

英語を上手く話せない日本人は、日本語的な発想で考えた日本語を英語に置き換えて話そうとしてしまいます。

いきなりですが、

「私の大学は関東大学です。」を英語で言ってみて下さい。

あなた: (声に出して言ってみて下さい)

スムーズに言えましたか?

それでは解答です。

日本語的発想から、

My university is Kanto University. と言ってしまいがちですが、

これでは大学の所有者になってしまいます。

英語では、I go to Kanto University. (関東大学に通っている)
と発想します。

日本語で発想すると日本語の表現に惑わされて英語で表現できなかったり、表現できても日本語的な変な英語になってしまいがちです。

いくつか例を挙げてみますので英語で何というか考えてみて下さい。

「風呂に入る」  →          enter a bath ではなく take a bath

「頭を冷やす」  →          cool one's head ではなく cool off

「計画を立てる」 →          set up a plan ではなく make a plan

「それについてどう思いますか」  

 →  How do you think about it? ではなく
                                           What do you think about it?

簡単に言うと、英語を話すときに日本語が先に浮かんでしまうと
その日本語に惑わされて上手く英語が話せないということです。

どうですか、皆さんは英語を話すときに頭の中に浮かんだ日本語を
英語に置き換えていませんか?

「英語を話すときには、英語で考えて英語で話しなさい。」
とはよく言われることです。

でも、急にそんなことを言われても、どうやっていいのか・・・
わかりませんよね?!

皆さんの声が聞こえてきます。

「日本語で発想せずに英語で考えて英語を話した方がいいことは
わかりました。では、具体的にどうやったらいいのですか?
教えて下さい。」

ある大先生は、

「日常で見たこと聞いたこと、そして思ったことや感じたことを
すべて英語で考えてみましょう。」

とアドバイスするかも知れません。

でもこれって、とっても難しいですよね。

実際の会話で英語を話すのではなく、頭の中で英語で考えたり、
ひとりでぶつぶつ英語でつぶやくなんてできるんでしょうか?

それが出来るくらいだったら、もうとっくに英語は話せるはずです。

私たち日本人の思考言語は当然、日本語です。

日本語で考えるのが普通です。

それを英語で思考しなさいというのはちょっと無理があるのでは
ないでしょうか?

そこで私のアドバイスです!!!

 英語の語順で発話すると、自然に英語の発想になる。

 英語は、「主語」+「動詞」で話し始めよう!

これだけです! 簡単そうでしょ?

英語と日本語で決定的に違うのはその語順です。

日本人にとって韓国語を学ぶのが英語よりも遥かにたやすいのは
韓国語の語順が日本語に近いからです。

そういえば、韓国の人たちも日本人に劣らずに英語が苦手でしたよね。

TOEFLの平均点では日本と韓国がビリを競い合うぐらいですから…

英語を話すときに日本語的な発想になってしまう原因の多くが、
語順にあると私は考えています。

ここで問題です。

智子さんになって、Andyさんの質問に即答してみて下さい。

Andy: Hi, Tomoko. How was your weekend? Did you go anywhere?

Tomoko: (考えないで即答して下さい)渋谷に映画を見に行った。

どうですか?スムーズに英語が出てきましたか?

 Yes, I went to Shibuya to see movies.

と即答できた人は合格です。

英語で発想して英語で答えられました。
英語の語順で答えられたからです。

Shibuyaと思わず言ってしまった人は、日本語的な発想で答えて
しまいました。

日本語の語順になってしまったからです。

日本語では省略されがちな主語を英語で意識的に立てることが、
英語的な発想の入口です。

英語 の基本的な語順は、必ず主語と動詞が目的語(補語)の前に来ます。

 ☆英語:主語+動詞+目的語(補語)
            I     have   a dog.

これに対して日本語では、主語が省略されることが多く、
目的語(補語)をいきなり最初に言ってから動詞を最後に言うことが
一般的です。

☆日本語:目的語(補語)+助詞(てにをはが)+動詞
       「犬」       「を」        「飼っている」

他の例: 英語って難しい。 家に帰る。 ピザを食べる。
      パソコンは嫌い。 クラッシックが好き。

上の例では、Shibuyaといきなり行った場所を言ってしまうと
文が作れません。

Shibuyaと言いたいところをぐっとこらえて、
主語と動詞をまず言います。

 誰が(主語)→ I

 行った(動詞)→ went(goの過去)

最初にここまで言えれば後は楽に話せます。

 渋谷へ → Shibuya

I went Shibuya.と言ってしまっても意味は通じるはずですが、
日本語の「へ」に相当する行き先(場所)を表す前置詞toをつけて、
 
 I went to Shibuya.

と言えば立派な英文の完成です。

☆次のポイントを おさえて下さい

[日本語の語順]

1)話し言葉では主語を省略することが多い。
  (私は、 あなたは、彼は、など)

2)目的語や補語を先に言う。 「犬を」

3)次に動詞が来る。 「飼っている」

[英語の語順]

1)英語では主語は命令文以外絶対に省略しない。  I

2)主語の後には必ず動詞が来る。  have

  (助動詞や副詞などの修飾語が主語と動詞の間に挿入される場合がありますが、ここでは単純化します。)

3)動詞の後には動詞を具体的に説明する目的語や補語が来る。
   a dog

 (副詞句や副詞節が来る場合が多いのですがここでは単純化します。)

少しだけ応用してみましょう♪

I went to Shibuya. が基本ですがもっと言える人は、

具体的なこと(一緒に行った人、行った目的、行った時間など)を
一つずつ言い加えていきます。

5W1Hです。

いつ? どこで? 何を? 誰に(と)? どうやって? なぜ? 

誰と → with my friends(友達と)
   I went to Shibuya with my friends

何しに→ to see movies (映画を見に)
   I went to Shibuya with my friends to see movies

時間 → in the afternoon (午後)
   I went to Shibuya with my friends to see movies in the
   afternoon.

付け加える情報の順番は多少前後しても大丈夫です。

I went to Shibuya to see movies with my friends in the afternoon.

I went to Shibuya in the afternoon to see movies with my friends.

でもOKです。

ここまでの長さになると自分には無理だと感じてしまう人がいるかも
知れません。

ご安心下さい!

ちょっと練習すれば誰でも言えるようになります。

なぜなら、

主語と動詞を先に言ってしまえば、あとは情報(目的語や補語、および副詞句や副詞節など)を付け加えていくだけですから、慣れれば簡単です。

英語的な発想で主語が言えれば、自然と英語の基本パターンが
身に付きます!

(次の記事につづく・・・)

お楽しみに!

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