December 23, 2009

中国語会話をマスターする最も効果的な学習方法とは?

私は日本人に英語のみならず中国語をマスターしてトライリンガルになることを強く推奨しております。それでは日本人はどのように中国語会話を効果的に学べるのでしょうか?
次の学習項目(シラバス)を次の順番と学習方法で学んでいけば、日本人は中国語会話を3年以内にモノにできます。

1.中国語の発音・四声の基礎学習(同時にピーインも習得)
中国語は日本語よりも多種多様な発声・発音を使う声調言語と言われています。まずは中国語会話マスターの第一歩として中国語の声調を身につける必要があります。

2.日常会話でよく使われる基本単語及び決まり文句的なフレーズ・単文レベルでの音読
上記で習得した中国語の声調(発音・四声・ピーインの基本)を元に中国語の決まり文句的な単文まで中国人に通じる発音で音読できることを目指します。

3.リスニング+音読での中国語文法基礎+構文パターンの習得
会話ができるようになるためには必要最小限の文法を学ぶ必要があります。しかし日本の中学高校英語で指導しているような詳細に渡る文法の学習までは必要ありません。実際の会話で相手の言った中国語文を正確に聞き取って、さらに自分で中国語文を中国語の文法規則に則って表現できる為の必要最小限の文法知識及び構文パターンの習得は不可欠です。中国語の文法書を黙読して文法知識を獲得する学習方法は会話を前提にしているものではありませんので効果的とは言えません。自分が中国語で表現したいことを中国語文で構成できるように構文パターンをCDや先生の声を模範に自らも声に出しながら習得する方法が一番近道で効果的です。このような音読での構文パターンの練習をしながら、同時に文法基礎知識・語彙の増強・リスニング力・スピーキング力が同時に身に付きます。

4.文字に頼らないリスニング+リピーティング訓練
ある程度自分で中国語のセンテンスを正確な声調で音読できるようになったら、次の段階、文字を見ずに中国語を聞き取って、文字を見ずにリピートする訓練を行ないます。 この段階では実践的な会話を意識して実際の日常会話で交わされる中国語の対話文(ダイアログ)を使って学習することが大切です。上記までの構文パターンの学習はあくまでも単独の一文での学習であり、挨拶・質疑応答・相手の言ったことに対するコメント・感想・意見など実際の会話の流れでの自然な発話は学んでいません。発音の基礎・基本文法知識・単文音読ができる段階になってから、始めてダイアログを使った文字に頼らないリスニング+リピーティングで実践会話の基本を身につけます。

5.日本語を即座に中国語で表現する瞬間英作(オーラルトランスレーション)
ここまでに習得した発音・文法・構文・会話表現を駆使して、日本語を即座に中国語で表現する瞬間英作(オーラルトランスレーション)の訓練を始めます。上記4まではインプット学習でしたが、ここで始めて自分が表現したいことを自分で中国文によって表現するアウトプットの練習に入ります。4までにインプットした知識を実際の会話で運用するための橋渡しがこのオーラルトランスレーションです。テンポ良く日本語を中国語で表現できるようになったらこの段階も卒業です。

6.中国語のみでの質疑応答・返答訓練(クイックレスポンス)
オーラルトランスレーションメソッドでは日本語が介在しております。この中国語のみでの質疑応答・クイック応答訓練は一切日本語が介在せず、相手の言ったことを日本語に翻訳せずにそのまま中国語で理解、更に中国語の質問や発話に対して、中国語で即座に返答・応答することにより日本語からの脱却が計れます。ここまで来て始めて中国語で考えて発話する段階となるわけです。この段階では一問一答的な会話練習で、一つの質問に即答、相手の一つの発話に応答する訓練を十分に行ないます。同時に相手に質問する、自分から話しかける練習も行います。

7.実践会話練習
一問一答的なクイックリスポンスがある程度できるようになった段階で中国語のみでの実践会話練習を行ないます。自己紹介や自分の家族・趣味・仕事など身近なトピックからスタートして徐々にプライベートな会話から社会性のあるトピックへと会話の範囲を広げて行きます。世界の経済情勢や環境問題などについて自分の意見を述べたり、自分の仕事内容を詳細に渡って説明・描写したり、説得・討論・意見の相違の調整など知的な会話ができるように徐々に難易度を上げていき、最終的には様々な話題について討論できるレベル(中級~上級レベル)を目指します。

8.リーディング・ライティング学習
上記実践会話練習と併行して様々な中国文(新聞・雑誌・書籍など)に触れ、自分でもまとまった文章を中国語で書く練習を行ないます。(エッセイライティングなど)この中国語でのリーディング・ライティングは会話での中級~上級レベルを目指すためには不可欠であり、読んだモノに関する自分の意見を中国語でまとめて書いたモノを中国人講師がチェックしてアドバイスを受けます。

9.日本語+英語+中国語トライリンガルとして社会で活躍する。
あとは身につけた中国語を実社会で活用してみましょう。中国人相手のビジネスでは特に、日英バイリンガルに完全に差を付けられます。外国語をマスターするということは相手の文化・風俗・習慣を同時に学ぶことであり、中国人について深く理解することができているからです。たとえ中国人と日本語や英語で会話をしたとしても、中国人との意思疎通は確実なものであることにあなたは気づくでしょう。

以上の指導方法を(株)エース外語では「中国語の家庭教師:チャイアットホーム」で実践しております。

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November 26, 2009

もはや英語ができるだけのバイリンガルでは不十分!

ちょうど1年前のリーマンブラザーズの破綻によって顕在化されたアメリカ経済の地盤沈下は、世界経済における米国の地位を完全にNo.2へと追いやった。米国は十年以内にGDP比で中国とインドに抜かれる。日本も同じ立場だが日本が東アジア圏に存在するという地理的な意味から米国経済の凋落とは異なると私は考えている。

20世紀は英国と米国を中心にした英語圏(ユーロ・アメリカン)の時代だった。しかし、21世紀はBRICs特に中国を中心にしたアジア圏(東アジア圏+ASEAN諸国など)の時代である。今回の世界経済不況によりその大きな潮流は決定的なものとなり、世界経済におけるアジア諸国の台頭と米国・欧州圏の地位の低下は激流となって世界経済の流れを大きく変えようとしている。

日本と米国及び中国との関係を簡単に比較するだけでこの流れが現実となることは火を見るよりも明らかである。将来、中国市場は潜在的には米国(4億人)の3倍以上になる可能性は大、つまり米国の3倍以上の強大な経済圏となる(13億人)。日本との関係でも米国との貿易量よりも既に中国がそれを上回っており、この差は益々広がり、将来的には中国との経済の関わりが、米国との経済の関わりの3倍以上になると思われる。インド・ASEANなど他のアジア諸国との経済関係を含めると米国・ヨーロッパのそれを5年~10年以内に大きく上回ると思われる。

以上のような世界経済の潮流を鑑みるに、これから国際社会で活躍出来る日本人として、日本語と英語ができるだけのバイリンガルでは不十分だと言える。いわんや、子供達が大人になって活躍する時代には上記世界経済となっていることは必然である。結論からすると英語+他のアジア言語(特に中国語)が出来る日本人、つまりトライリンガルの育成・養成が今後の日本における外国語教育の肝になると予想する。

私も遅まきながら最近中国語の学習を始めたが同じアジア圏の外国語の習得がこんなに楽だとは予想を遙かに超えていた。日本人が英語を習得する約3倍のスピードで中国語はモノに出来る。韓国語であれば更にもっと容易くマスターできてしまう。ヨーロッパの人達が外国語を2カ国語3カ国語もマスターすることに驚いていたが、同じインドヨーロッパ語族の外国語であればそれも容易いと合点が行った。日本人であれば、英語+もう1カ国語(アジア圏の言語:中国語・韓国語・タイ・マレー・タガログ・その他)はマスター可能であると中国語の学習を始めて確信した。私は今年丁度50才になり、まさに50の手習いであるが3年以内に中国語をマスターする自信は大いにある。

これから外国語を学習する子供達および現在英語を学習している若者には特に声を大にして言いたい。「英語マスターだけで満足せずにもう一つアジアの外国語をマスターしてトライリンガルを目指そう!」5年後10年後に私の提案の重みをきっと実感できるはずである。

弊社は幼少より英会話中国語会話を同時進行で学習することを奨励し、日本の外国語教育の変革を促す原動力に微力ながらなりたいと思っています。(株)エース外語は日本人の外国語学習としてトライリンガル教育を推奨します!

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November 18, 2009

瞬間英作で英語はもっと楽に話せるようになります!

人は「おぎゃあ!」と生まれたときから母国語(母語)を学び始めます。先ずはひたすら母語を聞きます。母親や父親の言葉に耳を傾けひたすらその音を聞きます(ヒアリング期間)。その内聞いている言葉には意味があることを知り、それを聴き取って理解しようとします(リスニング期間)。意味が理解できると面白くなり母親や父親が自分に何を言っているのか必死に理解しようとして理解出来た時にはとても嬉しくてそれに反応するようになります。最初は笑ったり手や体を動かしたりして反応します。

その内言葉で反応するようになり、母親や父親が言った言葉を真似して口に出すようになります。最初は聞き取れた音のみを口に出しますが弱い音素は無視して強い音、言いやすい音のみを発します。(例えばママ、パパ、マンマ、ワンワン、ブーブーなどという具合です。)そしてトライアンドエラーを繰り返しながら両親の言葉に近い母語が徐々に話せるようになります。最初は母親や父親が使う言葉や表現をそのまま真似ます。

私の娘が確か3才位の時に、「パパこっちおいで」と私に言ったことを今でも覚えています。普段私が娘に「有彩、こっちおいで」と呼んでいたからそれを真似してそう言ったのですね。周りの人が使う表現を最初は真似してそのまま使っていても、それだけでは満足出来ずに、いろいろと応用して自分の思っていることを表現するようになります。娘もその内「パパこっちにきて」とちゃんと言えるようになりました。息子が6才で小学校に上がる前に「ぞうさん」と言えずに「じょうさん」「じょうさん」、「じどうしゃ」と言えずに「じじょうしゃ」「じじょうしゃ」と言っていたので妻と一緒に慌てて息子が正確に発音できない言葉の矯正をしたことも覚えています。特に小学校の先生からの指摘がなかったので小学校では問題なく正確に日本語を発音出来るようになったようです。

その後、成長した子供達は話す相手や場面や状況に応じて相応しい表現を身につけ、両親や家族だけではなく接するすべての人と言葉でコミュニケーションしながら母語で会話ができるようになります。母語の習得でさえこれだけの年数を費やして、たくさんの母語を「聞いて」「真似して言って」「応用して話して」ようやく身につくのです。外国語の会話習得(外国語が話せるようになる)にも同じように年数が必要なはずです。

学校英語だけでは、語彙・文法を学んで英語はある程度読解出来るようになりますが、英語は話せるようにはなりません。何故ならば、学校はたくさんの英語を「聞いて」「真似して言って」「応用して話して」という訓練を生徒に本気になって提供していないからです。

「英語を聞き流すだけで話せるようになる。」「英語が聞き取れるようになれば話せるようになる。」ということはあり得ません。上記母語の習得でさえ、聞くだけでは話せるようにはなりません。母語で出来ないことが外国語で出来るわけがありません。

それでは英語をたくさん聴いて口に出せば英会話はできるようになるのでしょうか?「音読」「リピーティング」という英語を口に出す学習方法がありますが、ある程度決まり文句的な表現は言えるようになるでしょうが、まだまだ不十分です。上記の「聞いて」「真似して言ってみる」止まりだからです。
そこから先、どうやって「応用して話す」訓練ができるのでしょうか?
英会話スクールに通ったり、外国人のプライベート教師に習ったり、いっそ英語圏に留学して何年か学習すれば英語は話せるようになります。

それでは、時間的にも経済的にもそれが出来ない人は英会話習得をもう諦めるより他ないのでしょうか?
いいえ、諦める必要はありません。私が代表を務める(株)エース外語が開発した特製CD(日本語→英語という順番で録音)を使って様々な日本語を瞬時に英語にして口に出す訓練を行えば、「応用して話す」という訓練がセルフスタディ(一人で学習)出来ます。

私は今年丁度50才になります。英会話はもうかれこれ30年以上も学習(近年はもうほとんど学習らしいことはしていませんが、仕事で外国人講師の採用をしたり打合せをしたりして英語を書いたり読んだり話したり)しています。自分では日英のバイリンガルの域に達したと思っています。私の会社で中国語教育ビジネスを開始することになり、同時に私は中国語の学習を始めました。いわゆる50の手習いですね。

そこで中国語をセルフスタディできる方法をいろいろと試している内にCDを使った「瞬間中国語作文メソッド」(覚えた中国語の構文パターンを応用して日本文から中国語を瞬時に作って言ってみる方法)に巡り会いました。中国語は「ニーハオ」や「シェイシェイ」しか知らない、それこそゼロからのスタートでした。自分でも驚いているのですが、それでも6ヶ月ほどの学習で中国語の基本的な会話が出来るようになったのです。まだまだ自由に話せるという域にはほど遠いのですが、ベーシックな中国語会話は出来るようになりました。それこそ「ひょうたんから駒」のように身をもって「瞬間外国語昨文メソッド」の絶大な効果を知ったのです。

私は自称、英会話教育のプロですから、これを応用してなんとか英会話がもっと楽に話せる英語スピーキングCDが作れないか研究して、ついに「瞬間英作で英会話マスター!スピーキング講座 E-Speaking」を完成しました。この特製CDコースで一人でも多くの方に、英語をもっと楽に話せるようになって頂き、私が中国語学習で経験した驚きと感動を感じて頂きたく切に願っております。

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September 07, 2008

英語を自由に使ってみる機会が本当に大切!

直前のブログ記事「幼児・小学生が英会話(英語)を学ぶ最大の意義」で、幼児・小学生までは恥ずかしいという観念が中学生以上の大人よりもかなり希薄であり、文法的に間違っていようが発音が少しぐらいおかしくとも、元気よく大きな声で英語でのコミュニケーションができると書いた。更に続けて、こんなオーラルでのコミュニケーション能力に長けた年齢層には、単語を詰め込んだり細々とした英文法や発音の規則を教え込んだりすることは時間の無駄であり逆効果、もっと伸び伸びと覚えた英語表現を使って実際に外国人と英語でのコミュニケーションをしてみる時間をできるだけ与えてあげることが大切だと書いた。私はこのことを裏付ける実体験をこの夏に経験した。

生徒3人に1人外国人講師を付けて東京近郊の様々な場所を訪れて体験しながら英会話を伸ばす英会話実践体験プログラム(サマースクール)を実施した。そこで気づいたことをまとめてみたい。小学生と中学生が参加したが、年齢および学年によってコミュニケーションスタイルに大きな違いがあることに改めて気づいた。次の通りである。

小学生低学年(6歳~10歳未満)の子供たちはコミュニケーションがかなりオープンである。初めて会った外国人講師にも物おじせず、臆さずに日本語で平気で話しかける。英語しか話さないと知ると自分の知っている英単語を駆使してなんとかコミュニケーションを取ろうと試みる。単語の並びや発音が間違っていても、極端な場合、めちゃくちゃであったとしても一向に気にかけない。一度言って通じなければ何回も言い方を変えて試行錯誤しながら身振り手振りでなんとか自分の意図を表現しようと試みる。母国語の習得過程も同じなのだろうと思考を巡らせた。無垢で屈託がなく、異文化の人に対するコミュニケーションの壁がほとんど無い。良い意味、英語で外国人とコミュニケーションする上で、心理的なフィルターをほとんど気にしないのである。

日本人が英会話を習得できない大きな理由として正確さを求めるあまりエラーが気になって思うように英語を口にできないと別なブログ記事で書いたが、このことは小学校高学年、つまり10歳以上で少しずつ顕在化し、中学生以上になると顕著になるようである。その証拠に、このサマースクールでも中学生の方が小学生よりも英語力(語彙や文法知識)があるにもかかわらず、最初は小学生ほど外国人講師と積極的に英語を話そうとしなかった。逆に文法的知識がなまじあるので自分の発話した英文が正しいのかどうかが気になるようであった。勿論、日本人に特徴的な国民性、人前で間違うことが恥ずかしいという恥の文化の悪い面が英語を発話する時に顔を出す。しかしこのプログラムを担当した外国人講師に生徒の英語エラーに対して兎に角、寛容であるように注意を促しておいたので、学校の英語の先生のように生徒のエラーを直したりしなかった。これが功を奏して中学生でも多少文法的におかしい、または間違っていたとしても相手に自分の意図が伝われば十分にコミュニケーションが成立することを認識できたようだ、途端に格段と英語を自由に話そうと試みるようになった。このことに気づくためにはやはり実践の場で外国人と自由に話せる機会、英語コミュニケーションできる場の提供は絶対に必要だ。

学校の教室に外国人の先生が来れば問題が解決するのではなく、1対1または多くとも1対3で会話できる場の提供、機会は不可欠である。また普段さんざん正確さを求められる日本の教室で、エラーは気にしなくとも良い、間違いを気にしないで自由に話しなさいと言われてもできる訳がない。もっと自由な空間で自由に英語を話せる機会が学校以外に存在しなければいけないだろう。サマースクール(1日6時間×5日間集中)に参加した子供達のほとんど全員が外国人との英語でのコミュニケーションが余程楽しかったようで、また参加したいとの声をお母様方からも多数頂いた。

「英語を外国人とのコミュニケーションで使うことを前提に学習する。」このことは英語学習者にとって、とても大切な前提だと思う。教室でたくさん英単語を学習したり、ダイアログを覚えたり、発音や発話練習をしたとしても、外国人と英語を話す機会がなければ、生徒の英語学習へのモチベーションは下がって当然だろう。「覚えた英語表現を今度外国人と話すときに絶対使ってやる」という気持ちで学習するのとは雲泥の差が出てくる。レッスンで覚えた表現や構文を実際の会話で使ってみることによって、レッスンに更に身が入るようになる。実際の会話で上手く話せなければもっとじょうずに話せるようになりたいと思う。少し話せるようになったら、もっともっと上手くなりたいと思う。そんな良い循環が、生徒のやる気、モチベーションアップに繋がるはずだ。

先日、10数年ぶりに大学時代の旧友に会う機会があった。同じ大学のESS(英語部)で英会話を夢中になって学習した仲間だ。大学卒業後、商社に勤務して海外駐在や海外出張で外国人と英語で様々なビジネスコミュニケーションを25年以上経験している。彼曰く、実際のビジネス場面での交渉や取引において、英語の正確さは二の次であり、文法や語彙の使い方が多少間違っていても十分に相手に自分の意図は通じるし、そんなことを気にしていたら相手との交渉なんてとてもできないそうだ。勿論、英語圏のビジネスパーソンは別だが、英語を母語としない国の人たち(アジア圏やヨーロッパ圏)の英語は、(言葉は悪いが)かなりいい加減で、文法・語彙・発音などのエラーが頻発するらしい。それでも相手に自分の意図が正確に伝わればビジネス取引が成約し、特に業務上支障を来たすことはまずないとのことだ。

何度も書いているが、もうそろそろ日本人は外国人との英会話において、英語の正確さを追求することから卒業しなければならない。正確さよりも流暢さ、正確な発話よりも内容のある発話、文法的に正確な英語ではなく相手にとってわかりやすく誤解されない英語などを目指すべきである。この意識改革を推進するためにも、中学校前から英会話を学習し、外国人と触れ合い、自由に英語を使ってみる機会が本当に大切であり、貴重である。
子供達に外国人と自由に英語でコミュニケーションできる場をできるだけ提供することを今後ともやっていきたい。

PR: 毎週日曜日、1日7時間、外国人と英語でコミュニケーションできる機会を創設します。「サンデー・インターナショナルスクール」です。 → 詳細はこちら

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June 01, 2008

幼児・小学生が英会話(英語)を学ぶ最大の意義とは?

