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October 04, 2007

プロの英会話講師は「良き聞き役」である。~生徒が主役の教え方~

コロンビアティーチャーズカレッジのジョン・ファンスロー元教授(TESOL初代会長)は、「いつも準備した同じ教え方をせずに生徒に合わせて柔軟に指導すべきだ。」という教授理論を展開していた。レッスン準備は事前に入念にすればするほど良いレッスンを生徒に提供できるという一般論に対する強烈なアンチテーゼである。

いつも同じ教材を使って決まった教え方で指導する、「最初に教材ありき(Textbook Centered)」「最初にメソッドありき(Method Oriented)」的な教え方は熟練の域に届かない講師、アマチェアスクールの教え方である。プロフェッショナルなスクール、熟練講師が目指すべきは、「最初に生徒ありき(Student Centered)」的な指導法である。そして最も効果的な指導方法は、同じテキストを使っていてもひとり一人の生徒に合わせてその使い方を巧みに変えて、生徒を満足させるレッスンを柔軟に展開できる講師の力量・技から生まれる。

ACE英会話では、0歳~3歳までの乳幼児への英会話指導を始めた。そのレッスンを観察していて、0歳から3歳までの乳幼児に英語を指導することは大人への指導以上に難しいと実感した。この年齢への指導では、準備した教材や教え方に生徒が興味を示さなければそれは使えないからである。講師がいくら時間をかけて念入りにレッスン準備をしたとしても、それに生徒が興味を示さなければ講師のその努力は徒労と化す。その日・その時に・その場で生徒が興味を示す、テキスト・フラッシュカード・絵本や玩具、CD、DVDなどを駆使して指導しなければならない。

幼児の時間的な捉え方は、「今」「ここで」である(now and here)。過去のことは考えられない。ましてや自分の未来や将来のことなどは眼中にない。それ相応の年齢になれば、ここで我慢してこれをやっておけば将来に役立つと考えるようになる。つまり年齢や人生経験によって時間的なスパンが現在を起点にして、それが過去や未来に伸びるのだ。年齢が若ければ、過去は短く未来は果てしなく長い。逆に年齢が高くなると自分の人生において長い過去があり、未来の持ち時間は少なくなってくる。自ずと過去を振り返ることが多くなり過去の思い出や記憶を追う時間が増えてくる。

「今」「ここで」楽しくなければ学ぼうとしない幼児には、まさに「最初に生徒ありき」の生徒主体 (Student-centered) 的な教え方をしないと上手く教えられないのだ。また、前回上手く行ったことが今回も上手く行くとは限らない。その日のその時の子供の気分次第である。また子供の興味は移ろいやすいものである。子供の成長や興味を的確に分析して、その日その時の子供の気分を的確に分析してレッスンを展開しなければならない。

これこそファンスロー教授の主張するところの生徒に合わせた柔軟なレッスンの実践であろう。「今」「ここで」子供の欲求を理解するには、まずは子供の欲求に耳を傾けることである。聴くという行為は相手を理解し、相手を認め受け入れることである。子供に多くを語ってもらう為には、私はあなたの話しに興味があるし、しっかりと聞いていますよというフィードバックを相槌や顔の表情、体全体で表現しなければならない。大人は相手が発する「ちゃんと聴いていますよ」という小さなノンバーバルなメッセージを見逃さないが、幼児や子供の場合には大袈裟な位に「ちゃんと聴いていますよ」あなたのお話しにとても興味があるし、もっとお話ししてほしいなあというメッセージを目立つ形で表現しないといけない。大袈裟に笑ったり、拍手したり、「相手が言ったことの気持ちを代弁して」、「そお、おもしろかったねえ!こわかったねえ!さびしかったねえ!かなしかったねえ!おかしいねえ!」などと相槌も自ずと大袈裟になる。その位、聞く方の大きな働きかけがないと子供が何を望んでいるのかを聞き出すことはできない。

幼児や子供に限らずこれは十分に大人のレッスンにも応用できる。例えば連休明けのレッスンでいきなりテキストを開始するのではなく、連休はどうだったか?尋ねることはとても効果的だ。何処かへ行ったり、何か普段しないような活動やレジャーやアクティビティをしたのであれば人に話したいはずである。ましてや楽しかったのであれば「こんなところに行きました」「こんなことをしました」と人に話したいものである。こういうタイムリーな会話をレッスン前に必ず入れれば生徒は今日のレッスンではどんなことを話そうか自ずと考えるはずである。「今日はこんなことを先生に伝えよう」「こんな話題を提供しよう」などと生徒は考えるようになり、知らず知らずのうちにテキストや講師中心のレッスンではなく、生徒中心の、生徒が主人公のレッスンになる。

