アニメ映画「あらしのよるに」で英会話を学ぶ意義を考える
アニメ「あらしのよるに」を小学生の子供と見てきた。絵本作家、木村祐一氏のロングセラーの絵本が原作で、TBSテレビの「テレビ絵本」が好評を博して、ついにアニメ映画で公開された。子供の絵本が原作なので常識を超えたファンタジーである。人間で言えば10代の若者であろう山羊の「メイ」と狼の「ガブ」が嵐の夜に暗闇の山小屋で出会い、自分たちの群れ(狼=食うもの、羊=食われるもの)を裏切ってまでその友情を貫き通そうとする。
私は何故「狼」と「羊」という敵対関係がある物たちが友情で結ばれるに至ったかに興味があった。英語教育のブログを書いている私の解釈はこうだ。明るい昼間に2匹が出会っていたならば、言葉を交わす前に間違いなく羊は狼の餌食となっていたであろう。しかし2匹は相手の姿かたちが見えない暗闇で出合って、(子供の絵本なので日本語で)言葉を交わした。激しい雨に打たれ恐ろしい雷を逃れて辿りついた小屋で同じ境遇のものに会えば、ちょっと安心して心を許して会話するはずである。しかも気が合えば話しは弾む。話しが弾めば友情だって芽生えるかもしれない。お互いに相手が誰であるかがわからなくとも、究極それが敵味方であろうとも共通言語でのコミュニケーションの力は絶大である。所詮は子供の絵本のファンタジーで、現実にそんなことはあり得ないと思われる人も多いかと思うが、最初の出会いの場面で私は別な映画の1シーンを思い出した。
実在のピアニスト、シュピルマンの実体験を綴った回想録を基に、戦火を奇跡的に生き延びたピアニストとその生還に関わった人々の姿を描いた映画「戦場のピアニスト」(自身もゲットーで過ごした過酷な体験を持つロマン・ポランスキー監督作品)である。収容所を脱走した主人公のユダヤ人ピアニストが戦火の中逃惑い、終戦間近のある夜に逃げ込んだ空家でドイツ人将校と鉢合せしてしまう。ドイツ人将校は即刻銃殺することもできたが、将校はユダヤ人にいくつか質問し、シュピルマンがプロのピアニストであったことを聞き出す。そして将校はユダヤ人にその家にたまたまあったピアノを弾かせた。その演奏にとても感動したドイツ人将校はシュピルマンを匿う、しかも十分な食料と自分のコートまで与える。感動的なピアノ演奏という強烈な要因があったが2人の間に友情が芽生えたことは間違いなさそうである。もしも2人にドイツ語という共通言語が存在しなければシュピルマンはピアニストであることを打ち明ける前に銃殺されていたかもしれない。
上記2つの例は類い稀なケースであるが、一般論として異文化および異境遇な人間の間にコミュニケーションできるだけの共通言語が存在すればお互いのことを理解し合え、気が合いさえすれば友好関係を築くことができるのではあるまいか。
先日、コソボ紛争におけるセルビア系住民に対するアルバニア系住民の迫害の過去を乗り越えて個人レベルで友情関係を育んでいる人々がいることをテレビのドキュメンタリーで見た。やはり友好関係の第一歩は言葉による対話であった。
日本の歴史教科書問題、小泉首相の靖国参拝、領土問題でギクシャクした関係が続いている日中、日韓関係。反日運動のニュースをテレビや新聞で見聞きしてとても残念に思っているのは私だけではなかろう。
私には個人的に中国人と韓国人の友人が数名いるが、英語以外の外国語ができないので、いつも英語で意思疎通している。彼らとは少なくとも英語を媒介として、個人レベルではあるが相互理解し、交友関係を維持できている。
英語をコミュニケーションの道具として学ぶ意義のひとつは、まさに異文化間での相互理解と交友関係にあると、子供と「あらしのよるに」を見て強く感じた。
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