日本人の英会話が上達しないのは、自分が発話する英語の文法や発音エラーに寛容になれないからだと前のブログ記事で書いた。
では、どうすれば寛容になれるのか?
方法論について、このブログに書いてみたい。
結論から先に書くと幼児・子供の内から外国人と英語でコミュニケーションできる場を持つことがとても大切である。
何故、幼児や小学生なのか?
中学生以上になると自分の発話エラーや発音の間違いに寛容ではいられないからである。
これは高校生、大学生、成人になるに従って強くなり、60歳の還暦を迎えるまで続くと私は考えている。

中学生以上の日本人は、人前で何か間違いを起こすことがとても恥ずかしい。ご存じのように日本人は恥の文化を持っている。日本人にとって英語を話していて間違いをすることは恥ずかしいことなのである。自分の文法的なエラーや自分の拙い英語の発音が恥ずかしいのだ。こうなると「間違いに寛容になりなさい」と言われても、土台無理な注文である。
だからこそ、幼児・小学生時代に間違いを恐れない英語のコミュニケーション能力を養成する必要があるのである。これは我ながらまったく理にかなっていると思う。

幼児・小学生までは恥ずかしいという観念が中学生以上の大人よりもかなり希薄である。
だから、人中で大きな声で歌ったり、話したり、はしゃいだりすることが平気なのだ。
とにかく天真爛漫で元気である。文法的に間違っていようが発音が少しぐらいおかしくとも、元気よく大きな声で英語でコミュニケーションが取れる。

よく言われることだが幼児・子供が英語圏で1~2年過ごすと英会話はかなり上達する。大人も目を見張るほど子供の英語運用能力は伸びる。勿論、脳が柔軟であることや英語を聞き取る聴覚能力(耳の機能)や英語を発話する発声能力(口の機能)という身体機能的な柔軟さはもちろん遥か大人の上を行く。プラスアルファーとして私は子供のエラーを恐れない天真爛漫なコミュニケーション姿勢に注目したい。別なブログ記事で書いたが英単語を短時間でたくさん覚えたり英文法の規則を体系的に学んで理解、自分の知識としたりすることにおいて、大人は子供に勝っていると思う。しかし大人は知識として習得したその英語能力を実際の運用場面で恥ずかしがって積極的に使わないので英語のコミュニケーション能力が伸びないのである。子供は大人の逆で、実際の英語でのコミュニケーションで自分の知っている英語表現を積極的に使いながらその運用力を伸ばし、使いながら同時に語法・文法・発音の正確さの精度も高めて行ける。簡単に書くと、Trial & Errorである。
子供は試行錯誤しながら英語のコミュニケーション能力を身につけることができるのである。故に英語圏での生活で子供の方が早く英語の運用力を高めることができるというのが私の考えだ。

日本国内で英語を学ぶ場合、知識としての英語習得は中学生に入ってから大学卒業までに受ける10年間の学校英語教育で十分である。かなりの語彙力と英文法力、ある程度の難易度の英字新聞や小説、英語の雑誌などは辞書を引きながら読みこなせるであろう。語彙・文法的な知識・読解力については大丈夫だ。そこそこの大学を卒業するまで英語が平均点以上であれば全く問題ない。しかしそれでも英語でコミュニケーションができない。そこが問題なのだ。このことは、かれこれ20年以上叫ばれてきたことであり、もう聞き飽きているだろう。文部科学省も文部省だった頃から英語のコミュニケーション力の育成ということで中学1年と2年生の英語教科書にダイアログ(対話文)を大幅に取り入れたり視聴覚機器(LL)などを取り入れたり、高校の英語の授業でオーラルコミュニケーションを科目として設けたり、大学のセンター試験で英語のリスニング試験を導入したりと、それなりのことをやってきたが一向に英語でコミュニケーションできる日本人が育ってこない。東大生がどのくらい英語でコミュニケーションできるか見てみればすぐにわかる。何故か?答えは簡単、学校の英語の授業で学んだことを使ってみる実践会話の場が絶対量少ないからである。

JETプログラムを代表とする外国人アシスタント制度、通称ALT: Assistant Language Teachersが何千人も日本の学校にいるではないかと言う人がいるかも知れない。30人40人の生徒を前にしてALTが週に1回位50分来て、一人の生徒がその先生と英語でコミュニケーションできる時間が満足にあるのであろうか?おそらく一人1分程度、100歩譲っても2分だろう。年間48時間入ったとしても48分から多くて90分程度である。これでは話にならない。

EUの人々と米国人の外国語運用能力には雲泥の差がある。もちろん世界標準語としての英語で外国人とコミュニケーションが取れるわけだから米国人には外国語をマスターしようという必要性も少ないと思うが、学校で学んでも実践で使う場がないから米国人にも外国語の運用力が身に付かないと思われる。これも外国語の知識はあるが使う場がないので外国語によるコミュニケーション力が伸びない明らかな例の一つである。

コミュニケーションとしての英会話を学び始めるのは、はっきり言って中学生では遅すぎる。厳密に書くと中学1年生まではギリギリセーフだが、幼児・小学生のうちに外国人と如何に多く英語でのコミュニケーションの場を持てるか?
これがその人の後々の英語でのコミュニケーション能力に大きく物を言うのである。

間違いを恐れず、自分の英語の発音エラーも気に掛けずに元気に大きな声で英語のコミュニケーションに取り組む。幼児・小学生は絶好の年齢である。こんなオーラルでのコミュニケーション能力に長けた年齢層に単語をたくさん覚えることを強要したり、細々とした英文法の規則を知識として詰め込んだり、フォニックスという聞こえの良い外国語指導方法の下で細々とした発音規則を教え込むことは、時間の無駄であり、逆効果であろう。もっと伸び伸びと覚えた英語表現を使って実際に外国人と英語でのコミュニケーションをしてみる時間をできるだけ与えてあげたい。

まとめると、
年齢に応じて英会話(英語)学習に適切な指導内容がある。
乳幼児期:英語の音のリスニング導入が大切。文字はまだまだ早い。文字を入れることは音の習得に逆効果だ。
幼児期:片言でも英語でコミュニケーションする体験を持たせる。英語の音のリスニング&発音が大切。まだ文字の導入は早い。
小学生:更にリスニング強化。発音・リズム・イントネーションの習得。知っている英語表現を使って外国人と英語でコミュニケーションできる場をできるだけ提供することが最も大切である。中学校に入るまでは英語の音の習得に集中した方が、中学に入ってからの文字の学習にもスムーズに入れると思う。

結論
幼児・小学生での英語教育では、音声重視にすべきだ。英語でのオーラルコミュニケーション能力(リスニング力とスピーキング力)に磨きをかけるべきであろう。

PR: ACE英会話ではこの夏、小学生・中学生へ外国人と英語でコミュニケーションできる場(英会話サマースクール)を企画運営します。興味のある親御さんは是非お子さんを参加させてあげて下さい。

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February 25, 2008

英語の正確さに寛容になれれば英語はもっと楽に話せる!

英語の正確さにいかに寛容になれるか?
これこそ、日本人が英語を話せる国民になれるかどうかの鍵を握っているように最近強く感じています。「日本人の英語は文法的に正確だが堅苦しい、文法的な正確さを求めるあまり流暢さに欠ける、やたらとポーズが多くて話していると疲れる。言葉に一旦詰まると長いポーズがあり、場合によっては会話を続けることができなくなる。」これはすべて、自分の英語による発話の正確さを求めるがゆえに起こる流暢さの障害です。

日本の中学・高校と英語で平均以上の成績を残した卒業生は十分に、日常会話には不自由しない文法力、語彙力、構文力は持ち合わせています。しかし英会話(英語によるコミュニケーション)は苦手で話せない。何故でしょうか?「ある程度文法的な知識や発音の知識、語彙力があったとしても、その知識を実際の会話に生かすことができていない、または生かしきれていない。」からです。英語の正確さを求めるあまり、「英語を口に出すことが怖い。間違った英語は話せない。」という脅迫観念、つまり自分の英語の発話エラーに寛容になれないのです。これでは英会話を楽しむことはできません。

日本人は正確さに拘りすぎる為に英会話が上達しません。

世界中の人に聞いたら、
フィリピーノは英語のできる国民
日本人はまったく英語の出来ない国民
として認知されています。

皮肉なことにフィリピーノの英語は文法的な正確さには欠けます。I’m looking forward to meet you. とか、I don’t know, too.など大卒の人が平気で言ったり書いたりしています。
(正確には、I’m looking forward to meeting you. I don’t know, either.)
フィリピーノの全員が間違った英語を話したり書いたりしている訳ではありませんが、上記のような細かい文法的なエラーはかなり耳にしたり目にします。私の印象として、フィリピーノは細かい文法的なエラーには無頓着かあまり気にしない人が多いようです。細かい文法的なエラーは目立ちますが英語でのコミュニケーションにはほとんど支障はありません。皆さん会話はとても流暢です。英語圏のネイティブスピーカーにまったく引けを取らない流暢さで堂々と英語を話しています。フィリピーノは英文法の細かいエラーに対してはとても寛容なのですね。

文法的な正確さを更に求めることにより日本人は英語が話せる国民になれるのでしょうか?

私は、答えはまったく逆だと思っています。いかに正確な文法や発音から脱却して多少の文法的・発音的なエラーに寛容になれるか、そこにこそ日本人が英語の話せる国民になれるかどうかの鍵が隠されているような気がします。

発音についても同じです。
米国人イギリス人でも、地方出身者だと極端なアクセントが気になることがあります。ネイティブでもアナウンサーのような英語を話せる人がどれほどいるのでしょうか?
日本人は当然、自分が気づいていない日本語のアクセントで英語を話しています。発音の正確さが気になると自分の発音に自信が持てなくなり、大きな声も出ません。いつも引け目を感じながら英語を話してしまいます。いくら文法的に正確な英文が作れても、声が小さかったり、自信なく発話しているのでは、決して自分の意思は相手に伝わりません。発音についてもいかに日本人としての英語の発音に自信が持てるか=寛容になれるかが上達の秘訣でしょう。

たいへん失礼ですが、インド人の英語を聴いたことがありますか?
インド人もフィリピーノ同様、英語でコミュニケーションができる国民として世界中の人達が認めています。しかし発音は世界標準から、かなり程遠いと感じている人は私だけではないはずです。しかしインド人は皆、「自分たちは正統なイギリス英語を話している」と胸を張って、堂々と英語を話しています。

英語の発音に関しても私たち日本人はもっともっと寛容であって良いと思います。

最近次のような相談を中学生のあるお母さんから頂きました。

「小学校5,6年生でネイティブのイギリス人に週一度1年以上教えてもらいました。しかしその先生は文法エラーや発音エラーについてとても厳しく、態度が冷たく感じられ、子供はすっかり英語嫌いになってしまいました。その後色々なネイティブの先生を試しましたが、本人がおとなしくあまりしゃべらないため、意味がわからなくてもそれが伝えられず、先生がやる気をなくしたり、苛立ったり、そしてそれが本人に伝わりと、すべて失敗しました。4歳まで海外にいたので小さいころは英語ができましたがすぐにすべて忘れてしまいました。以来英語に対してコンプレックスがあります。英語ができない、習っても先生と意思疎通もうまくいかないと、いやな経験が続き、英語嫌いになっています。」

とても残念なことに最初のイギリス人の先生が正確さにあまりにも拘り過ぎた為にお子さんは英語を話すことの楽しさをすっかり奪われてしまい、英語を話そうとする意欲がなくなってしまったようです。

また生徒が大人だとしても入門者、初級者に対して正確さを求めることは効果的な外国語習得の足枷となります。如何に間違いに対して寛容になれるか?細部に渡って正確さを求めることは準中級レベル以上になってからで十分です。

教える側からすれば、入門者・初級者に対しては発音・文法・語法のエラーに対して大いに寛容になるべきです。実際のコミュニケーションにおいて誤解が発生しない限り、または支障がない限り、細かいエラーに対しては目を瞑るべきです。そして生徒の上達に応じて大まかなエラー矯正から少しずつ細かいエラーにも気を配って訂正してゆくべきです。

学校での英語教育の最大の弱点はテストで評価せざるを得ないのでどうしても正確さ、正しさを求めてしまうことにあります。民間の英会話スクールや英会話講師は心がけて生徒の正確さについては寛容になるべきでしょう。正確さに対する講師の姿勢は直ぐに生徒に伝染します。細かいところまで直されると細かいエラーに生徒は敏感になり、流暢さや意味を相手に伝達するというコミュニケーションの第一目的よりも、言語使用の正確さという二次的な目的が主眼となりそこから脱却できなくなります。

正確さに寛容になること!
英語・英会話学習入門者・初級者が求めるべき方向性がそこにあると私は確信しています。
正確さを求めるよりも英語を話すことが楽しい、相手に自分の意図した意味が通じるという喜びや嬉しさは外国語を学ぶ者にとってはかけがえのないものです。そんな楽しさを是非、子供達や英会話入門・初級者の人々には感じて頂きたいと思っています。正確さというよりも英会話の流暢さを指導者は求めましょう。

発音及び文法的な正確さをどの程度求めるか?またはどこまで容認するかは生徒の英語レベルに依存します。

日本人が英語を学習し始めて話す英語は当然ネイティブが話す英語とは異なります。
「母語(日本語)」の影響をかなり受けた英語であるはずです。ネイティブが自然に話す英語を「目標言語」とするとその英語とはかけ離れていて当然です。
Dr. Selinker(ロンドン大学教授・言語学博士)は、母語とも目標言語とも異なる別の言語体系で、2つの言語の中間段階、すなわち学習者の母語から目標言語へ移り行く段階の言語能力を中間言語(interlanguage)と呼びました。(1972年)
入門者がいきなりネイティブと同じ英語を話せるわけもないし、話せることを目標にすることはナンセンスです。何年間も英語を学習することにより日本語に近かった英語の発話(中間言語)が徐々にネイティブの英語の発話に近づいていくのです。

最近の研究成果によると、母語と目標言語の「距離」は各言語によって大きく異なります。文法や発音など母語と共通点がある外国語ほど当然学習し易いのです。日本人にとって一番学びやすい外国語は韓国語と言われています(難易度1:韓国語の他インドネシア語やマレーシア語など)。しかし同じ「語族」ではない英語との「距離」は遠く、難易度は3です。(難易度3:英語の他フランス語やドイツ語。因みに難易度2の外国語は中国語やベトナム語。難易度4の外国語はロシア語やアラビア語。)Newsweek 1002号(2006年)

ヨーロッパ人でバイリンガルやマルチリンガルの人は珍しくありませんが、同じ語族の外国語(英語・ドイツ語・オランダ語は同じゲルマン語派)は難易度1です。ゆえに、オランダ人が英語を習得することは比較的容易だが、日本人が英語を習得することは非常に難しいと言えます。英語と日本語は語順から音韻的な特徴まで、あらゆる点でかけ離れているからです。日本語という母語と英語という外国語の「距離」はそれほど遠いということです。

中間言語に話を戻すと、英語学習入門・初級者が話す英語は日本語に近く英語に遠いわけですから、ネイティブの発音や語順と大きく異なってもそれはすごく当たり前なのです。
この観点からも、英語学習入門・初級者が話す英語に対して教師は大きく寛容であるべきなのです。例えば、ネイティブの子供達でも完全にマスターするまでに時間のかかる「三人称単数現在のs」や[l]と[r]の発音エラーに対して早急に正確さを求めるべきではありません。

子供や大人の入門者・初級者を教える講師は生徒の英語レベルよりも高い英語の聴き取りと発話を生徒に求めてはいけません。聴き取り(リスニング)については入門者・初級者でも十分に聴き取れるスピードと発音で英語を話してあげなければいけません。語彙・構文についても初級者までが十分に理解でき近い将来使いこなせる比較的容易なものを多用する講師の発話が理想的です。自分の現在のレベルよりも少し上を行く講師の発話・英語を目標にすることにより、より一層効果的な学習が可能となるのです。

また、スピーキングで生徒のレベルよりも高い発音・構文・文法的な正確さを生徒の発話に要求してはいけません。あくまでも生徒の発話は日本語に近い英語レベルであると再認識すべきです。ネイティブの発音及び発話を目標にするには早すぎます。正確さを求めるよりも、正確さは劣るが意味がある程度通じれば良しとする発話を目指し、英語の流暢さ・英語によるコミュニケーションの楽しさを目標とすべきです。

準中級レベルからネイティブの英語の聴き取り及び発話を目指せばよいのです。生徒の英語レベルに応じて、発音及び文法・構文・語彙の正確さを発話の流暢さに追加して指導を行なうのです。語法や社会言語学的な適切さ、言い換え・訂正などのコミュニケーションストラテジー・説明描写力・論理的な話の展開・段落単位で話をまとめて話す方法(paragraph discourse)なども指導します。

英会話の習得には何年間もかかります。5~6年英会話を学んで英語がネイティブと同じように流暢に話せるようになると考えるのは無理があります。中級者以上になるまでには、毎日猛勉強しても最短でも10年は必要でしょう。英語・英会話の先生は生徒のレベルを適切に把握して、「正確さ」と「流暢さ」のバランスを取りながら指導することが大切です。学習者本人や英会話を学習しているお子さんを持つ親御さんは、長い目で考えて、英語の「正確さ」についてもっともっと寛容になりましょう。「正確さ」に寛容になればなるほど、英会話の「流暢さ」=「楽しさ」が増すはずです。

ACE英会話では、生徒の英語エラーになるべく寛容になれるように、講師共々心がけている。

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January 04, 2008

英語でのコミュニケーション:発話の正確さ VS. 英語を話す意欲

何回も書いているように私はACE英会話講師の採用インタビューで年間600人以上の外国人応募者にインタビューを実施している。そんな応募者の中にアジアの国々、韓国や中国そして日本で小中学生へ英会話を指導した経験のある人たちが少なからずいる。他国の小中学生と比べて日本人の学生はどんな違いがあるか聞いてみると、10人が10人同じような評価をしている。日本人の学生は英文法をよく知っていて間違いのない正確な英文を話そうとするが、正確な英文を話そうとするあまり、間違いを恐れて英語を積極的に話そうとする意欲に欠ける。これに対して韓国や中国の生徒達は決して正確な英文ではないが日本人の生徒たちよりも遥かに英語で話そうという意欲が強いということだ。勿論、英語を話すことを恥ずかしがったりする国民性もあろうが、正確さを最優先する学校教育の弊害があることは否めない。私も20年以上英会話を日本人に教えてきて実感していることであるが、教えるほうが正確さを重視すると途端に生徒は英語を話すことに臆病になってしまう。ここで声を大にして言いたい。「英会話のレッスンで、生徒のエラーは絶対に直すな!」英会話は話せば話すほど上達する。英会話のレッスンで折角、英語を話す機会がありながら、生徒が正確さに拘るあまり英語を話そうとしなくなることほど、拙い教え方はない。日本に居ながらにして英会話能力に磨きをかけるには、兎に角自分が英語を話せる環境と時間を確保することである。海外に暮らしていても自分が英語を話せる環境に身を置かないと英語による会話はいつまで経っても上達しない。

倒産してしまったNOVAの英会話講師が日本に長年いても日本語は上達しない。何故ならば一歩NOVAに入って仕事をしている間に日本語を使う必要が一切ないからだ。また日本での日常生活でも買い物やレストランなどでの会話では必要最小限の日本語能力で事足りてしまうからだ。これに対して相撲取りは日本語の環境にどっぷりと浸かるので外国人の関取は日本語がとても上手い。幼少より日本語を学んでいなくとも、白鵬・小錦・曙・高見山・朝青龍・琴欧州など皆日本語が驚くほど流暢だ。皆それなりに日本語の勉強をしたのであろうが、厳しい相撲の稽古の合間を縫って日本語の文法書で学んだり、日本語学校に通ったとは考えられない。日本語会話の実践の場に身を置き、相撲部屋に住み込んで生活し同じ部屋の力士らと日本語を話す必要に迫られて自然と日本語を習得したと考えられる。

英会話を学んでいる人たち共通の目標は「英語を自由に外国人と話せるようになりたい!」ということだ。外国語学習に王道はないと言われているが、スピーキング力を伸ばす王道をあえて表現すれば、「英語を気持ち良くたくさん話すこと」ということになる。講師の役割としては、生徒に英語を気持ち良く話してもらう為の状況を作ることだ。

コミュニケーションにおける第一の目的は相手に自分の考えをわかってもらうことだ。文法的に正確な英文を作ることは二の次となる。チャンクを積み重ねて相手に自分の意思を伝達することが大切である。チャンクを積み重ねて自由に英語を話すコツは私の別のブログ記事に詳しい。(英語を流暢に話すコツ
ヒッポファミリークラブの創設者、榊原陽氏も文法的な正確さに意識が行ったとたんに外国語が話せなくなると言っている。

昨年末、姉妹(5歳と8歳)の帰国子女への英会話体験レッスンがあった。4年間米国で暮らして帰国した子供達なので英語はある程度は話せる。お母様のご希望は、スピーキング力を少しでも維持させたい、できることなら上達させたいというものだった。打ち合わせで担当予定講師が「どの程度文法的なエラーを訂正しましょうか?」と聞いてきたので私は、「まったくエラーは直さないほうが良い」とアドバイスした。正確な英文が話せるように指導することと生徒に英語を話すように励ますことは別物だからだ。敢えて書くと、文法的に正確な英文を話す指導と自由に英語を話す指導は対極するものと考えられる。講師が生徒の文法的なエラーに注目すると生徒は正確な英文を話すことを求められ、これは生徒が英語を話そうとする気持ちに水を差してしまう。話そうという欲求を引っ込めさせてしまうのだ。

幼児と話をしていて正確な日本語が使えていなくとも母親は我が子の言葉に耳を傾けてそれを理解し、会話を楽しむ。時々は言葉の使い方を直すだろうが、いちいち細部に渡って訂正をしてしまったら子供は母親に話せなくなる。また直されると思って話したくなくなってしまう。言葉というものは面白いもので人に直されなくとも人の話し方を聞いたり書物を読むことによって正確な話し方ができるようになる。(セルフモニタリング機能)自分で自分の言葉をコントロールして、正確に自分の意図が相手に伝わるように工夫するからだ。前述したようにまだまだ日本の英語教育は文法と読解が中心だ。中学・高校の英語の授業で英文法を細部に渡って徹底的に勉強する。学んだ英文法でかなり難解な英文を読みこなせる読解力も6年間で身に付く。6年間の学校英語で自分が文法的に正確な英文で話しているかどうかのセルフモニタリング力は十分に機能するようになるはずだ。あとは如何に英語を実践で話す機会を持つかどうかが、その人が英語を話せるようになるかの鍵を握っている。

ACE英会話では、レッスン中に生徒が英語を気持ちよく話せるように、講師共々心がけている。

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December 16, 2007

これでよいのか小・中学校の外国人英語指導助手?