人は自分の生活や活動などを人に話したいものである。おしゃべりな人は人の話しにはあまり耳を傾けず、自分のことを話し続ける。それだけ自分のことを知って欲しい、自分に関心を持って欲しいと思っているのだ。単純に言うと、とにかく自分の話を聞いて欲しいのだ。一番生徒に人気のない講師は、いつも自分のことばかり話している講師だ。生徒はいつも聞き役で、先生の話しを聞かされる。これでは生徒はその講師のレッスンがイヤになっても当然だ。これに対し、自分のことはあまり語らずに生徒の生活・活動・趣味・仕事などに絶えず興味を持ち、生徒の話しに耳を傾ける聞き上手の講師は生徒から好かれる。人とのコミュニケーションにおいて誰でも主役(話す人)になりたい、講師は敢えて主役を生徒に譲り自分は脇役(聞く人)に徹せられれば熟練の優秀な英会話講師と言えるだろう。

人の話しを聞く事はとても難しい。ましてや生徒の英語レベルが入門や初級であれば、生徒の英語を聞くことにはそれなりの忍耐が必要だ。また英語力のなさから話しの内容が一度ではわからないこともあるはずである。そんな時にも忍耐強く生徒の話しを聞いてあげられる度量があれば生徒は多少足りない英語力でも一生懸命に話すはずである。幼児の母親が一生懸命に話そうとしている我が子の話しを聞いてあげるあの優しい眼差しと態度が講師には求められる。

こう考えてみると幼児への英会話指導と入門・初級レベルの大人への指導は同じであることに気づく。幼児であれ大人であれ、いつもコミュニケーションの主役になっていたいのだ。先生が自分の興味や行動に感心を示して英語で話しかけてくれる。それでこそ、生徒は心を開き講師に英語で積極的に英語を話そうという気になるのだ。自分の英語で、できる範囲で話しをしてみる。先生に自分の英語で思っていることが少しでも伝われば、満足度はぐっと増すはずだ。逆に自分の話した英語が絶えずチェックされ、発音や文法および言葉の使い方(語法)などを矯正されたらどうだろう。生徒は途端に口を噤むはずである。話せば話すほど自分の英語による発話からエラーが次々と講師から発見され、直される。自分の英語はなんておかしいのだろう。自分は何でこんなおかしな英語しか話せないのだろう。何故いつまで経っても正確な英語が話せないのだろうと自己嫌悪に陥ってしまう。自ずと話しの内容よりも正確さに意識が行き、先生に面白い話しをしてあげよう、こういうことを話してあげようという話しの内容が疎かになり、正確だがつまらない無味乾燥な話しかできなくなる。だいたい日本人の会話力が学校の英語の授業で伸びないのは先生が生徒の英語の正確さを評価し過ぎるからであろう。正確さには目を瞑りその発話内容の面白さを評価されれば少しぐらい正確さにかけたとしても面白い話しを英語でしてやろうという気持ちに生徒はなるはずである。

講師は「良い聞き役」になり生徒を良き話し手(主役)にレッスンをしてあげる。このことは、「言うは易く、行うは難い」である。これができるようになれば講師は熟練の域に達したことになる。レッスン開始時に生徒に合って生徒の顔をみて何を話したいのか察した上でレッスンを進める。準備したことだけを必死に教えこもうとしているうちはまだまだ新米講師の域を出ていない。いつも同じ教材を使って同じ教え方をしていてはダメなのである。生徒との関わりの中で柔軟にその日のレッスン内容を生徒とのコミュニケーションの中で見出し、レッスンを進める。これが英会話の指導、特に生徒のスピーキング、英語によるコミュニケーション力を高める最高の指導方法である。ジョン・ファーンスロー教授が提唱する教授方法はすべての英会話講師が目指すべき熟練の技、教えるプロの技である。

PR: ACE英会話ではいつも生徒がレッスンの主役である。講師は脇役となり、生徒の話しにできるだけ耳を傾ける教え方を目指している。

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