外国語指導助手(Assistant Language Teacher=ALT)とは主に公立の小学・中学・高校で日本人の英語教師を補助する外国人英語指導員のことです。

私の経営するエース英会話スクール(ACE)では外国人講師採用で年間600人ほどの英語インタビューを実施しています。勿論、訛の強い人や文法的に正確な英語を話したり書いたりできない人は採用していません。残念なことに弊社が採用しない訛の強い人や文法的に正確な英語を話したり書いたりできない人がかなりの数、実際に公立小学校や中学校でALTとしてフルタイムで勤務していることが英語インタビューを通じてわかりました。

こんな発音と文法で英語を教えては拙いと思われる講師が公立の小中で英語を教えている事実には驚きと落胆を隠せません。(生徒が可哀想です。)英米を中心とした英語圏以外の国の人々、英語は母語ではないが公用語として使っている国々の人達です。具体的にはフィリピン、インドなどのアジア人やケニア、南アフリカなどアフリカの人達です。それらの国々の人すべてが英語を教えられないかというと、そんなことはありません。ACEでも標準米語に限りなく近いきれいな発音をし、文法的に正確な英語を話すフィリピーノを講師として採用しています。フィリピンでは特に米国企業に勤めるために標準米語を指導する発音研修所が数多くあり、標準米語の発音と発話を身につけることができます。

私が主張したいのは、英語圏以外の英語を公用語として使っている国々の人達をALTとして使ってはいけないと言うことでは決してありません。問題は、どこの国の人であろうと十分に発音と発話を審査したうえで採用しなければならないということです。実際に、米国人でも南部出身の人で南部訛の強い人はACEでも採用していません。また英国人でも地方出身の人で訛の強い人は採用しません。残念ながらインド人はかなり独特な発音やイントネーションを持った人が多いのでインタビューしても採用することはごく稀です。

また発音のみならず、文法的に正確な英語で話していない人は採用できません。具体的な例を挙げると、フィリピンの応募者で、I look forward to meeting you soon. という英文をI look forward to meet you soon.と表現する人が多いのには驚いてしまいます。ご存じのようにlook forward toのtoは前置詞であり後ろには動名詞を置かなければなりません。不定詞のtoではありません。そんな人の英語に耳をすまして聴いてみるとかなり文法的にいいかげんな英語を話しています。履歴書では大卒なのですが…

公立の英語の授業で、文法的に正確ではない英文を訛のある発音で大きな声でリピートしなければならない子供たちが可哀相です。なぜこのような人達が公立のALTとして教壇に立っているのかと調べてみると、入札システムに行き着きます。
元々ALTは今まで外国語青年招致事業で賄われていました。(通称JETプログラムと呼ばれ、地方公共団体が総務省、外務省、文部科学省及び財団法人自治体国際化協会の協力の下に実施する事業)2005年には、おおよそ6000人がこの事業に採用されました。約半数はアメリカから来日しており、他の100名以上の参加がある国は、イギリス、アイルランド、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドとなっています。

平成14年度より総合的な学習の時間が本格的にスタートし、その中で英語活動が全国22,480校にのぼる公立小学校に導入されました。上記6000人のJET講師では到底賄えない数の公立小学校で英語の授業が行なわれています。足りない外国人講師は、市の教育委員会が民間の外国人講師派遣会社へ入札を実施して調達しています。つまり、この入札で最も安い料金を提示した英語講師派遣会社が講師を派遣しているのです。一番安い料金で落札しているので利益を上げるためにはできるだけ安い経費で講師を採用して安い給与で働いてもらわなければなりません。つまり質には拘らない安上がりな講師が採用されてしまうということです。このように採用された講師は小学校だけではなく中学校にもALTとして派遣されています。

実情はわかりますが、それでもせめて採用者は応募者の履歴書のみならず実際に英語のインタビューを実施して発音と発話を十分にチェックしたうえで採用してほしいと思います。
一部の小学校で英語が導入されている現在で、このような状況です。全国の小学校で英語が本格導入されたらどうなってしまうのか、心配しているのは私だけではないはずです。中学校の英語の先生も心配しているはずです。実際、小学校への英語教育導入を検討していた中央教育審議会の外国語専門部会は、小学5年生から英語を必修化すべきだとする報告書をまとめ、文部科学省も前向きに検討し2010年度にも導入される可能性があります。
いままでは一部の公立小学校で実施されてきた英語教育がすべての小学校で実施される見込みです。更なる外国人講師の質の低下に繋がらなければよいのですが…

ACEでは勿論、書類選考の後に全員に英語のインタビューを実施して、文法的に正確な英語を訛りなく発話できる外国人のみ講師として採用しております。

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October 04, 2007

プロの英会話講師は「良き聞き役」である。~生徒が主役の教え方~

コロンビアティーチャーズカレッジのジョン・ファンスロー元教授(TESOL初代会長)は、「いつも準備した同じ教え方をせずに生徒に合わせて柔軟に指導すべきだ。」という教授理論を展開していた。レッスン準備は事前に入念にすればするほど良いレッスンを生徒に提供できるという一般論に対する強烈なアンチテーゼである。

いつも同じ教材を使って決まった教え方で指導する、「最初に教材ありき(Textbook Centered)」「最初にメソッドありき(Method Oriented)」的な教え方は熟練の域に届かない講師、アマチェアスクールの教え方である。プロフェッショナルなスクール、熟練講師が目指すべきは、「最初に生徒ありき(Student Centered)」的な指導法である。そして最も効果的な指導方法は、同じテキストを使っていてもひとり一人の生徒に合わせてその使い方を巧みに変えて、生徒を満足させるレッスンを柔軟に展開できる講師の力量・技から生まれる。

ACE英会話では、0歳~3歳までの乳幼児への英会話指導を始めた。そのレッスンを観察していて、0歳から3歳までの乳幼児に英語を指導することは大人への指導以上に難しいと実感した。この年齢への指導では、準備した教材や教え方に生徒が興味を示さなければそれは使えないからである。講師がいくら時間をかけて念入りにレッスン準備をしたとしても、それに生徒が興味を示さなければ講師のその努力は徒労と化す。その日・その時に・その場で生徒が興味を示す、テキスト・フラッシュカード・絵本や玩具、CD、DVDなどを駆使して指導しなければならない。

幼児の時間的な捉え方は、「今」「ここで」である(now and here)。過去のことは考えられない。ましてや自分の未来や将来のことなどは眼中にない。それ相応の年齢になれば、ここで我慢してこれをやっておけば将来に役立つと考えるようになる。つまり年齢や人生経験によって時間的なスパンが現在を起点にして、それが過去や未来に伸びるのだ。年齢が若ければ、過去は短く未来は果てしなく長い。逆に年齢が高くなると自分の人生において長い過去があり、未来の持ち時間は少なくなってくる。自ずと過去を振り返ることが多くなり過去の思い出や記憶を追う時間が増えてくる。

「今」「ここで」楽しくなければ学ぼうとしない幼児には、まさに「最初に生徒ありき」の生徒主体 (Student-centered) 的な教え方をしないと上手く教えられないのだ。また、前回上手く行ったことが今回も上手く行くとは限らない。その日のその時の子供の気分次第である。また子供の興味は移ろいやすいものである。子供の成長や興味を的確に分析して、その日その時の子供の気分を的確に分析してレッスンを展開しなければならない。

これこそファンスロー教授の主張するところの生徒に合わせた柔軟なレッスンの実践であろう。「今」「ここで」子供の欲求を理解するには、まずは子供の欲求に耳を傾けることである。聴くという行為は相手を理解し、相手を認め受け入れることである。子供に多くを語ってもらう為には、私はあなたの話しに興味があるし、しっかりと聞いていますよというフィードバックを相槌や顔の表情、体全体で表現しなければならない。大人は相手が発する「ちゃんと聴いていますよ」という小さなノンバーバルなメッセージを見逃さないが、幼児や子供の場合には大袈裟な位に「ちゃんと聴いていますよ」あなたのお話しにとても興味があるし、もっとお話ししてほしいなあというメッセージを目立つ形で表現しないといけない。大袈裟に笑ったり、拍手したり、「相手が言ったことの気持ちを代弁して」、「そお、おもしろかったねえ!こわかったねえ!さびしかったねえ!かなしかったねえ!おかしいねえ!」などと相槌も自ずと大袈裟になる。その位、聞く方の大きな働きかけがないと子供が何を望んでいるのかを聞き出すことはできない。

幼児や子供に限らずこれは十分に大人のレッスンにも応用できる。例えば連休明けのレッスンでいきなりテキストを開始するのではなく、連休はどうだったか?尋ねることはとても効果的だ。何処かへ行ったり、何か普段しないような活動やレジャーやアクティビティをしたのであれば人に話したいはずである。ましてや楽しかったのであれば「こんなところに行きました」「こんなことをしました」と人に話したいものである。こういうタイムリーな会話をレッスン前に必ず入れれば生徒は今日のレッスンではどんなことを話そうか自ずと考えるはずである。「今日はこんなことを先生に伝えよう」「こんな話題を提供しよう」などと生徒は考えるようになり、知らず知らずのうちにテキストや講師中心のレッスンではなく、生徒中心の、生徒が主人公のレッスンになる。

人は自分の生活や活動などを人に話したいものである。おしゃべりな人は人の話しにはあまり耳を傾けず、自分のことを話し続ける。それだけ自分のことを知って欲しい、自分に関心を持って欲しいと思っているのだ。単純に言うと、とにかく自分の話を聞いて欲しいのだ。一番生徒に人気のない講師は、いつも自分のことばかり話している講師だ。生徒はいつも聞き役で、先生の話しを聞かされる。これでは生徒はその講師のレッスンがイヤになっても当然だ。これに対し、自分のことはあまり語らずに生徒の生活・活動・趣味・仕事などに絶えず興味を持ち、生徒の話しに耳を傾ける聞き上手の講師は生徒から好かれる。人とのコミュニケーションにおいて誰でも主役(話す人)になりたい、講師は敢えて主役を生徒に譲り自分は脇役(聞く人)に徹せられれば熟練の優秀な英会話講師と言えるだろう。

人の話しを聞く事はとても難しい。ましてや生徒の英語レベルが入門や初級であれば、生徒の英語を聞くことにはそれなりの忍耐が必要だ。また英語力のなさから話しの内容が一度ではわからないこともあるはずである。そんな時にも忍耐強く生徒の話しを聞いてあげられる度量があれば生徒は多少足りない英語力でも一生懸命に話すはずである。幼児の母親が一生懸命に話そうとしている我が子の話しを聞いてあげるあの優しい眼差しと態度が講師には求められる。

こう考えてみると幼児への英会話指導と入門・初級レベルの大人への指導は同じであることに気づく。幼児であれ大人であれ、いつもコミュニケーションの主役になっていたいのだ。先生が自分の興味や行動に感心を示して英語で話しかけてくれる。それでこそ、生徒は心を開き講師に英語で積極的に英語を話そうという気になるのだ。自分の英語で、できる範囲で話しをしてみる。先生に自分の英語で思っていることが少しでも伝われば、満足度はぐっと増すはずだ。逆に自分の話した英語が絶えずチェックされ、発音や文法および言葉の使い方(語法)などを矯正されたらどうだろう。生徒は途端に口を噤むはずである。話せば話すほど自分の英語による発話からエラーが次々と講師から発見され、直される。自分の英語はなんておかしいのだろう。自分は何でこんなおかしな英語しか話せないのだろう。何故いつまで経っても正確な英語が話せないのだろうと自己嫌悪に陥ってしまう。自ずと話しの内容よりも正確さに意識が行き、先生に面白い話しをしてあげよう、こういうことを話してあげようという話しの内容が疎かになり、正確だがつまらない無味乾燥な話しかできなくなる。だいたい日本人の会話力が学校の英語の授業で伸びないのは先生が生徒の英語の正確さを評価し過ぎるからであろう。正確さには目を瞑りその発話内容の面白さを評価されれば少しぐらい正確さにかけたとしても面白い話しを英語でしてやろうという気持ちに生徒はなるはずである。

講師は「良い聞き役」になり生徒を良き話し手(主役)にレッスンをしてあげる。このことは、「言うは易く、行うは難い」である。これができるようになれば講師は熟練の域に達したことになる。レッスン開始時に生徒に合って生徒の顔をみて何を話したいのか察した上でレッスンを進める。準備したことだけを必死に教えこもうとしているうちはまだまだ新米講師の域を出ていない。いつも同じ教材を使って同じ教え方をしていてはダメなのである。生徒との関わりの中で柔軟にその日のレッスン内容を生徒とのコミュニケーションの中で見出し、レッスンを進める。これが英会話の指導、特に生徒のスピーキング、英語によるコミュニケーション力を高める最高の指導方法である。ジョン・ファーンスロー教授が提唱する教授方法はすべての英会話講師が目指すべき熟練の技、教えるプロの技である。

PR: ACE英会話ではいつも生徒がレッスンの主役である。講師は脇役となり、生徒の話しにできるだけ耳を傾ける教え方を目指している。

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May 26, 2007

0歳から3歳未満の乳幼児にとっての理想的な英語教育とは?

英語教育の低年齢化は目を見張るものがある。生まれる前から胎児に聞かせる英語CDなども販売され胎教から英語教育は既にスタートしているとも言える。また0歳児から英会話スクールやプリスクールに通ったり、家庭で乳幼児に聞かせる英語CDや乳幼児に見せる英語DVDなどが世に氾濫している。母親が自ら英会話で子供とコミュニケーションするという学習方法まである。

このブログでは既存の乳幼児向け英語教育方法が果たして有効なのか?また子供の成長にとって弊害はないのか?さらに理想的な乳幼児向け英語教育とはどういうものなのかについて論じてみたい。

1)乳幼児に英語のCDを聞かせたり、DVDを見せることは英語習得にとって有益なのか?

書店には乳幼児向けの英語教材が溢れています。その多くはCDやDVDが付属しており、ご家庭で簡単に再生することができます。しかし、ただかけ流しておくだけで英語が聞けたり話せたりできるようになるという宣伝広告に騙されてはいけません。CDやDVDで聞いたり見たりした英語はそのままでは乳幼児の脳には残りません。英語ができる大人と一緒に聞いたり見たりして、大人が乳幼児にその英語を生の人の声として語りかけ、乳幼児がそれに反応することによって初めて音声としての英語が脳に刷り込まれます。特に0歳児から3才未満の乳幼児に長時間、CDを聞かせたりDVDやビデオを見せたりすることは子供の成長にとって弊害があるようです。大人が傍にいて聞いたものや見たものを共有するのであればまだ良いのですが、大人が共有せずに子供一人に聞かせたり見せたりしておくことは絶対にやらない方がよいでしょう。

サリー・ウォード(英国人の言語治療士)も、0~4歳「語りかけ育児」の著書に次のように書いています。(注1)
効果については、
「赤ちゃんがことばをわかってきたからといって、テレビからことばを覚えると勘違いしてはいけません。赤ちゃんや子供はあざやかな動く光と色に心をうばわれて、音は何も聞いていません。ある実験では、ドイツ語のテレビをかなりの期間見たオランダの赤ちゃんが、ドイツ語は何も学んでいませんでした。」
弊害については、
「こどものためのテレビ番組やビデオは1歳から楽しめるかもしれませんが、正しい見せ方が大切です。どんなに多くても1日30分にとどめておいて下さい。人とかかわり、遊びからたくさんのことを学ぶのに時間がたくさん必要な時期なのです。今その機会を失えば取り返しがつきません。1日6時間以上も見ていた子を、私はたくさん知っています。その子たちはことばが大きく遅れただけでなく、人とかかわったり、遊ぼうとする意欲が見られず、周りの世界を理解するのも遅れていました。こども達はかわいそうに、混乱した状態に陥っていました。」

視覚に訴えるTVやビデオだけではなく、音声や音楽が聞こえてくるCDにも同じことが言えます。意味のわからない英語音を子供は聴いていません。英語には「音をきく」という意味でlisteningとhearingという2つの単語があります。listeningは音源に耳を集中させて音を聴き取るという意味で、hearingとは集中して聴くというよりも何となく音が聞こえてくるという感覚です。ですから音楽を聴く、人の話を注意して聴くはlistenを使います。耳がちゃんと機能して音が聞こえているかをチェックする聴覚テストはHearing Testと言います。

英語のCDをかけ流しにしても子供は聞こえてくる英語を聴き取ってはいません (not listen to) 。音が耳に聞こえているだけです(but hear)。他の玩具で遊んでいれば、聞こえてくる英語はただ単なる雑音にしか過ぎないでしょう。子供が3歳以上であれば大脳の「聴覚野」がある程度出来上がっているので聞きたい音に集中して、聞きたくない音を「無視」できます。流す英語のCDが大好きで他の玩具で遊んでいてもそれを止めて英語を聴きたいという状況ならば別ですが、BGM的に流れてくる英語を子供の耳は「無視」しているはずです。子供がまだ3歳未満であれば、「聴覚野」がまだ確立しておりませんので、聞きたくない音が流れていてもそれを「無視」することができません。赤ちゃんとお母さんの関わりの中で、例えばオムツを取り替えながら母親が赤ちゃんに一生懸命に日本語で話しかけている最中に、英語をCDで流したりモーツアルトなどのクラシックを流しておくことはやらないほうがよいでしょう。せっかくお母さんが話しかけている日本語に周りの音が邪魔をして赤ちゃんが母親の声を集中して聴くことができないからです。前述のように乳幼児は母親や他の人の声を生で聴き取って母語を学んでいます。母親、父親、その他家族や知り合いが日本語で乳幼児に話しかけることによってのみ母語を習得していきます。その大切な母語習得の最中に、英語やクラシックのCDが流れていたり、英語のDVDが再生されていては、乳幼児は耳を澄まして生の人の声に集中することはできません。いつもCD、DVD、TVやラジオの音がする家の中で育てられた乳幼児が注意散漫に育ってしまうことは自明の理です。

2)3歳未満からプリスクールや英会話スクールに通って英会話を学ぶことは子供の言語(母語と英語)習得にとって本当に良いことなのだろうか?

結論から先に書くと、3才未満の乳幼児に母語の日本語にしろ外国語の英語にしろ、言葉を教え込もうとしては決していけません。特に週1回40分程で母親と乳幼児に英語を教える英会話スクールのグループレッスンにはとても注意が必要です。3歳になる前から英語のアルファベットや色や数や物の名前をたくさん教えることは、今後の英語学習にとって何の意味もありません。むしろ今後の言語習得(母語と英語)に困難をきたす原因となってしまうかもしれません。大人の都合で言葉を子供に教え込もうとすればなかなか覚えてくれず、母親にとっても子供にとってもいらいらの原因となってしまうからです。

サリー・ウォードの著書からの引用です。
「3歳のトビーは、ことばの遅れがひどいために連れてこられました。いちばんよく言う言葉は「ぼく、できない」でした。お母さんはこどもは早く教えれば早く覚えるという考えにとらわれていて、1歳になる前からアルファベットや色や数や形の名前を教え始めました。トビーはとても攻撃的で欲求不満な子に育ち、ほとんどの分野で発達の遅れがありました。」

「トムを初めて診たのは3歳になろうとするときでした。トムには学習障害のある伯父がいたので、不安にかられた両親はトムがそうならないようにと、あらゆる機会をとらえて数えたりアルファベットを唱えることを教え込みました。トビーと同じように、トムもそんな文字や数が何を意味するのかがまったくわからないうえに、時間をとられて、遊びや会話が少なくなっていました。自分から口をきくことはごく少なく、言われたことも少ししかわからないので、しょっちゅう聞いたことをオウム返しに言っていました。注意散漫で、ごっこ遊びもほとんどしませんでした。」
以上は親が子供に言葉を無理に早期に教え込もうとした結果として起こってしまった悲劇です。

更に幼児教育の権威モンテッソーリ(注2)は言っています。「吸収する心が旺盛な三歳頃までに、子供は実にたくさんの印象を吸収してしまい、その雑多なもろもろの印象は混沌とした深遠のように子供の内面に漂っています。その混沌とした子供の心は何も新しいものを必要としないのです。それからは、既に在るものの中に秩序が必要なのです。三歳頃から子供は物の特徴に従って区別することを始めます。大きいと小さい、太いと細い、長いと短いなど、形を区別します。色を区別し、さらに濃度によって差異をつけます。」また「丸・三角・四角のような言葉は、具体物の中に共通している性質を表現する言葉です。この言葉を使うとき、人間は抽象するという知的な働きをしているわけです。」とも述べています。

つまり物の形や色、数などによって物を区別して秩序立てて理解するのは3歳頃からだということです。3歳未満の乳幼児に物の性質を表現する言葉である色や数や形の名前を教えたとしても子供はその意味や使い方がわからずに欲求不満になるだけであり、むしろそれら物の性質を名前ではなく、その印象として子供の内面に漂わせることが大切だということです。

早期英語学習という名のもとに同じような失敗を自分の子供にしてしまっていないか、ちょっと立ち止まって冷静に考えてみて下さい。

3)母親が子供に外国語である英語を話しかけることは有効か?

国際結婚でそれぞれの親が母語で子供に話しかけることは子供をバイリンガルに育てる上でとても効果的です。母親は母語の日本語、父親は母語の英語で、生まれたときから子供とコミュニケーションを取っていけば子供は完全な日英バイリンガルに育ちます。それでは、純粋な日本人の両親で子供に英語で話しかけることはどうでしょう?母親が子供に英語で話しかけて家庭内で英語のコミュニケーション機会を子供に与えることを推奨する書籍などが出版されております。しかし、特に3歳未満の子供にこれは決してやってはいけません。子供は混乱しますし、場合によっては母語の日本語の習得に支障をきたしてしまう場合もあります。上記のように国際結婚で母親は絶えず日本語、父親は絶えず英語であれば全然問題ありません。子供のほうでママとは日本語、パパとは英語という棲み分けができていれば混乱することはありません。(勿論、日本語・英語と区別できるようになるには3歳以上になってからです。しかし子供はそれぞれの親が使う言語の特徴を確りと耳でキャッチして母親と父親が話す言葉が違うことは何となくわかっているはずです。)両親が日本人で、子供と接する時間が一番長い母親が、ある時は日本語ある時は英語で子供に話しかけたらどうなるでしょうか?子供はどちらの言葉を真似したらよいか戸惑ってしまう筈です。ましてや0歳~3歳未満で母親の「語りかけ」が母語の習得に一番大切な時期に母親がこれをやってしまってはたいへんなことになります。

サリー・ウォードの著書から「最近とてもかわいいエリシアという3歳の女の子に会いました。ことばが遅れていて、まわりの人はとても心配していました。エリシアはほとんど単語しかしゃべらず、ときたま2語文が混ざるだけで、文をつくるのにとても苦労しているようでした。両親ともギリシャ人で、英語は母国語ではありませんでしたが、英国に住んでいるからには、英語で話しかけるべきだと考えていました。私はギリシャ語の「語りかけ育児」にどっぷりつかるように提案しました。2ヵ月後にもう一度会うと、両親はエリシアがあっという間にギリシャ語を覚えたと驚いていました。家庭でもギリシャ語で話しかけるようにしたところ、遊び友達の中で、見る見るうちに英語を覚えたので、両親はまたまたびっくりしました。」

このように母語の習得は外国語習得にも良い結果をもたらします。中途半端に母親が母語でない英語で子供に話しかけることは止めたほうがよいでしょう。母語である日本語を確りと定着させてから外国語の英語を学習しても遅くありませんし、その方が英語の習得にも効果的です。

前述のとおり、0歳から3歳未満までの外国語教育は3歳からのそれとはまったく別物と考えた方がよいでしょう。180度やり方を変えなければ決して成功しません。

最後に理想的な乳幼児向け英語教育方法を提案してみます。

1)英語を一切「教え込まない」。大人が子供に英語で何かを言わせたり、子供が言った英語の発音を矯正したりしては決していけない。

乳幼児英語教育で典型的なのは、色や形、数や身近な物の名前をカードにして子供に見せながら先生の後に真似して英単語を言わせるリピート指導法です。しかし、3才未満の乳幼児に英語をリピートすることを強制してはいけません。ましてやリピートした子供の発音を矯正しては絶対にいけません。「発音のリピートとその矯正」が子供に与えるメッセージは、自分が何かを英語で言っても受け入れてもらえない(直される)ということであり、その結果として、子供達は不安で悲しくて英語を逆にあまり言わなくなってしまいます。

モンテッソーリも言っています。「訂正しながら教えてはいけません。大人は、自分がして見せたとおりに子供がしないのを見ると、とっさに手を出して訂正したり、言葉で責めたりするものです。でも、この反射的な大人の訂正に出会うと、子供の心は萎縮します。子供がひとたび自分の殻に閉じこもってしまうと、もうどんなに教えても受け入れません。」

リピートや発音矯正は一切行なわずに、カードを見せながら先生が英語で子供に「語りかけ」ます。その内に、子供は先生がリピートしなさいと強制をしなくとも自然とその単語を口に出すようになります。言葉に出せたら、思いっきり褒めてあげます。発音はけっして評価しません。言葉に出せたことを褒められれば、子供は何度も英語を口に出すようになり、無意識に「語りかけ」で聴いた先生の発音と自分の発音を自ら比較して先生の発音に近づけようと試みます。その内に、先生の発音に近い音を出せるようになります。これは母語を習得する過程とまったく同じです。前述のように「教え込まれる」と母語でも子供は発話しなくなります。ましてや外国語はなおさらです。乳幼児は大人よりも優れた言語習得能力を持っています。その優れた能力を最大限に発揮させてあげるには、「語りかけ」と「子供が自ら発話して自ら発音を改善する機会を与えること」が最も大切です。

2)CDやDVDは1日30分間に留めて、先生と一緒に集中して聴いたり見たりする。そして聴いたり見たりしたことに対して先生が子供に「語りかけ」てあげる。

人の生の声でCDで聴いた英語の歌を最初はCDを停めて何回も聞かせてあげます。無理に一緒に歌わせません。先生が楽しそうに歌っているのを聴けば子供は、その内に自分で歌いたくなってきます。子供が自分から歌いたくなって歌うことが大切なのです。子供が一緒に歌い始めたらしめたもの。新しい英語の歌をたくさん聴いて、たくさん自分でも真似して歌い始めます。

DVDについては、見たことを先生は生の声で実況中継してあげます。そして見終わってから、こんなことを言ってたわね、こんなことをやってたわねと「語りかけ」てあげます。DVDと内容が関連した絵本を使うと効果的です。今みた内容について絵本を見ながら先生が同じことを生の声で実況中継してあげます。ひたすら語りかけます。その内に子供は先生の真似をして英語を口に出すようになるでしょう。しかし、まだ子供に質問してはいけません。

一般的な英語のレッスンとして先生から生徒に質問するという指導方法がありますが、これは3才未満の乳幼児にはやってはいけません。何故ならば質問に的確に答えるという重荷が子供に課せられるからです。まずは質問に答えられないと子供は落胆します。そして答えたとしてもその答えが間違っていたり不十分であれば先生に直されるからです。前述の発音の矯正と同じ心理が子供に働きます。質問に対する完璧な答えを言わないと自分の言ったことは受け入れてもらえないのです。子供は不安になり、悲しくて、質問に答えようとしなくなるはずです。

3)3歳未満の乳幼児を英会話スクールやプレスクールに通わせるのはまだ早すぎます。

精神的に一番安心できて最もリラックスできる家から、まったく別な世界(学校や教室)に行かなければならないからです。また他の生徒たちとの関わりがあります。家ではいつも自分が主人公で母親や父親が一対一で相手をしてくれます。それがスクールでは先生一人に子供数人です。一対一で先生は相手をしてくれません。自分はグループの中の一人にしか過ぎません。先生は自分にだけ話をするのではなくグループへお話しします。自分が言ったことに対して先生はその都度反応はしてくれませんし、レッスンの流れと関係ないことを英語で言ったとしても無視されるか、場合によっては「静かにして先生の言うことをよく聞きなさい」と強制されるかも知れません。グループで指導する場合、上記やってはいけないこと(リピート、発音矯正、質問に答えさせるなど)のオンパレードです。

乳幼児の英語教育において、家庭に英語の先生(または英語シッター)を招くことが最善の方法です。上記理想的な子供との接し方を英語シッターは心得ています。あたかも国際結婚してできた子供の母親(父親)の如く、英語シッターは英語で「話しかけて」くれます。自分の英語の発話にも耳を傾けて聴いてくれます。母語である日本語に限りなく近い方法で自然に英語を習得することができるのです。

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参考文献
(注1)サリー・ウォード イギリスの言語治療士の第一人者。「語りかけ育児」が、乳幼児の心と知能を無理なく伸ばし、コミュニケーション能力を育てる21世紀の新しい教育方法として世界各国で注目を集める。(「語りかけ」育児 サリー・ウォード著 小学館)

(注2)マリア・モンテッソーリ(Maria Montessori, 1870年-1952年)イタリアの医学博士、幼児教育者、科学者。モンテッソーリ教育法の開発者。どの子供にもある知的好奇心は、何よりその自発性が尊重されるべきで、周囲の大人はこの知的好奇心が自発的に現われるよう、子供に「自由な環境」を提供することを重要視した。また、子供を観察するうち月齢、年齢ごとに子供たちの興味の対象がつぎつぎ移り変わる点に着目し、脳生理学に基づき、さまざまな能力の獲得には、それぞれ最適な時期があると結論付け、これを「敏感期」と名づけた。(「ママ、ひとりでするのを手伝ってね!」相良敦子著 講談社)

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March 04, 2007

英語を話す時の姿勢~これを実行するだけであなたの英語は上手に聞こえる~

私は英会話講師採用インタビューで英語圏からの外国人と日本人(自称英会話上級者~日英バイリンガル)に年間約900名の人と英語で話しをしています。

「英語を話す時と日本語を話す時に同じ人の性格が違うように、本当に聞こえるんだ。」と実感する時がよくあります。帰国子女など日英バイリンガルの応募者が日本語と英語を話す時にそう感じることが多いです。採用インタビュー以外でも英語圏の人が母語の英語で話している時と日本語を話している時にもそう感じる時があります。

日本語を話している時にそんな人達は少し控え目になります。逆に英語を話している時には、より積極的になります。英語では自分の思ったことをストレートにはっきりと言う傾向があり、日本語を話している時にははっきりと言うよりもちょっと曖昧に話す傾向があります。このことは日本人の英語上級者、外国人の日本語上級者にも共通しています。無意識にそうなっているのか意識してそうしているのかはその本人に聞いてみないとわかりません。しかし、英語は社会心理学的にそういう言語で、日本語も同様なのです。

このことは実際に発せられる言葉だけではなく、話す人の態度にも表れます。英語を話している時の方が、態度が堂々としていてジェスチャーが多く、声が大きくなるのです。また日本語を話している時には逆に声が小さくなってちょっとかしこまった感じになります。

先日もイギリス人の女性講師と英語で話す機会がありましたが、英語で私と2人で話している時には堂々と大きな声で自分の考えを表現していました。そこに英語の話せない日本人が私達に加わって日本語になったとたんに声が小さくなり、かしこまって自分の意見も控え目に言うようになりました。「同じ人なのに英語を話す時と日本語を話す時でこうも態度が変わり性格も変わったように見えるのか。おもしろいなぁ。」と感心してしまいました。

母語の英語には当然自信があり、外国語の日本語には自信がないのでそうなるのではないかと思われるかも知れません。しかし、母語が日本語の日本人でも同じ傾向があり、それだけでは説明がつきません。意識してみると確かに自分も英語と日本語で無意識に話し方を変えていることに気づきました。

そこで英会話を学習している日本人学習者へアドバイスです。あなたは英語を話している時に日本語を話している時と同じように控えめに曖昧に話していませんか?そうであれば、あなたの意識をすぐに変えた方が良いでしょう。たとえ英語を話すことに自信がなくとも、堂々と大きな声ではっきりと自分の意見を積極的に相手に伝えましょう。英語とはそういう言語なのです。文法的なエラーや表現の誤用があったとしても、相手はあまり気にしていません。相手はあなたのメッセージ内容そしてどういう態度や話し方でメッセージを述べているかに注目しています。更に付け加えると、ネイティブでも文法的なエラーがまったくない完璧な英文で英語は話していません。よく聞いているとネイティブでもかなり文法的なエラーを犯しています。文章を読むと一目瞭然です。文章を書くのがあまり得意でないネイティブの英文は間違いだらけです。

先日、NHKテレビの「プロフェッショナル」という番組にマサチューセッツ工科大学院の日本人教授が出演していました。北海道大学で修士まで取得してNTTでIT研究者として就労後に、その研究成果を認められてマサチューセッツ工科大学の講師からスタートして、現在は同大学院の生徒へIT開発技術を指導しています。

皆さんご存知のとおり同大学・大学院はIT研究分野では世界最高峰の教育水準で米国内を中心に世界中から優秀な学生や研究者が集まってきます。教授のゼミ風景も放映され、生徒との英語でのやり取りや講義のさわりを拝見できました。教授は当然、堂々と英語で生徒とディベートし生徒の研究テーマや視点・考え方の甘さを指摘し、論破してゆきます。失礼ながら教授の話される英語は日本人の発音で細かい文法的なエラーも目立ちました。しかし英語圏のネイティブに通じない発音や重大な文法的エラーではなく、意味不明になってしまうということでは勿論ありません。そんな発音の不自然さや細かい文法的なエラーなど生徒は気にも留めていませんし、気づいてもいないようでした。生徒にとってはそんなことはどうでもよいのです。教授の発する一文の隙もない論理的なメッセージ、確りとしたIT理論に裏付けられたユニークな視点やクリエイティブな発想、そういうものに生徒達は集中して真剣に教授の主張を聞いていました。

きっと教授はどんなに優れたIT技術や研究成果を持っていても、日本語と同じように控えめに曖昧に自分の主張を英語で述べていたならば、恐らく1~2年でマサチューセッツ工科大学の職は辞して帰国していたことでしょう。

英語を話す時には、意識して堂々とした態度で大きな声で自分の主張をはっきりと述べましょう。同じ英語力であったとしてもあなたの英語は格段に上手に聞こえ、今まで以上に外国人との英語でのコミュニケーションがスムーズになるはずです。


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February 18, 2007

英語をスムーズ(流暢)に話すコツ

先日NHKの「スタジオパークでこんにちは」にJ-WAVEや「英語でしゃべらナイト」の英語ナビゲーターで著名なクリス・ペプラー氏がゲストで出演していた。有働アナから英語を流暢に話すコツを尋ねられ、クリス氏は最初に、「英語は右脳で話す」とアドバイスしていた。とても的を射たアドバイスだったので、思わず膝を打ってしまった。
英語をなかなか流暢に話せない日本人への最適な助言といえるからだ。

私なりの解釈で解説させていただくと、「右脳で話す」とは「英語の感覚で話す」→「右脳に浮かんだイメージを英語でそのまま話す」ということだ。換言すると、日本語や文法のことは一切考えずに頭に浮かんだ英語を素直に話すということだ。

私を含めて英語を話したことがある日本人は例外なく経験していることだと思うが、英語を話していて、英語よりも日本語が先に頭に浮かんだ瞬間、英語がスムーズに話せなくなる。また、英語の文法的なエラーが気になった瞬間、英語がスムーズに話せなくなる。クリス氏の表現した右脳というメタファーを使うとすると、この時私たちは左脳で考えて英語を話そうとしたことになる。

人間は右脳だけで言語を話せるのかという議論を持ち出すとややこしいことになるので、ここでは上記のとおり「右脳に浮かんだイメージを英語で素直にそのまま口に出す」ことに対峙する考えとして「右脳に浮かんだイメージを左脳に送り、日本語や文法ルールというフィルターにかけてから英語を話す」と理解したい。

クリス氏はアメリカ人を父に持ち、日本のアメリカンスクールですべて英語の教育を受けた生粋のネイティブスピーカーである。したがって、「右脳に浮かんだイメージを英語で素直にそのまま口に出す」ということは出来て当然であろう。しかし、日本人英語学習者でも英語を流暢に話せている時にはその域に達していると思う。つまり日本に居て英会話を学習して、その学び方さえ誤らなければその域に達することができるということだ。

残念ながら日本の英語教育(特に中学・高校・大学で行われてきた教育)はまさに、「右脳に浮かんだイメージを左脳に送り、日本語や文法ルールというフィルターにかけてから英語を話す」ということを奨励してきた。英語を日本語に翻訳するという英文解釈自体が悪の枢軸である。また文法ルールを細々と教え、「文法的な少しの間違いも許さないぞ!」という英語ペーパーテスト、英作文と称して日本語を英語に翻訳させる授業などの弊害が日本人を益々英語の話せない国民へと追いやってきた。

この日本の英語教育の実像に対するアンチテーゼとして日本人を英語の話せる国民へ導く手立ては簡単に提案することができる。まったく逆のことをやればよいからだ。

1)英語は日本語に翻訳して理解するのではなく、英語を英語のまま理解する。
英文を読むときには極力日本語に置き換えるのではなく左から右へ文頭から文尾へ読み進め、英語で理解するように努める。英語を聴くときにも同じことを行なう。つまり聞こえてきた英語を極力日本語に置き換えずに、英語の音として捉え、聞こえてきた発話の意味を、日本語を介さずに英語のイメージとして理解する。

2)英文を書くときにも日本語を英文に翻訳することは一切やめて、持っている自分の英語語彙を駆使して英文を頭から書き下す。流行のブログを英文で書いてみることはお勧めである。頭に浮かんだイメージを、日本語を介さずにそのまま英語で表現することが大切であるその為には手を休めずに思いついた英語をそのまま書き進めることである。文法的なエラーは気にせずに意味が通る英文を目指して書き続ける。ひととおり書き終えた後で英文を読み返してみて自分で文法エラーを訂正する。あやふやな部分については辞書で調べてもよい。しかし書きながら文法的なエラーを意識したり、書いている途中で辞書を引いたりすることはあまりお勧めしない。その間に日本語が介在したり、文法的なエラーが気になったりしてしまうからである。

3)英語を話す時にもこれと同じことをすればよい。文法的なエラーは一切気にせずに、相手に伝えたいイメージを英語で思いついた順番に話していく。下手に最初から完成された文で英語を話そうとすると話せなくなる。なぜならば、会話をする時、相手に伝えたい自分の「イメージ」が先にあり、その「イメージ」は初めから「文」として完成しているわけではないからである。繰り返しになるが、クリス氏のアドバイス「右脳に浮かんだイメージを英語でそのまま話す」ことが大切である。自分の思っていることが相手に伝わることを第一に考える。下手に文法的に正確な英文を話そうとしたり、気の利いた言い回しをしたりすることなどには一切意識を向けない。とにかく自分の「思い」が相手に英語で伝わることだけを考え、意識を集中して英語を話す。
その為には、気のおける、性格が合いそうな人と自由に英語を思いっきり話す機会をできるだけ持つ。英語を話す友人が身近にいれば最適であるが、日本に暮らしていてそういう友人がいる人の方が圧倒的に少ないだろう。英会話の先生でもよい。しかし自分の英語を直してもらおうとか、エラーを指摘してほしいとか、表現がおかしければ訂正してもらうとかは一切考えずに、純粋に英語を話すことを思いっきり楽しんだ方が良い。

実際、私のプライベートレッスン指導経験において、生徒に日本語を介さずに、文法的なエラーを気にせずに英語を話させるアプローチは効果を上げている。大学生や大人への指導で自分は聞き役となりリラックスして生徒が自分のことを英語で話せるように仕向ける。文法的なエラーや表現のおかしい部分に注意を向けるというよりも相手の「発話内容の意味」を理解するように努める。最初はたどたどしい英語で発話スピードがやたらと遅く、ポーズ(沈黙)の時間が目立つが慣れてくると少しずつ自由に英語で発話できるようになってくる。先生と生徒という上下関係の図式ではなく、友人・知人という横並びの図式で英会話を生徒と楽しんでいる。レッスンが進むにつれて生徒は自分のプライベートな事もフランクに話すようになる。そうなれば、しめたものである。英語を話すことに対する緊張やエラーを犯すことへの恐れや不安はすべて何処かへ消え去り、英語でおしゃべり(会話)を楽しめるようになってくるのだ。

先生の役割としてはスムーズなコミュニケーションのためのストラテジーを伝授することだ。意識して自分の発話に盛り込んで生徒が真似するように仕向ける。例えば相手の声が小さければもっと大きな声で、発話が速すぎればもっとゆっくりと話すことを要求する。自分の発話の意味がクリアでないと感じれば、I mean に続けて別な言い方をしたり、#1、#2と理由付けにナンバリングをしたり、言葉での表現を補うジェスチャーや顔の表情、声のトーンを変えたりする。言葉に行き詰まったり、相手の質問に即答できなかったりするような場合の間のつなぎ方(沈黙の間を埋めるテクニック)、言い間違いの修正の仕方、重要なことを相手に伝える場合、言い方を変えて重要なメッセージを繰り返す。英語的な発想で楽に話せるように英語の決まり文句や「定形表現」を上手に使うなどである。

PR: 初級レベル以上の段階でこの指導法は絶大な効果を発揮する。この指導方法を活用して、自由に英語のおしゃべりが出来る電脳空間をACE英会話スクールは開発中である。乞うご期待!

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September 25, 2006

英会話は教えるな!生徒から英語の会話を引き出せ!

私の妻の妹二人は小学生時代に学校のオーケストラに所属し、バイオリンを触ったこともない一から音楽教師の指導を受けて、全国大会で優勝したことがある。私はこの話を妻から聞いた時に、どんな先生に指導を受けたのかとても興味があった。佐治先生とだけ名前を聞いていたが、今年NHKテレビの「にんげんドキュメント」で先生について詳しく知ることができた。

佐治薫子先生(70才の今も千葉県少年少女オーケストラで音楽監督をされている)はこれまで公立の小中学校で、楽器に触ったこともない子どもたちを一から指導し、一流の音楽家も舌をまくハーモニーを奏でるまでに育て上げてこられた。その指導は、「佐治マジック」と呼ばれているそうだ。教職40年間をひたすら音楽教育に情熱を傾け、その間40数回も子ども達(小中学生)を全国優勝に導いている。主な受賞:「サントリー地域文化賞」「千葉県教育功労賞」「国際ソロプチミスト社会貢献賞」「キワニスクラブ教育文化奨励賞」「千葉県文化功労賞」「NHK関東甲信越地域放送文化賞」など多数。

佐治先生の言葉から、
「私は生徒の能力を最大限引き出したい。」
「誰でも才能を持っておりそれをどこまで引き出せるかが教師の力量だ。」

私は、先生の教育姿勢は英会話のマンツーマンレッスンにもそのままあてはまると思った。

学校のクラスレッスンで多くの生徒に指導する場合、教師は生徒に英会話を教える。テキストを使って英会話表現を説明しCDを聞かせ、文法解説をする。そして時々生徒に英文をリピートさせて言わせたりする。レッスンの中心はあくまでも教師であり教師がリーダーシップを発揮して生徒をぐいぐいと引っ張って行く。この場合には往々にして英語知識の伝授や理解の指導に終始しがちである。

このような教師中心の指導方法は1対1のマンツーマンレッスンには全くそぐわない。
1対1のマンツーマンレッスンにおいて、主役は生徒であって教師であってはならない。
ここで佐治先生の教育姿勢が生きてくる。

教師は生徒に英会話表現を教えるのではなく、生徒から引き出さないと駄目だ。そのために教師はgood listenerでなければならない。おしゃべりな外国人教師にありがちだが、教師ばかりが英語をしゃべって、生徒が聞き役ではリスニング力はつくだろうがスピーキング力はいつまで経っても身につかない。教師は良き聞き役となって 生徒に発話機会を与えないと駄目だ。生徒の口から英語を引き出すのだ。生徒が話し易い話題を提供し、興味をもって積極的に答えられる質問をしてあげるのだ。そして教師は生徒のペースに合わせて待ってあげる。待っても英語が出てこなければヒントを与えて誘導してあげる。

英語が話せるようになるためには、生徒が主体的に自分から発話しないと上達しない。オウム返しで先生の発話を真似して覚えた表現をいくらリピートしても自分の思っていることを英語で自由に表現するという域には達しない。習った文法事項や表現を使って自分から進んで英語で表現しようとする意欲が大切である。

生徒に発話の機会を与える教師は待ってあげる。この「待ってあげる」という行為がとても大切である。知識を一方的に与えるではなく、生徒から引き出す。専門的にはエリシテーション教授技術(Elicitation Teaching Technique)である。

生徒に教えようとすると、どうしても知識だけが先行してしまう。
教えるべき知識や文法(ルール)は最小限に留どめ、できるだけ生徒に主体的に、英語を発話させるように教師は仕向ける。そして生徒の発話を待ってあげる。そして待っても生徒から英語が出てこなければヒントを与える。自分が表現しようとしたが出来なかったことを教わるとその表現は身に沁みる。最初からその表現を教師から一方的に教えられるのとはわけが違う。これを「体験学習」と呼ぶ。まず生徒に自ら体験させ、出来ないことを教師が指導してあげるのだ。

こんな教え方は5~6人以上のクラスではできない。3~4人のグループでも時間的な制約および他の生徒の存在が邪魔をしてとても難しい。マンツーマンだからこそ実践可能な教え方である。

PR: エース英会話では教師に、「英会話は教師から教えるのではなく、生徒から英語の会話を引き出して生徒の会話能力を伸ばすことが大切だ」と指導している。

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August 13, 2006

英語学習にも成功理論が当てはまる!Part 2 幼児・子供の英語教育への応用

前回のブログでカリスマ体育教師の「原田隆史流成功理論」の社会人の方々への応用例を書きましたが、今回は幼児・子供の英語教育への応用例を書いてみます。

皆さんご存知のように最近は自分の子供に23才の幼児から英語教育を授ける親がたくさんいます。「自分の子供には自分ができなかった英語を身につけて欲しい」切実に願う親御さん達です。確りと子供の英語学習の目的を考えているお母さん方も多いが、英語学習の目的は後から考えるとして、兎に角英語をモノにしてほしいとただ漠然と考えているお母様方も多いことも事実でしょう。もしもこれを読んでいるあなたがそんなお母さんだったら、ちょっと立ち止まって考えていただきたいと思います。

あなたのお子さんの英語学習の具体的な目標は何ですか?

まずは親として自分の子供に英語ができるどんな大人に育って欲しいのか?

その目標を達成する為に何をどうやらなければならないのか?

しかし、一番大切なことは子供が自ら英語を本当に学びたいと思っているのか?

「やる気」になっているのか?ということです。

1年位前の話しですが、電車に乗っていてふっと前の座席を見ると、明らかに日本人の母子(5才位の男のこと30才代前半の母親)が英語で会話をしていました。と言うよりもお母さんがお子さんに英語で話しかけ、お子さんが日本語で答えると「英語で話しなさい!」と英語で話すことを強制しているような感じでした。日常生活において日本語以外は滅多に聞こえてこない日本の街中で日本人の母子が英語でコミュニケーションを取ることは自然ではありません。英語で日常会話を交わすことが子供の英語でのコミュニケーション能力を養う上でとても効果的で、お母さんにいくらその気があったとしても、子供がその重要性やその必要性がわかっていなければ、英語で話すことを強要されているとしか子供は思わないでしょう。英語が嫌いになってしまうかもしれませんし、お母さんとの母語での大切なコミュニケーション機会をなくしてしまうことだってありえます。

このブログでは、英語学習の心・技・体の中から私が一番大切だと思う「子供の英語を学習する心」を掘り下げて考えてみたいと思います。

子供は本当にやる気になっているのか?

英語が好きで自ら進んで学びたいと思っているのか?

子供の心のコップが上向きになって初めて学習しようという積極的な態度となり学習したことをそのコップに注ぐことができます。子供のコップが下向きになっていたら先生や親がいくら知識を注ぎ込んでもコップには何にも残らない。まずは心のコップを上向きにすることが大切だというのが原田隆史先生の持論です。

英語学習が親の押し付けになってしまい、子供が英語を学びたいという気持ちになっていない場合には、子供を「やる気」にさせることが先決です。

ACEの英会話家庭教師でもお母さんはやる気満々だけれども、今一子供が積極的でない。何となく英語はやりたくないのにお母さんに言われて仕方なく勉強させられているという感じの場合があります。または幼児の場合、英語を学習しているという意識はまったくなく先生と遊ぶ感覚で、すぐに飽きると騒ぎ出したり、自分の玩具やゲームで遊び始めてしまったりすることも稀にあります。

ご存知の方も多いかと思いますが、NHKのプロフェッショナルという番組に登場したベストセラー漫画でTVドラマにもなった「ドラゴン桜」のモデルとなったカリスマ英語講師・竹岡広信氏は、いかに英語学習に子供の心のコップを上向きにするかという課題にとても参考になる経験をされております。

竹岡先生は大学生の時に英語塾で高校生に英語を教え始めたそうです。自己流の教え方(自分が学習してきた方法)で3年間教えたそうです。約3,000もの英単語を繰り返し声に出させて徹底的に丸暗記させたそうです。しかし、残念なことに3年間みっちり指導した教え子達が大学入試で、男子全員不合格になってしまったそうです。どうしたら生徒の力が伸びるのか?10年間悩み続け、いろいろな教え方を試したがどうしても生徒に力を付けてあげられなかった。

そして、ようやく行き着いた結論は、「好きになれば身につく」ということ。つまり「英語に興味を持てば人は進んで勉強して自分のものにする」という人の学習意欲に気づいた。そしてBeatlesの歌を関西弁に訳して歌ったりして、受験テクニックではなく言葉としての英語の面白さを伝える授業を実践したら生徒が英語に興味を持ち、英語が好きになって何にも言わなくとも一生懸命に勉強し始めたそうです。その結果、「ドラゴン桜」にも描かれているとおり東大や英語の難関校である上智大学などに多くの教え子が合格するようになったとのことです。

きっかけは何であれ、子供が英語を好きになってもっと上手になりたいと思えることが一番大切なことだと思います。そのためにはお子さんの今の英語力を的確に把握して当面の目標を定めてあげることが第一歩です。当然子供は大人とは違います。英検の級を目標にして合格に向けて頑張らせるというような方法は逆効果です。子供にプレッシャーを与えてかえって英語嫌いを作ってしまうかも知れません。例えば、とても内気で外国人の先生を怖がっているようであれば、外国人の先生を怖がらずに接することが第一歩でしょう。日本語と違う言語を話す先生だけれどもこの先生と一緒にいたい、お友達になりたい、一緒に遊びたいと思えること。英語でコミュニケーションしたいと思えること、その積極的な姿勢があって初めて先生の英語に耳を傾けて英語を聞き取りその意味を理解しようと努力します。

そして先生に聞かれた質問に英語で答え、自分のメッセージを英語で先生に伝えたいという気持ちがあってこそ先生との英語でのコミュニケーションが成り立つのです。もっと先生の言っていることを理解したい、もっと自分のことを知ってほしい、自分の言葉で先生といろんなことについて英語でお話ししたいと益々積極的な気持ちになるはずです。そこで初めて子供の英語学習に対する心のコップが上を向いて先生の言葉、テキストの英語、CDの英語が注がれ、コップに徐々に溜まっていくのです。

また、英語圏へ海外旅行に行って英語の世界を体験したり、ホームスティして英語圏の家庭生活を体験したり、海外からの留学生を自分の家にホストとして受け入れたり、外国人が集まる都内の観光スポット(浅草やはとバスなど)へ子供を連れて行くことでもいいでしょう。そのような異文化体験を与えてあげることはお子さんの今後の英語学習にとってとても有意義なことだと思われます。

きっかけは何であれ、子供なりに「英語が話せたらいいなぁ」と思えるような体験をさせてあげることが大切です。子供が英語を好きになって「やる気」を出せば自分から積極的に英語学習に取り組むはずです。

PR: 英会話家庭教師のACEではカナダへの短期留学・親子留学・先生宅へのホームスティプログラムなど海外生活体験ができるよう現地のエイジェントと提携して在籍生へ夏休みや冬休みなど長期の休みを利用してご参加いただけるよう環境を整えています。

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August 03, 2006

英語学習にも成功理論が当てはまる!Part 1 社会人の方々への応用

先日、新宿紀伊國屋ホールでカリスマ体育教師の原田隆史先生の講演を拝聴してきました。

先生をご存じない方へ

原田 隆史先生略歴 (BOOK著者紹介情報」より引用)
原田総合教育研究所所長。東京・京都・大阪教師塾塾頭。天理大学非常勤講師。1960年、大阪生まれ。奈良教育大学卒業後、2003年春まで、20年間、体育教師として大阪市内の公立中学校に勤務。陸上競技部の指導と生活指導に手腕を発揮し、松虫中学校では、7年間で13回の日本一を輩出。現在は、大学で未来を担う教師の育成に当たるかたわら、現役教員のための私塾「教師塾」を主宰。学校教育にとどまらず家庭や企業教育など人材育成の分野で幅広く活躍する。

先生の講演を聴いていて、「英語学習にも原田流成功理論が当てはまる!」と強く感じました。

以下、私なりに原田流成功理論を英語学習に適用してみます。

多くの英語教材や英会話スクールへそれこそ数百万円投資しても英語学習者の20人中19人は英語をモノに出来ていないと思われます。何故でしょうか?

1.明確な英語学習の目標設定とその期限を設けていない。

自分は英語を学習して何を達成したいのか?

どこまで英語が上手くなりたいのか?

上手くなった英語を使って何がしたいのか?

など、具体的な目標設定が必要です。一人で海外旅行に行ける英語力、仕事で海外赴任できる英語力など具体的であればあるほど良いでしょう。

現状の英語力を分析して、3段階の目標を設定します。:絶対できる目標・中間目標・最高の目標。

35歳男性 大手商社勤務 例)

現状の英語力:英検2級、TOEIC530

最高の目標:仕事で海外赴任してグローバルに英語を使って活躍する 5年以内に達成

中間の目標:仕事で海外赴任できる英語力を身につける(TOEIC860点以上、英検1級合格)3年以内に達成

絶対できる目標:仕事で海外出張できる英語力を身につける(TOEIC600点)6ヶ月以内に達成

各目標を更に細分化して、現状の英語力から階段を一歩一歩登って目標を達成していきます。

☆現状の英語力:英検2級・TOEIC530

一段目:6ヶ月以内にTOEIC600点取得

二段目:更に1年以内にTOEIC730点取得、英検準1級合格(今から1年半以内)

三段目:更に1年半以内にTOEIC860点取得、英検1級合格(今から3年以内)

☆3年後に中間の目標を達成

2.具体的な目標達成の為の具体的な方法を考えていない。

原田先生によると成功者は目標達成の為に少なくとも64個の具体的な方法を実践しているそうです。自分の英語力の分析から自分にあった教材の選定・学習方法・学習時間の確保、その他諸々英語をモノにするための具体的な方法が64個必要だということです。

上記一段目の目標を達成する為に毎日学習しなければならない時間を逆算して、具体的な方法を考え出します。

①1日1時間は英語学習する(朝出社前15分、通勤途中に15分、帰宅後30分) ②1日5個英単語を覚える(単語カードを作成して通勤途中に目を通す) ③帰宅後30分間はTOEICの○○というテキストを使ってReading 15分、Listening 15分、集中して学習する。 ④i-PadTOEICのリスニングを録音し、通勤途中に聞く ⑤朝はNHKラジオのビジネス英語を出社前に聞く ⑥毎週1回1時間、外国人講師の英会話レッスンを自宅で受ける。

 

これでもまだ6個です。皆さんは64個の目標達成の為の具体的な方法を考え出せますか?

3.目標と方法を持っていても成功するまで継続できない。

つまり英語をモノにする前に途中で挫折してしまうのです。これで行こうと決めても3日坊主ですぐに教材や学習方法をコロコロ変えてしまう。これでは、いつまでたっても成功は覚束ないでしょう。

上記1日1時間の英語学習方法を皆さんはどう思われましたか?

出社前15分のNHKラジオのビジネス英語聴取、通勤途中の単語カード・英語リスニング、帰宅後30分のTOEICテキストによる学習、そして週1回の外国人講師による英会話レッスン。これ位なら自分にも出来そうだと思われたことでしょう。

しかし上記中間目標を達成するまで3年間で1095日、1日も休まずにこれを続ける自信はありますか?

顧客の接待で深夜までお酒を飲んで帰宅、または終電ギリギリまで残業をしてクタクタになって帰宅、それから30分間英語学習できますか?いくら深夜に帰宅しその後30分間英語を学習して、翌朝早く起きて15分間ラジオのビジネス英語を集中して聴くことができますか?満員電車に乗りながら単語カードとリスニング学習を毎日行なえますか?

こう掘り下げて考えると1日1時間の英語学習でも集中して1年365日実践、しかも3年間それを継続することは、忙しい社会人にとってはたいへんなことです。

「私生活にまで踏み込んで目標達成の為に自分の生活態度まで変えないと成功しない。」というのが原田先生の教えです。

英語学習の為に、心・技・体を整えないと自分の目標を達成する為の方法を継続できません。「たかが英語学習、されど英語学習」です。

原田語録に当てはめれば、「英語学習と思うな!人生と思え!」です。

「たかが英語学習と思うのではなく、自分の人生だと思って真剣に取り組まないと絶対に成功できない。」ということです。

英語学習の心技体を考えてみましょう。

英語を真剣に学習する心とは?

自分の決めた学習メニューを毎日必ず実行する強い心がないと、自分にピッタリ合ったどんなに素晴らしい学習方法でも継続できません。今日は仕事で疲れたからやめよう、今日は気分が乗らないからやめよう、今日はお酒を飲んで集中できないからやめよう、今日は見たいテレビがあるからやめよう...学習しない理由(言い訳)はいろいろと考えられます。

学習する部屋や机の上が散らかっていたら心が乱れて、学習する気分にもならないかも知れません。また、使うテキストやCD、辞書や単語帳、ノートや筆記用具などが整理整頓されていなければ効率が悪いし、時間の浪費に繋がります。「やる気」も失せてしまうかも知れません。「心を落ち着かせ心を綺麗に整えるには、掃除と整理整頓が不可欠だ。」これも原田先生の教えの一つです。

また、私生活が充実していないと英語学習も充実できないのです。

仕事が上手く行っていなければ、英語学習どころではないかも知れません。

夫婦関係・親子関係がギクシャクしていれば英語学習にも「やる気」が出ません。

心の悩みや心配事があっても学習に集中できません。

つまり、私生活に問題があれば、それを改善しないと心が落ち着かず、英語学習にも集中できないのです。

原田流成功理論では、「生活を改善しないと成功する確率が低くなる。」と考えます。

英語学習する技とは?

闇雲にテキストを音読しても、闇雲にCDの後につけてリピーティングしても、闇雲にCDを毎日聞きまくっても、効率は良くありません。自分にピッタリ合った教材・自分なりに工夫した学習方法が必要です。単語を毎日5個ずつ覚えるにも効率を上げるために自分なりの拘りと工夫が必要です。自分の現在の英語力を次の段階までに伸ばす効率の良い学習方法(技)に磨きをかけなければなりません。自分の英語力・性格・生活スタイルに合った学習方法をいろいろと研究して、「今の自分には、この教材を使ったこの学習方法がベストだ。」という方法を探し出さなければなりません。前述の例のようにNHKラジオ英語プログラム+市販教材によるセルフスタディ+外国人講師によるマンツーマン英会話レッスンなどいくつかの学習方法(技)を組み合わせる必要も出てくるでしょう。自分で自分の英語力を分析してベストの学習方法を決めることができないのであれば、英語学習カウンセリングというかたちで、専門家(英語学習カウンセラー)の意見を積極的に取り入れることは効果的です。

英語学習する体とは?

人間何をやるにも体力・健康が不可欠です。英語学習でも体力がないと駄目です。体力がないと学習に集中できません。健康にも留意していないといけません。風邪を引いていては効率が悪い。学習の前にお酒を飲んでは集中できません。睡眠不足でも集中できません。十分に睡眠をとり健康に留意し深酒は慎む、暴飲暴食も慎む。

イチローは翌日の試合にベストコンディションで臨むために夜22時以降は水以外口にしないそうです。ナイターの試合が終了するのは夜22時直前か場合によっては22時をまわってしまいます。自ずと試合が終わってから寝るまでに水しか口にしないことになります。試合が終わってから食事を摂ったり、冷たいビールの一杯ぐらい飲みたいと思うのは凡人ゆえでしょうか?

12時前には必ず就寝し、1日7時間の睡眠時間を確保し、暴飲暴食しないようにして、しかも成人病へ繋がるような食べ物に気をつけ、毎朝または毎晩、軽い運動をして成人病を予防、お酒やタバコもほどほどに、そうやって体調を整えて毎日の英語学習に集中できるように生活を改善していかなければなりません。

皆さんは最近、きちんとした食事をしていますか?
コンビ二弁当やファストフードに頼っている人は、慢性的にビタミンやミネラルが不足気味です。また、喫煙や飲酒、ストレスなどにより、身体のビタミン類は失われてしまいます。カルシウムやビタミンB群が不足すると、神経伝達物質が減少し、脳が正常に働かなくなるそうです。

このように英語学習の為に、心・技・体を整えるという切り口から目標達成への具体的な方法を考えてみると上記英語学習方法6個以外にも多くの方法が考えられます。

⑦英語学習する部屋と机は毎日綺麗に掃除し整理整頓に努める。

⑧夜12時前には必ず就寝し、1日7時間の睡眠時間を確保する。

⑨夫婦関係または親子関係を改善するために、月1回は外食・日帰り小旅行・皆でスポーツ・映画館での映画鑑賞など家族サービスを心がける。

⑩仕事の効率を最大限に高めて、遅くまで残業しなくても済むように工夫する。特に午前中に集中してその日の仕事の段取りを念入りに組み、効率よく仕事を片付ける努力をする。

⑪暴飲暴食や飲酒・喫煙は控えめにし、栄養(ビタミン)バランスに注意した食事を心がける。(肉を控えめにしてその分多くの野菜を摂取するよう努める。)

⑫成人病予防に朝、5分間縄跳びをし、15分間早歩きのウォーキングを励行する。

その他...

どうですか?

64個具体的な方法を考え出せそうですか?

英語学習に王道はありません。

闇雲に頑張っても駄目なんです。

英語をモノにするには、明確な目標設定と期限、自己分析と効果的な学習方法と生活改善が必要です。やる気と強い意志が不可欠です。自分の生活においての英語学習の重要度や優先順位がはっきりしていればいるほど、目標達成の可能性が高まります。自己分析をして自分の現在の英語力・学習環境・学習方法をきっちりと掴むことによって自分にとって最も効果的な学習方法を設定できてそれを実行に移せます。また挫折する前に自分の生活態度にまで踏み込んで具体的な生活改善方法をも実践すれば、目標達成への道筋が自ずと見えてくるはずです。

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大人が変わる生活指導

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June 01, 2006

音声インプット重視の幼児英会話教育

幼児(未就学児)への英会話指導において耳を鍛えることは将来スピーキング能力を高める上でとても大切である。前回のブログ記事で小学生からは文字情報による言語習得が音声のみによるインプットよりも効果的であると書いたが、このことは就学前の幼児については全く当てはまらない。むしろ180度発想をひっくりかえさないといけない。幼児期においては文字をなるべく使わずに耳での言語インプットに徹するべきである。言葉を変えると、幼児期においては文字として言語を処理する左脳教育を重視するよりも、耳に聞こえてくる音を目で見えるイメージとして視覚的に処理する右脳を鍛えるべきである。

元祖「英語耳」の第一発案者である故アルフレッド・トマティス博士(フランスの聴覚心理学者)は「人は聞き取れない音は発することができない」という原則を最初に発見した学者である。私達の発話は声がコントロールするというよりも耳がコントロールしているのである。人は自分が発した声を骨伝導(発した声の空気の振動を鼓膜で聞き取るということ以外に自分の発した声紋の振動を蝸牛内のアブミ骨という小さな骨の振動を耳で感じて自分の声をセルフモニタリングしている。つまり日本語にない英語特有の音(日本人の苦手な「r」と「l」や声帯を使わずに息だけで発する「s」や「th」などの歯擦音)の聞き取りができないと自分でも正確にその音を出せないということである。英語独特のリズムやイントネーションに乗っかった個々の英語音をハッキリと耳で捕らえて、自分の耳でネイティブの発音と自分が発する英語音を確りと比較・コントロールすることによって、自分の発話をネイティブのそれに近づけることができる。

博士によると人は「オギャア」と母親の体内から外界へ生まれ落ちた時には、既に母語を効果的に聞き取ることができるように耳がチューンアップされている。日本人の母親から生まれた赤ん坊は日本語の音に反応し日本語特有のリズムやイントネーションに乗っかった日本語音が聞き取り安いのだ。また英語を話すイギリス人の母親から生まれた赤ん坊はイギリス英語が聞き取り易い耳の状態になって生まれてくる。皆さんよくご存じのように胎児は母親の体内で母親の言葉を耳及び体全体で母親の声の振動を感じ取り上記アブミ骨を通して聞いている。言葉の意味を理解するというよりも、母語の特徴を脳に耳を通じて刷り込んでいるという感じだ。著名な生成英文法学者ノーム・チョムスキーが提唱していた生得的な言語能力とは母親の体内で母語の音声的な特徴を脳に刷込んだ結果としての潜在的な母語習得能力であると私は理解している。

幼児期においては文字情報から単語をたくさん覚えたりするよりは英語音を正確に確りと聞き取れる耳を鍛えるべきである。年齢が低ければ低いほどまだ耳ができあがっておらず、外国語としての英語音を聞き取れる耳を育成し易いからである。(トマティス博士によると人の耳は12才で完成する。ちょうど小学校卒業時に成人と同じ音域を聞き取れる耳の機能が完成するのだ。)単語や文法の習得はある程度年齢がいってからでも鍛えられるが耳はそういう訳には行かない。将来、英語音を正確に聞き取り、ネイティブに限りなく近い発音で発話できるために、幼児期の間に徹底的に英語を聞かせて耳を鍛えておくことは非常に大切である。

英語の歌による英語独特のリズム・イントネーションの習得も効果的である。ただし、BGMのように英語をただ単に流しておいて子供の耳に入れる(hearing)だけでは、いつまでたっても英語を聴き取って(listening)その意味を理解できるようにはならない。つまり聞かせた英語を理解出来るようにするビジュアルエイド(聴いた音の意味を視覚として理解させるイラストや写真・ビデオなど)が必要なのである。Natural Approachを提唱した言語学者クラシャンによる(意味の)理解可能なインプット(comprehensible imput)でないと英語の聞き取り訓練としては不十分だ。幼児期だからこそアルファベットや日本語という文字情報を介さずに英語を英語のまま理解出来るようにトレーニングする。その為にAV(オーディオ・ビジュアル)が効果を発揮する。

帰国子女と英語圏への大学・大学院レベル留学経験者との違いは、英語の発話におけるネイティブライクな発音と発声であろう。突き詰めれば幼少期にネイティブの英語音をどれだけ聞いて耳を鍛えたか否である。英語を正確に聞き取れる耳の善し悪しはリスニング力のみならず、将来における英語の発音・発話の善し悪しにも繋がるということである。

PR:エース英会話スクールでは幼児への指導で英語の歌・カラフルなカードやCD・ビデオ(DVD)教材を積極的に使用して目からの視覚的なインプット・耳からの音声的なインプットを最大限に取り入れて、(意味の)理解可能なリスニング指導を実践している。

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April 23, 2006

帰国子女や海外留学経験者に負けない英会話力を日本国内で身につける

日本国内で英会話をマスターすることはできるのであろうか?

私は年間250名程、日英バイリンガルに限りなく近い講師応募者に英語でインタビューをしている。かれこれ700名近くの方々にインタビューしたので私の感想をまとめてみることにした。子供や大人に英会話を指導するという応募者で、英検準1級以上またはTOEIC830点以上と応募資格を定めているので、少なくとも英会話に自信のある人達のみ応募してくる。(100人に2~3人は、これでよく準1級に合格したな?、TOEIC830点をクリアしたな?という人がいるが、95%以上の応募者はなかなかイイ線行っている人達だ。)

応募者の約70%は幼少または小中学校の頃に英語圏に暮らしていた、いわゆる帰国子女である。また、約20%は英語圏の短大・大学・大学院を卒業した正規留学経験者である(以下海外留学組と呼ぶ)。残りの約10%は帰国子女でもなく正規海外留学経験者でもない。1ヶ月程度のホームスティ・海外語学研修や海外旅行を除いて日本国内で英会話をマスターした人達、日本の短大や大学・大学院を既に卒業したかまだ通っている人達である(以下国内組と呼ぶ)。

もちろん個人差がかなりあり、帰国子女が100%バイリンガルかというと、そういうことはなく、5年も海外に生活していたのにこの程度か?表面的な発音や発話はネイティブ気取りで英語を話しているが話しの中味がお粗末だったり、文法的なエラーが目立ったりということもある。ああこの人は帰国後にあまり英語を勉強してこなかったのだなと思える人も少なくない。

逆に長期(6ヶ月以上)の海外生活経験や正規留学の経験がなくとも、限りなくバイリンガルに近い人達もたくさんいる。ああこの人は英語が好きで相当頑張ってきたのだなと感心させられることも少なくない。勿論個人の努力や外国語習得の才能や親から譲り受けたDNAにも大きく左右されるのであろうが、国内組の実力は海外留学組や帰国子女と比べても遜色なく、帰国子女と言っても誰も疑わないようなネイティブに限りなく近い英語を発話する人に出会うと、驚きと嬉しさが込上げて来る。

海外に出なくとも国内で幼少時よりネイティブな英語をいろいろなメディア(英会話学習用のCD、ビデオ・DVD・英語の歌・TVなど)を通して耳に入れることが出来る。洋書を扱った大きな書店に行けば欧米人の幼児や子供達が楽しむ絵本やカード・ゲームなどがすぐに手に入る。幼少から英会話スクールに通ったり、英会話の家庭教師を子供に付けたりすることもできる。

しかし幼児期に英語の学習を始めなくとも、正規に中学で初めて英語を学習し始めた人でも中学・高校・大学までの10年間でかなりのところまで英会話をマスターしている人達も少なくない。決して大学で英語や英文学を専攻していなくとも大学の4年間みっちりESS(English Speaking Society)という英語クラブの活動に没頭すれば4年間の正規留学をして帰国した海外帰国組にひけをとらない英語を話す人達が延べ何万人もいることを私はよく知っている。

かく言う私も、中学で英語を学習し始めるまでは英語をまったく習ったことがなかったし、中学校の英語の成績は惨憺たるモノであった。公立中学にも拘らず、1年2年で教わった先生が特別な授業を行っていた。日本人の先生なのに日本語をほとんど使わずに英語でレッスンを実施したのだ。教科書の内容を画用紙に絵を描いて英語で説明していた。小学校時代に塾や英語教室で英語を既に学習し始めていた人たちは何となくわかっていたようだが、私のように中学校から英語を一から始めた者達にとってはほとんど理解できなかった。5段階評価の通信簿で英語はいつも1に近い2であったと記憶している。英語の時間はまったくちんぷんかんぷんで苦痛の何物でもなかった。中3で英語の先生が代わり、塾でも英語を学習して、少しわかるようになった。高校1年生の時に教え方の抜群に上手い英語の先生との出会いが私の英語との関わりの大きな転機だった。高校1年生から英語への興味に目覚め、いつかは欧米人と自由に英語を話せる自分になれることを夢見て、それこそ無我夢中で英語を勉強した。その甲斐あって、その高校英語の恩師と同じ大学の英語学科に進学できた。

英文学を学ぶ英文学科ではなく実用英語を学べる英語学科を選んだつもりであったが、大学ではまだまだ教養としての英米文学を翻訳するという古典的な指導方法で教える英語購読の授業がほとんどであり、いつかは欧米人と自由に英語を話せる自分になるという夢は一生夢のまま儚く消え行きそうで英語への学習意欲を失いかけた2年生の春に親友から「このままあと3年間大学の講義をどんなに一生懸命に受けて成績がオール優であっても絶対に英語は自由に話せるようにはならない!」と宣言された。そして親友と2人で1年遅れであったがESSのドアをノックした。自分でも恥ずかしくなるくらい英語がまったく話せなかった私でもESSの活動(ディベートセクションに所属し、土日祝祭日なし夏休み春休みなし、朝8時から夜9時頃までクラブ活動に没頭して寝ても覚めても英語ディベートのことを考えていた)を通してめきめき上達して、卒業の際には自分の夢にもう手の届くところまで来ていた。

国内組であっても英会話の学習の仕方さえ間違わなければかなりのところまで来られる。帰国子女や海外留学組にだって負けない位の英語コミュニケーション能力を身に付けられる。

語学の才に決して恵まれない私でさえ、高校からの7年間でかなりのところまで上達できた。今の子供達は小さいころから英語を学習する環境に恵まれている。私が通ってきた急な傾斜の岩のゴツゴツした山道よりも遥かに傾斜の低い安全な道を親に見守られ先生にガイドされて確りとした足取りで歩み続ければきっと私の目指した夢「いつかは欧米人と自由に英語で話せる」にたどり着くことが出来るはずである。

PR:エース英会話スクールではこの夢を一人でも多くの人達に達成していただけるように講師と一丸となってレッスンを実施しています。

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March 27, 2006

小学生以上の入門学習者への英会話指導では読み書きは必要ないか?

小学生以上の入門学習者への英会話指導でテキストを使わずにリスニングとスピーキングのみ指導している英会話スクールがある。小学生以上の英会話入門者への指導ではリーディングとライティングは指導しない方が良いのであろうか?言語学的には文字を教えるかどうかということである。

オーラルでの言語習得において文字は邪魔モノなのであろうか?確かに幼い子供は外国語でもその音声を忠実に聞き取る耳を持ち、聞いた音を母国語の介在なしに忠実に再生できる。就学前の幼児への指導であれば音声オンリーの指導もありであろう。

しかし学校でも日本語の読み書きを本格的に学んでいる小学生以上であれば、英会話でも文字を積極的に教えるべきだ。今までは音声のみで理解していたことが文字を見る(読む)ことによって文字データの言語として認知されるようになる。言葉の配列や細かい音のつながりをしっかりと認知するようになる。ワッチャーネィム?と音声で認知していた表現、名前を聞かれていることは分っていたが、実はWhat is your name?という四つの単語が自然に発話されるとワッチャーネィムと聞こえることを理解する。そしてWhat'sは何?という質問であるということに気づき、yourはきみの、nameは名前のことだと気づく。What'sは何?という質問であることに気づけば、あとは芋づる式に、What's this?  What's that? の質問も理解でき、What's your mother's name? fathermotherという単語を習えば、お父さんお母さんの名前を聞かれていることが理解できる。

英語圏で暮らしていて英語を第2言語(第2生活言語)として獲得するのではなく、日本に生活していて英語をまったくの外国語として学ぶ場合において、文字を導入せずに音声のみで指導するならば、英会話習得の効率がとても悪くなる。何故ならば、音声のみで指導したことは定着せずにすぐに消えてしまうからである。確かに子供は大人と比べて外国語音の聞き取り及びその忠実な再生には優れている。しかしながら、例えば外国人講師の後につけてスムーズにリピートできた単語なりセンテンスがそのまま定着するかどうかという点に関しては心もとない。レッスン後にかなり復習しないとすぐに忘れてしまう。英語圏に暮らしていて新たに習得した単語やフレーズを日常生活の中で繰り返し聞き、自分でも実際のコミュニケーションで使う場面があるのであれば自然と定着するであろう。しかし、日常生活が日本語にどっぷりと浸かった環境で、同じことを期待することはできない。外国語として英語を学ぶ場合には、音声だけでのインプットにはかなり無理があり、それを補完する意味で文字として英語を確りと認知する必要があるのである。

大人の場合にも同じことが言える。例えば今まで学習したことのない英語以外の外国語を音声だけで学習することは困難を極める。先生やCDの後につけて言えたとしても、それを定着させるには何度も何度もその表現を言う必要があり、すぐ忘れてしまうので、忘れてしまわないうちに復習が必要である。

文字として目で見て、確りと文字を声に出して読み、更にその表現を書いてみることによってはじめて、音声だけのインプットとは比べ物にならないくらいに確実に定着するはずである。

別な例を挙げると、就学前幼児は英語圏で1~2年ほど生活し、近所の子供達と英語で遊ぶ環境を整えてあげるだけで、英語がかなりしゃべれるようになって帰ってくる。しかし日本に帰って来て、英語を話せる環境を作ってあげないと、せっかく獲得した英語を話す能力はすぐに消えてしまう。獲得も早いが喪失も早いのである。これに対して小学校以上で現地の学校で確りと文字で英語をインプットしてきた子供達は日本に帰ってから、英語を話せる環境がなくとも、CDなどで英語を聞いたり、英語の本を読んだりすることによって英語力を維持することができ、そう易々と獲得した英語力を喪失してしまうことはない。

就学したらできるだけ早い段階で文字の学習を開始すべきであり、耳だけに頼るのではなく目や口そして手でその単語や表現を体験させることが大切である。英語を目で見て理解でき、声に出して読め、更に書けるようになると、リスニングとスピーキングが飛躍的に伸びる。小学生が学校でも文字を学習して自分で日本語が読み書きできるようになって日本語の聴解力と表現力が飛躍的に伸びることと理論的にはまったく一緒である。国語つまり日本語を文字なしに音声だけで指導する場合と読み書きを指導する場合の日本語習得における効率を考えると明らかに読み書きを指導する方に軍配が上がる。

中学高校でのいわゆる学校英語、読み書き中心の指導方法が批判されるが、批判されるべきは英語を日本語に訳す教え方である。日本語に翻訳するのではなく、英語を日本語に置き換えずに、英語のまま読解または聴解する練習が必要であり、それができるようになって初めて、速読・速聴、直読直解・直聴直解の力が養われ、今流行りの表現をあえて使うならば、日本語を介在しない英語回路または英語脳ができあがる。

文で発話する際の英語文の組み立て、つまり自分で英語を発話する場合には単語は意識されるべきであり、無意味に表現を丸暗記したものだけで発話することはお勧めできない。ある表現を教えたら、その表現を使った質問に自分の言葉で答えさせたり、質問を作らせたりするクリエイティブな練習をすべきである。自分の言葉で質問に答える、自分で相手に尋ねたい質問を作る。このクリエイティブな作業なくして、自己表現としてのスピーキング力は伸びず、英語はいつまでも話せるようにならないのである。更に自分で作った英文を文字として書かせてみることは定着という観点から非常に大切である。

まとめると、小学生以上の英会話入門学習者への指導においてはスピーキングとリスニングだけに力を入れるのではなく、リーディングとライティングもバランスよく鍛え、4技能の集大成としてオーラルコミュニケーションを教えることが必要である。英語でのコミュニケーションスキルの育成、つまり英会話の上達において、4技能に磨きをかけることは遠回りのようで最短の道なのである。

PR:エース英会話では、小学生以上の英会話入門学習者へきっちりと4技能を教え、効果的に生徒の英語オーラルコミュニケーション能力を高めている。

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March 10, 2006

本当に子供は語学の天才なのか?

「幼児や子供は外国語をスポンジのよう吸収してすぐにマスターしてしまう。また英語をたくさん聞いていれば難無くそれを真似て言えるようになる。」と一般的に定説の如く信じられている。本当に子供は大人よりも外国語の習得は早いのであろうか?

確かに親の海外赴任の為に一家で英語圏に住むことになった場合、大人よりも子供の方が英会話の習得が早い。幼稚園児や小学生・中学生であれば2年位現地の幼稚園や小中学校で英語のネイティブスピーカーに囲まれて生活すればかなり上達する。発音や発話がかなりネイティブに近づき、日英バイリンガルになれる素地は十分に身につくはずだ。英語圏で生活して現地の学校に通ってall Englishの授業を1日中受けて、学習した英語を友達や日常生活で使うという英語環境に浸り切ればこれは事実であろう。つまり母国語を学ぶのと同じ環境に居れば英語をあたかも日本語と同じように吸収して身につけることができるのだ。日本語という母語が既に確立されている大人はこうは行かない。日本語が介在して英語の自然な習得を妨げてしまう。

しかしながら、日本に居て日常の会話がすべて日本語という日本語環境において英語を外国語として学習する場合、同じことが言えるのであろうか?英会話スクールや教室に通って週1回1時間足らず英語に触れることによって子供は大人よりも早く効果的に英会話をモノにすることが出来るのであろうか?私はこの問いに対しては声を大にして、「そんなことはない、学校英語で少なくとも6年間英語の授業で学んだ英文法の基礎や基本語彙を持っている大人の方が子供よりも遥かに吸収が早く英会話力が身につく」と言い切れる。つまり、日本に住んでいて日本語の環境で英語を外国語として学ぶ場合には、子供が語学の天才だとは決して言えないのである。週1回1時間足らずのネイティブのレッスンをオールイングリッシュで数年間受けて英会話がマスターできるほど英語は日本人にとって甘くはない。英語圏の人たちにとって日本語をマスターすることが非常に難しいのと同様、日本人がまったく異なる言語体系や音を持つ英語をマスターすることはとても難しいのである。同じインドヨーロッパ語族の母語を話すヨーロッパの人々が易々と英語をマスターするのとは訳が違うのである。

発音習得は別として、新しい単語を習得することや英語表現を覚えて実際の会話で応用することなどについては大人の方が遥かに早く効率的である。このことをしっかり認識していないと大変なことになる。子供は単語を覚えるのに大人の1.5倍から2倍かかるし覚えてもすぐに忘れてしまう。定着させるためには大人以上に何度も何度も繰り返し復習して定着させなければならない。英語教育の提供者はこのことをしっかりと認識すべきだ。「子供は語学の天才!早期に始めれば子供は楽に無理なく効率よく英会話を身につけることが出来ます。」と日本にある英会話スクールや英語教室が広告・宣伝で謳うことはまったく看板に偽りありである。

ところで、残念なことに公立の中学高校で教えているのはあくまでも英語である。英語を使ってのコミュニケーションを教えているわけではない。多くの英会話スクール、英語教室も英会話レッスンといいながら英語を教えている。

では英語を教えるということと英語によるコミュニケーションを教えることの違いは何かというと?

レッスンの中でどれだけ英語による実際のコミュニケーションが先生と生徒の間にあるかということだ。ホワイトボードで文法の解説をしたり表現の意味を説明したりすることはもちろんのこと、発音指導や表現のリピートも厳格にいうと英語を教えているのであり、コミュニケーションを教えているのではない。最近はリピーティングやシャドーイングなどが流行りであるが、大手英会話スクールで学んできた子供達はやたらと先生の発話をリピートしたがる。質問して答えを求めているにも拘らず、質問に答えるのではなく先生の質問を無意識にリピートしてしまう。これはクラスにおいて講師が絶えず生徒にリピートを強要することによって生じる弊害である。つまり先生と生徒の間で英語でのコミュニケーションが成立していないのである。4人以上の生徒がいる教室で指導する場合、先生が生徒1人1人と英語でのコミュニケーションを成立させることはかなり難しい。どうしても1対多のコミュニケーション、つまりクラス全体の生徒に対する英語の指導に終始してしまいがちである。その結果として先生の発話やCDのリピートが多くなる。いくら上手にリピートできるようになったとしても、実際の会話でその表現を使ってみないことには会話力は伸びないのである。リピーティングだけで会話力が伸びるのであればCDやビデオ教材で十分であり、英会話スクールはビジネスとしてまったく成り立たなくなってしまう。

CDを使って自宅で独習する場合にはリピーティングはそれなりに効果的だ。しかし、れっきとした講師が英会話を指導するレッスンにおいては、話は別だ。メカニカルなリピートをなるべく少なくして、生徒に英文を模倣させるのではなく英文を自分の力で組み立てさせる。テープやCDでのリピーティングプラクティスを講師の声でクラスにおいて実践することはまったくノンセンスだ。講師はできるだけ受講生に発話の機会を与え、自力で話すことを促すべきだ。生徒が英語で表現できなかったり間違った言い方をしたりした時にのみ講師は助け舟を出せばよい。最初から講師が模範解答を作ってそれを生徒にリピートさせ習得させようという教え方ではレッスンが単調でおもしろくないし、生徒はいつまでたっても自分の言葉で話せるようにはならない。

What's your name? My name is ... How are you? I'm fine, thank you. What do you like to do in your free time? I like to go to see the movies. など最初は1問1答でも構わない。先生と生徒の会話が成り立てばよい。1問1答がスムーズにできるようになってから、答えのバリエーションや2文3文で応えること、相手に質問し返すことなど各種コミュニケーションテクニックを身に付けていけばよい。

英会話スクールに子供を通わせている親御さん達は驚かれるであろうが、意味のあることを先生と英語でコミュニケーションするという始めの1歩を子供が踏み出せるかどうか?そこに幼児・子供の英会話マスターへの成功が隠されている。

先生と生徒の1対1のコミュニケーションを成立させる最大のレッスン形態はプライベートレッスンであり、いかに生徒に実践会話の機会を講師が与えられるかにその効果がかかっている。実践会話の場、これこそ英語の苦手な日本人が喉から手が出るほど求めているものなのだ。

PR:エース英会話では生徒と先生が英語でコミュニケーション出来ることを最大の目標としてレッスンを実践しています。

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January 09, 2006

日本人の甘えの構造と英語によるコミュニケーション

もう25年前の話しであるが、私が米国に留学して最初に一番驚いたのは大学のカフェテリアでサンドウィッチを注文した時だ。
「とてもおいしいので是非食べてみて下さい。」とオリエンテーションで勧められたのでカフェテリアに行って早速注文した。当時の日本でサンドウィッチと言えば、ハムサンド、玉子サンドや野菜サンドなど種類が決まっていて既に調理されたものがパックされたものであり、同じような物を想像していた。

しかし、サンドウィッチセクションに行って、サンドウィッチが欲しいと言うと、いきなり
1)Which would you like for bread? White, rye or whole wheat?
とパンの種類を聞かれて、戸惑ってしまった。

サンドウィッチの材料がすべて取り揃えてあり、注文に応じて特製のサンドウィッチをその場で調理してくれる仕組みだったのだ。

サンドウィッチのパンといえば、それ用に薄くスライスされ耳が除かれた白い食パンしか知らなかったので、White, rye or whole wheat?と聞かれてもrye(ライ麦パン)は聞いただけで食べたことがなく、whole wheat全粒パンにいたっては聞いたこともなかったので、取り敢えずWhite, please. と答えた。

その後も、
2)パンには何を塗りますか?(マヨネーズ、マスタード、マーガリン)
3)野菜は何を挟みますか?(レタス、オニオン、トマト、ピーマン)
4)野菜につけるドレッシングは?(バジルマヨネーズ、チリトマトソース、シーザードレッシング、ハニーマスタード、サウザンアイランド、オイル、ビネガー、ソルト、ペッパー)
5)メインに何を挟みますか?(ハム、ツナ、ターキーブレスト、エッグ、ローストチキン、ローストビーフ、ベーコン)
6)他に何かトッピングしますか?(スタンダードチーズ、チェダーチーズ、クリームチーズ、ピクルス、オリーブ)

サンドウィッチが出来上がるまで6個も質問されたのだ。ろくにパンの種類もわからなかったので、あとはしどろもどろで聞き取れた物を調理師に伝えることが精一杯だった。汗ダクで、心臓はドキドキ、足はガクガク、疲労感と自分の無知への嫌悪感から食欲は一気に失せて、食べたサンドウィッチの味は全然覚えていない。適当に注文したので美味しくなかった事だけは確かである。

「こんなにたいへんな思いをして注文するくらいなら、既に出来上がった日本のサンドウィッチの方が楽でいいや」と苦々しく思った。

これは本で読んで知ったことだが、レベルはまったく異なるが私と同じような経験を著名な心理学者の河合隼雄氏がアメリカに留学中にしたそうだ。

河合氏はサンドウィッチではなく、ある家庭で模様されたパーティで着くや否やホストから「飲物は何がいいですか?」と尋ねられたそうだ。ホストと河合氏の会話はこうだ。

「飲物は何になさいますか?ビール、ワイン、ウイスキーがあります。ソフトドリンクもいろいろ用意していますので、好きなお飲物を召し上がって下さいね。」

「ウイスキーを戴きます。」

「スコッチにしますかそれともバーボン、モルトもありますよ。」

「スコッチをお願いします。」

「水割り、ロック、ストレート、それともソーダ割りにしますか?」

「水割りにしていただけますか。」

河合氏はホストの質問にちょっとうんざりして、「そんなに丁寧に尋ねるよりも何でもいいから、ただ飲物を出してくれたほうがリラックスできて嬉しかったのに」と思ったそうだ。

有名な日本人論「甘えの構造」の著者で精神科医の土居健郎氏によると、私や河合氏がうんざりした原因は一般の日本人が国民性として持っている他人への依存(甘え)にあるそうだ。

確かに日本人の国民性も少しずつ変化してきているが、土居氏の分析は次のとおりだ。

アメリカ的なお客のもてなし方の極意は、一人ひとりのお客様の個人的な希望や欲求を出来るだけ詳しく聞いて、それを充足してあげることにある。だからこそたくさんの質問をせざるを得ないのである。

これに対して、日本的なお客様のおもてなしは、どんな食べ物や飲み物であろうと、選んだり希望を述べさせるという責任を出来るだけお客様に負担させずにホストが気遣うものである。

日本人の客として、河合氏や私はホストに気遣ってもらうこと、ちやほやされること、つまり「ホストに甘える」ということを期待してしまったのである。

相手に甘えるという行為は日本人の日常的なコミュニケーションにおいても無意識に行われている。

若い夫婦は別であろうが、日本人の典型的な熟年夫婦(夫が働き、妻が家事を担う)の会話で、

夫は帰ってくるなり、「風呂にする」と言い、着替えて風呂に入る。風呂から出るといつも通り(言わなくとも)冷えたビールが食卓に出され、ビールを飲み終わったタイミングで、(何もいわなくとも)妻がご飯を出す。更に夫が夕食をほぼ食べ終わるタイミングでお茶が出される。

これはあまりにもステレオタイプな古典的日本人夫婦であるかも知れないが、少なくとも私の父と母は上記のような日常を送っていた。

昼間、家族のために一所懸命に働いて疲れているであろう夫を妻は気遣い、帰宅する時間を見計らって風呂を焚き、季節やその日の気温に応じて夫の一番好む冷たさになるように冷蔵庫にビールを入れて、夕食の準備を整えて夫の帰宅を待つ。夫が「風呂の前に飯にする」と言われてもよいように風呂と夕食を同時に準備しておくのである。

このような古典的な日本人夫婦間において、夫は完全に妻に「甘えて」いる。「風呂を沸かしてくれ」「ビールを出してくれ」「ご飯をよそって持ってきてくれ」「お茶を注いでくれ」などと一切言わなくとも、妻が夫の欲求を察して充足してくれる。

何も言わなくとも自分の欲求を相手が察して何でもやってくれるのだ。言葉に出して言わなくとも自分の真意を相手が察して理解してくれる。これが日本人の「甘え」なのであろう。

「甘える」と聞くと、子供が親に甘えることを想像する人が多いと思うが、子供が母親に甘えて何でも、言わなくても母親が自分の世話を焼いてくれる心理と、上記のように大人が他の大人に対して「甘える」という心理は限りなく近いものだと私は思っている。それだからこそ、土居健郎氏は「日本人の甘えの構造」とあえて「甘え」という表現を使ったのであろうことは想像に難くない。

私には今年8歳になる娘と10歳になる息子がいるので、子供達と母親の関係を観察してきた。子供が母親に「甘え」ている間は親は子供の面倒をせっせとみるが、ある時期が来てもっと自立してほしいと思えば、いままでやってあげていたことを敢えてやらずに子供に自分でやることを促す。最初、子供達は母親に甘えて自分で出来る事も母親に「やってやって」とせがむが、自分でできることを母親がもうやってくれないと自覚すると自分でやるしかないので自分でやるようになる。そうこうしているうちに子供達は母親から心理的にも行動的にも徐々に自立してゆく。そのうち、母親が自分のために用意した洋服が気に入らなければ自分で気に入った服をタンスから引っ張り出してきたり、出された食事で自分が食べたいものだけ食べて、食べたくないものは残すし、自分が食べたいものが冷蔵庫に入っていることを知っていれば自分で取り出してそれを食べるようになる。

ある意味、お互いに相手の気持ちを察して大人がお互いに甘えあえる日本社会は素晴らしいと思う。しかし、外国人に日本人と同じように甘えられると考えるのはよくないことだ。

米国人女性と結婚した日本人の夫に対して「夫は自分を愛していると思って結婚したにもかかわらず、夫は自分のことを愛しているといってくれないので確信がもてなくなった」という不満で心理カウンセリングを受けたという話しはよくあることだ。夫の言い分として、「自分は妻のことは心から愛しているが、それを言葉でどう表現してよいのかわからないし、結婚した後も愛しているよと口に出して言うことは照れくさいしあまりしたくない。愛していることは口に出さなくとも普段の行動から十分に妻に伝わっているはずだと思っていた。」と言うはずである。

これも、「言葉に出さずとも自分の気持ちを相手が察してくれてしかるべきだ」という、妻に対する夫の一種の「甘え」と解釈することができよう。

再び私の留学中の経験だが、私は日本人留学生としてシアトルの米国人家庭にホームスティしていたことがある。ある日、隣人のお客さん(弁護士)の男性をディナーに招いて家族と一緒に食事をしていた。ホストファーザーが私をその人に「日本人からの留学生だ」と紹介してくれたので、
Nice to meet you. My name is Toshikazu Ichimura. I come from Tokyo and I'm majoring in linguistics at Seattle University.
と自己紹介すると、その人はいきなり、
Oh, really? What kind of linguistics do you study? What made you decide to study linguistics at Seattle University? What is a major issue in Japan? Cars? (日本では今何が問題になっているのですか?自動車ですか?)などと立て続けに質問してきた。私は質問に上手く答えられずに赤面してしまったことを憶えている。特に最後の質問には、Yes, probably.(はい。多分そう思います。)としか答えられなかった。当時は日米間で自動車の輸出に関して激しい貿易摩擦が起こっていた最中だったので、日本人としての私の意見を聞きたかったのであろう。
「初対面なのだからもう少し簡単に答えられる質問をしてくれてもいいのに」と自分の不甲斐なさを棚に上げて心の中で叫んでいた。少なくとも私に対して興味を示し、いろいろと質問してくれたにもかかわらずである。

パーティなどで初めて会った英語圏の人との英語でのコミュニケーションの中でこのようにいろいろと質問されて上手く答えられずにちょっとうんざりした経験をお持ちの読者も少なくないと思う。特に日本人は自分の意見や出張をハッキリとダイレクトに、しかし攻撃的でない方法で述べることが苦手とされている。私は学生時代に英語ディベートを散々やったので、どうも自分の主張を述べるときに攻撃的になってしまう。

以上述べてきたように、時として日本人の国民性、日本式コミュニケーション方法が英語によるコミュニケーションの障害物となり得る。

特に、相手に言わなくてもわかって欲しいという「察しの文化」に根ざした「甘え」や、「遠慮」「控えめ」を美徳として自己表現をしないことは、英語でのコミュニケーションにおいては何の役にも立たない。

英語でのコミュニケーションにおいては、逆に自分の好き嫌いをはっきりさせて、自分の希望や欲求をきちんと表現し、自分の意見や主張を明確にしたほうが上手く行く。

私がこの記事で主張しているのは、「英語圏の意思疎通文化の方が日本のそれよりも優れているので、皆さん見習いましょう。」ということでは決してない。
英語でのコミュニケーションの時には英語文化の意思疎通方法を取った方がよりスムーズなコミュニケーションが可能だということだ。

話しをしている相手や場面状況に応じて、話し方を変えたり言葉を選んだり、どこまで踏み込んで自分の意見を主張するかなど、上手な使い分けが出来れば良いのである。

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January 01, 2006

アニメ映画「あらしのよるに」で英会話を学ぶ意義を考える

アニメ「あらしのよるに」を小学生の子供と見てきた。絵本作家、木村祐一氏のロングセラーの絵本が原作で、TBSテレビの「テレビ絵本」が好評を博して、ついにアニメ映画で公開された。子供の絵本が原作なので常識を超えたファンタジーである。人間で言えば10代の若者であろう山羊の「メイ」と狼の「ガブ」が嵐の夜に暗闇の山小屋で出会い、自分たちの群れ(狼=食うもの、羊=食われるもの)を裏切ってまでその友情を貫き通そうとする。

私は何故「狼」と「羊」という敵対関係がある物たちが友情で結ばれるに至ったかに興味があった。英語教育のブログを書いている私の解釈はこうだ。明るい昼間に2匹が出会っていたならば、言葉を交わす前に間違いなく羊は狼の餌食となっていたであろう。しかし2匹は相手の姿かたちが見えない暗闇で出合って、(子供の絵本なので日本語で)言葉を交わした。激しい雨に打たれ恐ろしい雷を逃れて辿りついた小屋で同じ境遇のものに会えば、ちょっと安心して心を許して会話するはずである。しかも気が合えば話しは弾む。話しが弾めば友情だって芽生えるかもしれない。お互いに相手が誰であるかがわからなくとも、究極それが敵味方であろうとも共通言語でのコミュニケーションの力は絶大である。所詮は子供の絵本のファンタジーで、現実にそんなことはあり得ないと思われる人も多いかと思うが、最初の出会いの場面で私は別な映画の1シーンを思い出した。

実在のピアニスト、シュピルマンの実体験を綴った回想録を基に、戦火を奇跡的に生き延びたピアニストとその生還に関わった人々の姿を描いた映画「戦場のピアニスト」(自身もゲットーで過ごした過酷な体験を持つロマン・ポランスキー監督作品)である。収容所を脱走した主人公のユダヤ人ピアニストが戦火の中逃惑い、終戦間近のある夜に逃げ込んだ空家でドイツ人将校と鉢合せしてしまう。ドイツ人将校は即刻銃殺することもできたが、将校はユダヤ人にいくつか質問し、シュピルマンがプロのピアニストであったことを聞き出す。そして将校はユダヤ人にその家にたまたまあったピアノを弾かせた。その演奏にとても感動したドイツ人将校はシュピルマンを匿う、しかも十分な食料と自分のコートまで与える。感動的なピアノ演奏という強烈な要因があったが2人の間に友情が芽生えたことは間違いなさそうである。もしも2人にドイツ語という共通言語が存在しなければシュピルマンはピアニストであることを打ち明ける前に銃殺されていたかもしれない。

上記2つの例は類い稀なケースであるが、一般論として異文化および異境遇な人間の間にコミュニケーションできるだけの共通言語が存在すればお互いのことを理解し合え、気が合いさえすれば友好関係を築くことができるのではあるまいか。

先日、コソボ紛争におけるセルビア系住民に対するアルバニア系住民の迫害の過去を乗り越えて個人レベルで友情関係を育んでいる人々がいることをテレビのドキュメンタリーで見た。やはり友好関係の第一歩は言葉による対話であった。

日本の歴史教科書問題、小泉首相の靖国参拝、領土問題でギクシャクした関係が続いている日中、日韓関係。反日運動のニュースをテレビや新聞で見聞きしてとても残念に思っているのは私だけではなかろう。

私には個人的に中国人と韓国人の友人が数名いるが、英語以外の外国語ができないので、いつも英語で意思疎通している。彼らとは少なくとも英語を媒介として、個人レベルではあるが相互理解し、交友関係を維持できている。

英語をコミュニケーションの道具として学ぶ意義のひとつは、まさに異文化間での相互理解と交友関係にあると、子供と「あらしのよるに」を見て強く感じた。

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December 18, 2005

英語圏の社会的な話し方のルール

日本人が英語をもっと上手に話せるようになるためには、次の3点を実践する必要があると前の記事に書きました。

1)「日本語的な発想で考えた日本語を英語に置き換える」ということをやめる。

2)「英語的な発想で考えて、英語の語順で表現する」という訓練をする。

3)「英語での話し方の社会的なルール」に則って実践会話練習をする。

だいぶ間が空いてしまいましたが今回の記事ではこの3番目のポイント、「英語圏の社会的な話し方のルール」について書きます。

英語圏の社会的な話し方のルールを知っていると、よりスムーズな英語でのコミュニケーションが可能になります。

例えばアメリカ人の知り合いに、 
 
Your English is very good.

と自分の英語を褒められたら、あなたは何と答えますか?

思わず謙遜して、

No, no, my English is not good yet.

と答えませんか?

日本語では普通の返答ですが英語では謙遜せずに素直に褒めてくれたことに対して、Thank you. とお礼を言うのが一般的な返答の仕方です。日本人は相手に褒められてそれをそのまま受け入れるというよりも、謙遜することを美徳と考えています。

同窓会などにとびっきりおしゃれして出かけて、「素敵なスーツね。お似合いだわ。」などと褒められても、「ありがとう」とは応じずに、「あらそうかしら、これ古いんですよ」などと必ずと言っていいほど謙遜します。

これを外国人との英語での会話でそのまま言ったらどうでしょう?
  
 A: You look really nice in your suit!
 B: Oh, really? This is actually very old.
 A: ???

せっかく相手の良いところを褒めたのに、賛辞を素直に受け入れないなんて変な人だなと誤解されてしまうかも知れません。またそう返答された外国人は何と言ったらよいか閉口してしまうかも知れません。

「謙遜の美徳」という文化的な価値観は日本人特有のもので、英語圏の「社会的な話し方のルール」にはそぐわないものだと思います。

別な例を挙げます。

お客様を「夕食などに」招待してお迎えする時、米国では
 
「さあ、お入りください。ワインもスコッチもビールもありますし、お料理もたくさん用意しておりますのよ。どうぞくつろいで、ご自由にお取り下さいね。」

などとたくさん飲物や料理を用意していることを強調します。
 
これに対して日本人は謙遜して、

「何もございませんが、どうぞ」などと言う事が普通でしょう。

外国人をお客様で迎えるときにそのまま英語で、

 We have nothing to serve you at home.
 But please come in.

と言ったら、お客様はちょっと気分を害してしまうかも知れません。

このように「褒める」「歓迎する」「謝る」「断る」「依頼する」など様々な言語行動(発話行為)についてそれぞれの文化で独自の「社会的な話し方のルール」があります。
 
使用言語の文化において文化的に異なる言語行動をしてしまうと「相手に誤解」されたり、それがその文化で良くないものであれば、「相手に不快」な思いをさせてしまったりする危険があります。ですから、外国人とその人の言語で話をする時に、相手の文化に対して
基本的なことは必ず押さえ、その文化での社会的な話し方のルールに則って発言すべきでしょう。

私たち日本人が英語で英語圏の人たちと会話する場合、英語圏での社会的な話し方のルールに従って英語で会話すべきだということです。逆の立場で、日本人と外国人の人たちが日本語で会話をする場合には、日本文化の持つ社会的な話し方のルールに従って日本語で会話すべきでしょう。

皆さんよくご存知のように、言語と文化(その言語を話す人々の生活習慣や考え方など)が密接に関連しているからです。英語圏の社会的な話し方のルールに則って発話すれば、自然に英語的な発想で英語が話せるはずです。つまり英語圏の文化が持つ社会的な話し方のルールを確りと学んでから会話をすると、よりスムーズな英語でのコミュニケーションが可能になるということです。

別の見方をすると、英語圏の文化が持つ社会的な話し方のルールに則って英語を発話することを心がければ、自然に英語的な発想で英語を話すことになるのです。

 
ここで問題です。
 
英語圏の先生に何か贈り物を手渡すときに、日本語では「つまらないものですが」と言葉を添えるのが一般的ですが、英語では何と言ったら良いでしょうか?

皆さんは、日本語を英語にそのまま置換えて、This is a trivial thing. などとはもう言わないはずです。

ヒントは、

「つまらないものですが」に隠されている言外の真意を考えて下さい。

日本語は「察し」の言語だとも言われています。最後まで言わなくても相手に自分の真意を察して欲しいのです。「つまらないものですが、お気に召せば幸いです。」というニュアンスが言外に含まれているのです。

英語でのコミュニケーションで言葉を最後まで言わずに相手に自分の真意を察してもらうことを期待することはできません。逆に自分の真意をストレートに言わないと相手には伝わりません。

ですから英語では、I hope you'll like it. と言葉を添えるのが適切です。

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November 27, 2005

これからの英語学習は「対話型」を目指さなければならない!

私は以前ブログでTOEICの点数をアップするという「受信型」英語学習はもう古い、これからは「発信型」英語学習だと書いたが、発信型英語学習という考えでもIPコミュニケーション社会には十分に適応できないことに気づいた。

TOEICが登場する前から学校英語は、「中学校から大学卒業まで10年間も英語を学習するにもかかわらず日本人は英語が話せるようにならない。」という決まり文句的な批判を浴びていた。そこで登場したのがTOEICである。大学受験に代表される受験英語から学習者を解放しビジネスの場面で真に使える英語力を測定するという触込みでTOEICはスタートした。しかしながらTOEICの約20年間の歴史を振り返ってみると、確かに内容的には現在はネイティブスピーカーでも使わないような表現や重箱の隅を箸でつつく様な細々とした文法ルールを問う問題は改善されたが、大学入試のための英語受験勉強とTOEICの点数を上げるだけのためのTOEIC対策学習は50100歩であるといわざるを得ない。

なぜか?

大学の受験勉強は長年読解のための英文法、長文読解というリーディング力(実は英語を如何に日本語に訳すかという翻訳能力または日本語に訳した上で内容を理解するという訳読力)に尽きる。明治の開国から第二次世界大戦終結までの、欧米の技術や最先端知識に追いつき追い越せという時代であれば、その技術なり知識を英文で書かれた書物で読解する必要性が高く、音声での情報収集は考えられない時代であったのであるから、英語学習の主たる目的が英文の読解能力の育成であったとしても、それは当然といえば当然である。

しかし時代とともに我々が必要とされる英語力は姿を変える。最近になって大学入試でリスニング力が問われるようになり、益々TOEICの大学入試との差別化が難しくなってきた。大学入試の問題も以前と比べると遥かに実用的なものになってきたが、もはやリーディングとリスニングを問うテスティングは時代遅れである。

しかしながら、「これからは自分から情報を発信しなければならない。つまりライティングとスピーキングの時代だ。」と声高に叫んだとしても、その考えはインターネットが普及する前までの考え方かも知れない。ビジネスの場面で、ビジネスレターを郵送したりテレックスで送信するという方法で情報提供したり、自社の製品や商品の優れた点をプレゼンテーションで発表するという一方向性の情報提供の時代はインターネットの普及と共に終焉した。今時、国際郵便でレターのやり取りをして商売をしている会社は存続していないはずだ。情報をレターという文字情報にして伝達する方法およびスピーチやプレゼンテーションという音声情報伝達手段で、原稿を予め用意し十分にリハーサルを踏んだ上で発表する準備された発表方法(Prepared Speech or Presentation)という形式のライティング・スピーキング、それらを象徴する一方向性の「発信型」情報伝達のための英語教育・英語学習だけでは事足りなくなってきた。

私が主宰している英会話スクールの社会人の生徒さんで英会話レベルは決して高くない人でも海外での学会や海外出張で英語でのスピーチやプレゼンテーションを行っている人は少なくない。予めスピーチやプレゼンテーションの原稿をネイティブ講師に手伝ってもらって作成、発音や声の出し方などネイティブ講師について十分に発表練習をすればそれなりのスピーチやプレゼンテーションはできる。しかし、そんな方々の共通の課題はまず発表後の質疑応答だ。スピーチやプレゼン直後のQ&Aセッションであれば予想の範囲内の質問を講師に作成してもらい答え方も予め用意して練習しておけば何とか切り抜けられるようだ。しかし彼らが本当に困るのはセッション後のパーティや食事会におけるいわゆる自由な場面での「対話」だそうだ。どんな質問が出るかはその場の雰囲気であり、どんな人と会話をするかによって話題も変わる。特にビジネスパーソンで接待する側であれば尚更である。硬い話題ばかりではないので、様々な話題に適応して英語で相手との会話を進めなければならない。

英会話力初級の人でも英語で準備したものをモノローグというかたちで「発信」することは可能であるが、何が話題として飛び出すかわからない自由な会話場面でのダイアログ、つまり「対話」には適応できないのである。「対話」においては、発信者としての自分の情報伝達が完了したとたんに、相手から質問や情報が提供され、それに即反応しなければならないからだ。情報伝達の「発信」準備時間が限りなくゼロに近づいている。

情報伝達における一方向性からの進化型は双方向性である。対面式の「対話」のみならず文字情報でのコミュニケーションにおいても「発信」準備時間が短くなってきた。電子メールにより外国とのやり取りでさえ相手がオンラインであれば瞬時に自分のメッセージが相手に届く、急いでいる場合には送信して5分も経たないうちに相手から返信が届いてそれに対してまた応答するという双方向での「対話」に近いかたちの文字情報コミュニケーションが可能になったのである。

また「高価な国際電話」という表現はすでに死語となった。最近の若い人はKDDが国際電信電話の略で、国際電話をかけるときには国際電話交換士を経由して3分数千円という高価な国際電話料金をKDDに支払わなければ海外の人と電話で話せなかったことを知らないだろう。IP電話・スカイプ・メッセンジャーなどインターネット網を使った双方向音声伝達ツールの普及により国際的な音声コミュニケーションの敷居は格段に低くなった。

もう、一方通行の情報発信のための「発信型」英語教育・学習の時代はすでに終わったのだ。これからはIP通信という時間的なロスのない双方向でのコミュニケーションの時代である。「発信型」ではなく「対話型」である。「発信型」が目指しているものはいかに自分の情報を「正確にわかりやすく、適切に」相手に提供し、それを受けた相手がその情報を読んだり聞いたりして理解、説得されるということが問題とされる。しかしながらこのような情報提供は一方向のモノローグである。これからは「対話」つまり即興性が要求される。自分が情報発信したらすぐに相手から返事が来る。すぐに返信してきた相手は、それに対するできるだけ早いリスポンスをこちら側にも求めるものである。国際的なコミュニケーションにおいて「即興性」が益々その重要度を高める。

前述のとおり「対話」とは対面での会話に代表される口頭でのコミュニケーション能力である。モノローグに対するダイアログである。「発信型」ではいかに効果的に自分の思いを表現して相手に伝えるか、その必要十分条件として「正確さ」と「適切さ」を追求してきた。「発信」と「対話」との相違はモノローグとダイアログとの違いである。

スピーチと会話との対比でもう少しわかり易く説明しよう。

スピーチでは聴衆に伝えたい自分の思いをまず文章にして、それから言葉として発する。自分が意図する意味が誤解されないように「正確に」「適切に」表現するように内容を吟味し十分な発表練習をしてからスピーチに臨む。意味の流れは直線的である。発表者(speaker)から聴衆(audience)へメッセージが言葉として伝達され聴衆がスピーチの意味を理解する。多くの場合、スピーチの原稿は予め作られ、言うべき英文は出来上がっておりそれを読み上げるか暗記したものを発表するので、発表の途中で修正を加えることは稀である。

これに対して会話においては相手との共同作業で意味を作り出す。意味の流れは双方向である。テニスの如く言葉のボールが行ったり来たりする。相手が打ってきたボールによって自分のショットも変わってくる。つまり相手と言葉を交わしながら話しが展開され、相手の言葉を聴きながらお互いが意味の調整を行い会話が進んで行く。自分の意図が相手に上手く伝わっていないようであれば言葉を付け加えたり言い方を変えたりする。発話を途中で放棄したり前言を取り消したりすることもある。これを会話における話者の「情報修正」という。場合によっては、自分が上手く表現できなかったことを相手が手助けしてくれて初めて意味が通ることもある。

また会話においては相手が自分の発話を待っているので即興性が要求される。一般的には日本語でのコミュニケーションよりも英語でのコミュニケーションにおいての方がリスナーはせっかちである。英語での会話において、自分の発話にポーズが空くとすぐに相手が話し始めてしまう。何も言わずにポーズを空けるのではなく、let me see, you know, I meanなど「自分は今次に言うことを考えているのですよ」という言葉のシグナルを発すると、言いたいことがすぐに出てこない時に間を繋ぐことができる。

英語圏の人々と対等に英語で会話をするためにはモノローグとしての「英語発信力」だけでは不十分だ。会話をする時には日本語でもしているように相手に繰り返しや説明を求めたり、誤解を解いたり、理解を確認したりするという会話の流れの調整が必要だ。これができないと自然な会話の流れの中で相手と共同でお互いの意図を交換しあうことができない。つまり英語での会話において話し相手と協同でお互いの意思を尊重しながら相互理解をするためには英語特有のコミュニケーションストラテジーを身につけないといけないということだ。(英語特有のコミュニケーションストラテジーについては別な機会にもう少し詳しく述べてみたい。)

「受信型」→「発信型」→「対話型」と英語教育・学習の目標はコミュニケーションメディアの進歩に伴って進化し続けている。

今回のブログは少し硬い文章となってしまったがこれはビジネスの世界だけの話ではない。今流行の「右脳学習法」「音読」「リピーティング」などでモノローグとしての「発信型」英語力は鍛えることはできるかもしれない。しかし上記の「対話型」英語コミュニケーション力はネイティブとの実践的なコミュニケーションの場で鍛えて行くのが最も効率が良いだろう。疑う余地はもはやない。

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November 03, 2005

ビンバンブン経営者へ物申す: 英会話教育と会社経営

ご存知の方々も多いと思うが、英会話家庭教師派遣業の最大手のビンバンブンが倒産した。

2日の毎日新聞記事を引用する。

家庭教師派遣会社:破たん、受講料8億余円は返済不能に
英会話の家庭教師を派遣する「ビンバンブンクラブ」を全国展開する「オーブエデュケーションシステム」(さいたま市大宮区)と「エデュケアシステム」(東京都新宿区)が東京地裁に自己破産を申し立てたことが分かった。同社の派遣事業は28日に終了し、東京地裁が翌日、破産手続きの開始決定を出した。受講者は全国で約2万6000人に上り、返済不能な前払い受講料は2社で約8億4000万円の見込み。同社は会員らに受講料返還は不可能とする通知をしており、受講者の間で「被害者の会」を結成する動きも出ている。2社の負債総額は約48億円の見通し。両社は「脳内革命」などを出版した「サンマーク出版」を含む企業グループを運営するSMG(東京都新宿区)の系列会社。毎日新聞 11月2日

また、同日の朝日新聞の記事によると講師に対しても未払いの賃金が1億1千万円もあるそうだ。

同業の経営者として同社に対して強い憤りを感じる。
社会的な責務の一端を担う会社は当然未受講分前払い受講料を返還すべきだ。講師に対しても賃金の未払いは許しがたい行為である。破産した子会社ができないのであれば親会社のSMGがすべての責任を果たすべきだ。

受講料3年分35万円を一括払いというのも度を越している。一括で払えない人へは信販会社にローンを組ませていたようだ。

ビンバンブンに関してはここ数年ネット上で教務のいい加減さに関して苦情が絶えなかったようだ。ビンバンブンに勤務していたという講師の方から担当していた生徒さんに紹介したいと弊社のパンフレット請求で直接連絡をもらったが、講師に対しても事前に何の通達もなく、倒産の件は外部メディアで知ったという。講師に対する研修もサポートも殆どなかったようだ。

関係者によると「中途退会者が新規入会者を上回り、受講料返還経費などがかさんだ。」ということだ。教務運営がずさんであれば中途退会者が増えるのは当たり前である。

教育産業における会社組織はビジネスだが、利益一辺倒では決して成功しない。

今回の倒産劇で思い出したのはECC外語学院の創始者、故山口勇氏の次のような言葉である。私は新卒で20年以上前にECCに就職したが、山口氏の新入社員への訓示で、

「英会話スクールにおいて一番大切なことは、営業と教務のバランスだ。絶えず経営者は50%-50%のバランスを考えないといけない。これは経営者だけではなく社員も講師もこれを絶えず念頭において仕事をしないといけない。営業が教務よりも重んじられると生徒は逃げていく。しかし教務にばかり一生懸命で営業を軽んじると会社としての経営が成り立たなくなる。50-50が理想だ。1%であれ、どちらかに傾いてはスクールの発展はない。」

山口氏はゼロからECCを立ち上げ、現在もECCはビジネスでも英語教育でも成功を収めている。

私たちエース英会話スクールも襟を正してスクール運営と教務のバランスを保たねばと強く感じた。

PR: エース英会話スクールでは、長年英会話の業界に携わってきた経営幹部が、運営と教務のバランスを理想的な50-50にすべく最善を尽くし一般家庭へ英会話家庭教師を派遣しています。

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October 23, 2005

この英会話学習方法で日本人は英語が話せるようになる

前回の続きで、なぜ日本人は英会話が苦手でどうしたら英語をうまく話せるようになれるのかについて書きます。

私のメルマガ読者でも読む価値があるように途中展開を変えています。

まずは少し復習してみましょう。

1. 日本語的な発想と英語的な発想の違い

英語を上手く話せない日本人は「日本語の発想で考えた表現」を「英語」にそのまま置き換えて話そうとしてしまいます。
 
 独身のOLの会話で
 「ニューヨークで買ったネクタイをね、彼の誕生日にプレゼントするの。」

これを日本語の発想でそのまま英語で話そうとしてしまいます。

 ニューヨークで買った  bought in New York
  ネクタイ             necktie
  彼の誕生日プレゼント his birthday present

  bought necktie in New York and his birthday present.

こんな英文になってしまいます。

何となく意味は通じそうですが、完全にブロークンイングリッシュですね。

そこで! 私は

 「英語的な発想で英語を話しましょう」と提案しました。

私の提案

1)英語は必ず主語と動詞から話し始める。

上の例では、

  主語 I 

日本語では主語を省略しがちですが英語では必ず主語を言う

  動詞 give

「プレゼントする」は物をあげると発想
 
  これからあげるので → 未来 → be going to

  あげるつもりだ → I am going to give  → I'm going to give
  

2)英語は主語と動詞を言ったら、次に「一番相手に伝えたいもの」を言う。
 
I'm going to give と言ったら次は何が一番大切でしょうか?

   私はあげるつもりだ...

   聞いている人の身になりましょう。

「私はあげるつもりだ」ここまで聞いたら、当然

  誰に? 
  何を? 
  いつ?
  
が知りたいですね。これは英語でも日本語でも同じです。

 誰に? 「彼に」 独身のOLなら、
  
   私のボーイフレンド my boyfriend
      
     私の彼にあげるつもりだ → I'm going to give my boyfriend

 何を? 「ネクタイを」   → a tie

  いつ? 「彼の誕生日に」 → on his birthday

  
3)英語では一番重要なことを最初に言ってから説明を加えていくのでしたね。

ここまでで重要な事はほとんど言いました。
   
  でもそのネクタイってバーゲンで買った安物じゃなくて
  私がニューヨークに行った時に買ってきたものなのよ!

これを是非、いいたいのであれば、

   そのネクタイって?
   
    → ニューヨークで買った

    → I bought a tie in New York.

 I'm going to give my boyfriend a tie on his birthday.
      
 I bought a tie in New York.

この2つの文を関係代名詞 which で繋ぎます。

I'm going to give my boyfriend a tie on his birthday which I bought in New York.

☆これで英文が完成です。お疲れ様でした。

ちょっと堅苦しい英文ですが、初めはこんな感じで英文を組み立てていくのが一番簡単です。

英語の発想に慣れたら、もっと自然な口頭英語として、
 
I bought a tie in New York as a birthday gift for my boyfriend and I'm going to give it to him on his birthday.

などと言えるようになります。

でも、こんな英文を最初から言うことはちょっと難しいです。
 
このような英文を「リピーティング」や「音読」か何かで覚えて、それをそのまま実際の会話で使ってみようとしても上手く行きません。

あなたは独身のOLではないからです。

また独身のOLだったとしてもまったく同じ会話の状況は滅多にあり得ません。

最近は「リピーティング」「シャドーイング」「音読」「右脳学習」などで
英語の回路を頭につくろう!という英会話学習方法が幅を利かせています。
 
もちろんリスニングやリーディングの速聴や速読、スピーキングの発音やリズム・イントネーションなどの習得にはとても効果があります。

しかし自分で言いたいことを自分で組み立てて英語で表現する、皆さんがなってみたい「自分の思っていることを自由に英語で話せる」人になれるための効果的な学習方法としては役不足です。

上記学習方法をスピーキングに生かす方法として共通しているのは

「何度も繰り返し言ってみて覚えて、その一部を変えて実際の会話で応用する。」ということです。

でも、これではいつまでたっても借文から脱却できません。

 何かが足りないのです?

 私は足りないものは、

自分の持っている英語の語彙や文法知識をフル活用して自分なりの英文を創造する、クリエイティブなオーラルプラクティス(口頭練習)だと考えています。

英文と聞くと中学・高校で勉強した英語の5文型を想像する人が多いと思います。

確かに英語の文構造は5文型で成り立っています。しかしそんなに難しく考える必要はありません。

5文型の知識がない英語圏の子供たちは立派に英文で話しています。

なぜでしょう?

単純な発想がここでは必要です。

英語を習得する過程で英語圏の子供たちは英語の基本的な文構造としてSVαをまず身につけるそうです。

S は文の主語、V は動詞、そしてα は動詞に続く情報です。

SV を言ったとしても言い足りなければ何らかの情報を追加しないと文は完結しません。

SVα この基本を唯一おさえれば英文は作れます。

α に何を置くかを気にすることはありません。動詞がそれを決めてくれるからです。

例えば、次のSV の後に好きなようにα (動詞に続く情報)を英語で追加してみて下さい。(カッコ内は追加可能な情報のヒント)

1) She looked (~のように見えた)

2) Ted made (~を誰かのために作った)
 
3) Mary will give  (誰かに何かをあげる)
 
4) He cannot make (誰かを~にできない)

5) Alice put (何かをどこかに置いた)

どうですか?

上の文は第2文型から第5文型を含んでいます。

あまり文型は意識しなくても動詞の後にα(情報)を追加すると考えると案外簡単に英文がつくれます。

解答です。

1) She looked happy. 彼女は幸福そうだった。(幸福そうに見えた)

「~のように見える」という意味のlookの後には、sad, excited, well, sickなど感情や健康状態を表す情報を追加する。

2) Ted made the table for his family.

 テッドはそのテーブルを家族のために作った。

「~を作る」という意味のmakeの後には、a model airplane, a gardenやcookies, sandwiches など物や食べ物を表す情報を追加する。

3) Mary will give her father a shirt.

 メアリーは父にシャツをあげるつもりだ。

「あげる」という意味のgiveの後には、「誰に」という人を表す情報と「何を」という物を表す情報を追加する。

4) He cannot make her happy. 彼は彼女を幸せにできない。

「人を~にする」という意味のmakeの後には、「誰を」という人を表す情報と「~に」と人の感情や状態または職業(He cannot make her his secretary.)を表す情報を追加する。

5) Alice put her glasses on the piano.

 アリスはピアノの上にメガネを置いた。

「置く」という意味のputの後には「何を」という物を表す情報と「どこに」という具体的な場所を表す情報を追加する。

このように動詞の意味によってどんな情報がどんな順番で追加されるかが決まってきます。

同じ動詞のmake でも「~を作る」という意味と「人を~にする」という使役の意味の場合に次にどういう情報がどんな順番で置かれるかが違ってきます。

2)のTed made the table for his family.を

 Ted made his family the table. とは絶対に言えません。

「~を作る」という意味のmakeはその後に必ず作る「物」が直に追加され、家族という「人」が追加される場合には、「人を~にする」という使役の意味になってしまうからです。

家族をテーブルにしてしまうのは論理的に意味がおかしいですよね。

逆に4)のHe cannot make her happy. を

He cannot make happy for her. とも言えません。

makeが「~を作る」という意味になってしまうからです。

幸福を彼女のために作ることはできませんよね。

賢明な読者はここまで読んで気づいたと思いますが、英語圏の子供たちが完璧な英文を発話できるのは、

文型を学校で学んでその文型に当てはめて英文を組み立てているからではありません。

主語と動詞を言ったあとでその動詞の意味を完結するため、(意味がおかしくならないように)自然に情報を付け加えているからです。

「先に文型ありき」ではなく、「先に意味ありき」です。

もともと文法や文型は人々が使っている話し言葉や書き言葉を体系化して後からルールとしてまとめたものです。

ここが重要なポイントです。

つまり言語をその文型に当てはめて話そうとすることは、とても不自然なことだということです。

自然に英語を話すためには文型を意識せずに主語と動詞を言ったあとにその動詞の意味する情報を論理的に追加すればよいということです。

ピンと来ない人のために上の例文を使ってもう少し説明してみます。

1) 「彼女は幸福そうに見える」を表現する場合、

主語:彼女は She

動詞:見える looks (自動的に=無意識に動詞にsがつく)

情報:「どんな風に見えるのか?」を追加情報として言えばよい。

→ 幸福そうだったら happy
→ 悲しそうだったら sad
→ とても元気そうだったら very well
→ 気分が悪そうだったら sick

5) 「アリスはピアノの上にメガネを置いた」を表現する場合、

主語:アリスは Alice

動詞:置いた put (過去なのでsはつかない)

情報:「何を置いたのか?」を追加情報として言えばよい 

 誰の? → 彼女の  her
 何を? → メガネを glasses
 
She put her glasses だけでは情報は完結していないので更に追加して
 
 どこに? → ピアノの上に on the piano
 
  She put her glasses on the piano.
 
どうでしょうか?

動詞の意味を論理的に追っていけば自然と次に何を言ったら良いのかが見えてきませんか?

考えてみるとこれは当然です。

相手に伝えたいメッセージがありそれを言語にしたときに言い足りなければ言葉を続けなければなりません。

自然に英語を話すコツをもう一度繰り返します。

自然に英語を話すためには文型を意識せずに主語と動詞を言ったあとにその動詞の意味する情報を論理的にかつ自然に追加する。

皆さんが感じているように、これは確かに「言うは易く行うは難い」です。

しかしながら私は誰でも確りとした英語学習論に則って、十分に練習すれば、誰でも英語が話せるようになると信じています。
 
ここで私の言う確りとした英語学習論とは皆さんの年齢と大きく関わってきます。

皆さんが10歳未満の幼児や小学校の低学年の親御さんでお子さんのためにこのブログを読んでいるのであれば、

皆さんのお子さんはまだ言語習得臨界期前ですので、

英語をイメージとして捉え、そのまま右脳に刷り込む学習方法=英語のみによるダイレクトメッソッドや大量のリピーティングまたはシャドーイング学習によって、上記「文型を意識せずに動詞の意味する情報を無意識に追加できるようになる」可能性があります。

※詳しくは私の別なブログ記事「小学校高学年からの英語(英会話)学習」をお読み下さい。

残念ながら、読者の皆さんのほとんどは10歳以上の英語学習者でしょう。

皆さんは既に言語学習臨界期後ですので、上の子供への学習方法を行ったとしても同じような効果はあまり期待できません。

むしろ皆さんは、

英語の文法や文型を概念(言葉のルール)として理解し、右脳のイメージというよりも、論理的に左脳をフル活用して文字として英語をインプットすることが大切です。

※もちろん右脳学習と左脳学習がオーバーラップすることはありますが、主軸を誤ってしまっては効果は薄いと言わざるを得ません。
 
そこで最後に臨界期を越えた皆さんのために無理なく英文を組み立てるコツを伝授します。

英語では、主語と動詞を言ったあとに大切な情報を付け足すと前述しました。

気づかれた方も多いと思いますが、追加される情報自体は日本語と同じです。

日本語: 「アリスはピアノの上にメガネを置いた」

       置いた→ 「ピアノの上に」 「メガネを」

英語: Alice put her glasses on the piano.  

       put → 'glasses' 'on the piano'

何が違うのでしょうか?

「何を」「どこに」という相手に伝えるべき情報自体は同じなのですが、その情報をどういう順番で追加するかという「語順」です。

英語ではその付け足していく情報のことを「チャンク」と呼びます。

チャンクとは「意味のあるひとかたまり」の情報のことです。

 彼女は置いた   Alice put
 彼女のメガネを  her glasses
 ピアノの上に    on the piano

チャンク(意味のひとかたまり)をどう決めるのかについてのルールはありません。私は皆さんが英語をスムーズに話すのに一番わかり易いチャンクを提示しようと思っています。

「誰が」「する」という主語と動詞はワンセットでチャンクとします。くどいようですが、英語スピーキングでは主語と動詞が要だからです。あとは追加すべき情報をチャンクとします。

いきなり言うのはちょっと難しいと書いた上記英文を思い出してください。

I bought a tie in New York as a birthday gift for my boyfriend and I'm going to give it to him on his birthday.

チャンクでまとめてみます。

 私は買った I bought

 ネクタイを a tie

 ニューヨークで in New York

  誕生日プレゼントとして as a birthday gift

  彼のために for my boyfriend

  そして and

  私は~するつもりだ I'm going to

  彼にそれをあげる give it to him

  彼の誕生日に on his birthday

英語ではこのチャンクを文法ルール(規則)に則って組み立てて(並べて)会話をします。

どうですか?

チャンクに分解してみると自分でもこのぐらいの英文なら1から創れそうな気になってきませんか?

英文を丸ごと何回もリピートして覚えてから応用するよりも、

自分で最初から英文を組み立てられる力を養った方が、

皆さんのゴール「自分の思っていることを自由に英語で話せる」

への近道であると私は考えています。

つまり、皆さんが英語で自由に会話をするためには、

 1)英語らしいチャンクが作れるかどうか
 2)作ったチャンクを文法的に正確に組み立てられるかどうか

が大切になってきます。

チャンクを作るためには、語彙力がなければ駄目です。

また正確なチャンクの組み立てが出来るためには文法的な知識が必要になります。 

つまり、英会話が出来るようになるためには、英語表現をたくさん覚えて文法も学ばなければならないということです。

しかしこのような英語知識(語彙力+文法力)は英語を上手に話せるようになるための必要条件であったとしても必要十分条件ではありません。
 
英語の知識だけでは英会話は上達しないということです。

知識として獲得した英語力を実際の会話で使える英語運用力に変えていく十分な口頭練習が必要なのです。

次回の記事につづく。

お楽しみに!

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October 04, 2005

どうすれば日本人はもっと上手く英語で話せるようになるのか?(Part-1)

どうすれば日本人はもっと上手く英語で話せるようになるのでしょうか?

今回から3回に分けて、
なぜ日本人は英会話が苦手なのか?
どうすればもっと上手に英語で話せるようになるのか?
を論じてみます。

英会話初級者の人でもわかるように簡単に書きますので、
是非おつきあい下さい。

これから書くことは、自分で英会話が苦手だと感じている人や
自称「英会話初級者」の皆さんにとっては有益な記事でしょう。

 私のメールマガジンの読者は内容が重複していますので、
 お忙しい方は読む必要はないかもしれません。
 でも、少しアプローチを変えていますので、お時間のある方は
 復習のつもりで読んでみて下さいね。

それでは、結論から書き始めます。

日本人が英語をもっと上手に話せるようになるためには、
次の3点を実践する必要があると私は考えています。

1)「日本語的な発想で考えた日本語を英語に置き換える」ということをやめる。

2)「英語的な発想で考えて、英語の語順で表現する」という訓練をする。

3)「英語での話し方の社会的なルール」に則って実践会話練習をする。

以上の結論を皆さんに「なるほど!そうだったのか!」と思って
いただけるように、少しずつ説明していきます。

英語を上手く話せない日本人は、日本語的な発想で考えた日本語を英語に置き換えて話そうとしてしまいます。

いきなりですが、

「私の大学は関東大学です。」を英語で言ってみて下さい。

あなた: (声に出して言ってみて下さい)

スムーズに言えましたか?

それでは解答です。

日本語的発想から、

My university is Kanto University. と言ってしまいがちですが、

これでは大学の所有者になってしまいます。

英語では、I go to Kanto University. (関東大学に通っている)
と発想します。

日本語で発想すると日本語の表現に惑わされて英語で表現できなかったり、表現できても日本語的な変な英語になってしまいがちです。

いくつか例を挙げてみますので英語で何というか考えてみて下さい。

「風呂に入る」  →          enter a bath ではなく take a bath

「頭を冷やす」  →          cool one's head ではなく cool off

「計画を立てる」 →          set up a plan ではなく make a plan

「それについてどう思いますか」  

 →  How do you think about it? ではなく
                                           What do you think about it?

簡単に言うと、英語を話すときに日本語が先に浮かんでしまうと
その日本語に惑わされて上手く英語が話せないということです。

どうですか、皆さんは英語を話すときに頭の中に浮かんだ日本語を
英語に置き換えていませんか?

「英語を話すときには、英語で考えて英語で話しなさい。」
とはよく言われることです。

でも、急にそんなことを言われても、どうやっていいのか・・・
わかりませんよね?!

皆さんの声が聞こえてきます。

「日本語で発想せずに英語で考えて英語を話した方がいいことは
わかりました。では、具体的にどうやったらいいのですか?
教えて下さい。」

ある大先生は、

「日常で見たこと聞いたこと、そして思ったことや感じたことを
すべて英語で考えてみましょう。」

とアドバイスするかも知れません。

でもこれって、とっても難しいですよね。

実際の会話で英語を話すのではなく、頭の中で英語で考えたり、
ひとりでぶつぶつ英語でつぶやくなんてできるんでしょうか?

それが出来るくらいだったら、もうとっくに英語は話せるはずです。

私たち日本人の思考言語は当然、日本語です。

日本語で考えるのが普通です。

それを英語で思考しなさいというのはちょっと無理があるのでは
ないでしょうか?

そこで私のアドバイスです!!!

 英語の語順で発話すると、自然に英語の発想になる。

 英語は、「主語」+「動詞」で話し始めよう!

これだけです! 簡単そうでしょ?

英語と日本語で決定的に違うのはその語順です。

日本人にとって韓国語を学ぶのが英語よりも遥かにたやすいのは
韓国語の語順が日本語に近いからです。

そういえば、韓国の人たちも日本人に劣らずに英語が苦手でしたよね。

TOEFLの平均点では日本と韓国がビリを競い合うぐらいですから…

英語を話すときに日本語的な発想になってしまう原因の多くが、
語順にあると私は考えています。

ここで問題です。

智子さんになって、Andyさんの質問に即答してみて下さい。

Andy: Hi, Tomoko. How was your weekend? Did you go anywhere?

Tomoko: (考えないで即答して下さい)渋谷に映画を見に行った。

どうですか?スムーズに英語が出てきましたか?

 Yes, I went to Shibuya to see movies.

と即答できた人は合格です。

英語で発想して英語で答えられました。
英語の語順で答えられたからです。

Shibuyaと思わず言ってしまった人は、日本語的な発想で答えて
しまいました。

日本語の語順になってしまったからです。

日本語では省略されがちな主語を英語で意識的に立てることが、
英語的な発想の入口です。

英語 の基本的な語順は、必ず主語と動詞が目的語(補語)の前に来ます。

 ☆英語:主語+動詞+目的語(補語)
            I     have   a dog.

これに対して日本語では、主語が省略されることが多く、
目的語(補語)をいきなり最初に言ってから動詞を最後に言うことが
一般的です。

☆日本語:目的語(補語)+助詞(てにをはが)+動詞
       「犬」       「を」        「飼っている」

他の例: 英語って難しい。 家に帰る。 ピザを食べる。
      パソコンは嫌い。 クラッシックが好き。

上の例では、Shibuyaといきなり行った場所を言ってしまうと
文が作れません。

Shibuyaと言いたいところをぐっとこらえて、
主語と動詞をまず言います。

 誰が(主語)→ I

 行った(動詞)→ went(goの過去)

最初にここまで言えれば後は楽に話せます。

 渋谷へ → Shibuya

I went Shibuya.と言ってしまっても意味は通じるはずですが、
日本語の「へ」に相当する行き先(場所)を表す前置詞toをつけて、
 
 I went to Shibuya.

と言えば立派な英文の完成です。

☆次のポイントを おさえて下さい

[日本語の語順]

1)話し言葉では主語を省略することが多い。
  (私は、 あなたは、彼は、など)

2)目的語や補語を先に言う。 「犬を」

3)次に動詞が来る。 「飼っている」

[英語の語順]

1)英語では主語は命令文以外絶対に省略しない。  I

2)主語の後には必ず動詞が来る。  have

  (助動詞や副詞などの修飾語が主語と動詞の間に挿入される場合がありますが、ここでは単純化します。)

3)動詞の後には動詞を具体的に説明する目的語や補語が来る。
   a dog

 (副詞句や副詞節が来る場合が多いのですがここでは単純化します。)

少しだけ応用してみましょう♪

I went to Shibuya. が基本ですがもっと言える人は、

具体的なこと(一緒に行った人、行った目的、行った時間など)を
一つずつ言い加えていきます。

5W1Hです。

いつ? どこで? 何を? 誰に(と)? どうやって? なぜ? 

誰と → with my friends(友達と)
   I went to Shibuya with my friends

何しに→ to see movies (映画を見に)
   I went to Shibuya with my friends to see movies

時間 → in the afternoon (午後)
   I went to Shibuya with my friends to see movies in the
   afternoon.

付け加える情報の順番は多少前後しても大丈夫です。

I went to Shibuya to see movies with my friends in the afternoon.

I went to Shibuya in the afternoon to see movies with my friends.

でもOKです。

ここまでの長さになると自分には無理だと感じてしまう人がいるかも
知れません。

ご安心下さい!

ちょっと練習すれば誰でも言えるようになります。

なぜなら、

主語と動詞を先に言ってしまえば、あとは情報(目的語や補語、および副詞句や副詞節など)を付け加えていくだけですから、慣れれば簡単です。

英語的な発想で主語が言えれば、自然と英語の基本パターンが
身に付きます!

(次の記事につづく・・・)

お楽しみに!

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September 18, 2005

TOEICはもう古い?GTECの時代がもうすぐそこまで来ている!

ベネッセとベルリッツが共同開発したGTECはきっと5年後10年後にはTOEICを凌駕しているであろう。

   GTECホームページ http://www.benesse.co.jp/gtec/index.html

従来TOEICが行ってきた、「リーディング力」と「リスニング力」という英語受信能力を測定し、「ライティング力」と「スピーキング力」という英語発信能力を予測するというテスティングの手法は完全にその岐路に立たされた。

なぜならば、社員の英語での即戦力を測定するために行ってきたTOEICスコアの結果と社員の「ライティング力」と「スピーキング力」に大きな乖離があることに気づき始めたからだ。もう何年も前から気づいていたと言った方が正しいだろう。しかし企業がなぜTOEICを使い続けたのかというと、答えは単純、TOEICに変わりうる英語テストがこの世に存在しなかったからだ。この20年間、世界的な受験者の伸びに大あぐらをかき、TOEICはまったく進化してこなかった。20年前のテスト内容と現在のテスト内容にほとんど変化はない。

GTECのテストでは、実際のビジネスで通用する4技能(読む・聞く・書く・話す)を測定するそうだ。特にTOEICが予測はするが正確に測定できない「書く・話す」という英語発信能力を、受験者に実際に英文を書かせ、そして実際に英語を話させ、それをレーターと呼ばれる評価官が一人ひとりの英文を「読み」「聞いて」評価するという。

TOEICは試験会場または社内・学校などの会議室で一斉受験、マークシートに解答してコンピュータで処理している。これに対してGTECは一人ひとりがパソコンに向かいテストを受け、その結果がリアルタイムでGTEC本部のホストコンピュータに送信される仕組みだ。だからこそライティングセクションで受験者が実際に手元のパソコンで打ち込んだ英文が記録として送信され、またスピーキングセクションで受験者が実際に発話した英語音声が送信され、GTECのホストコンピュータに文書データおよび音声データとして保存される。そのデータをGTEC本部のレーターが一つひとつ評価するという仕組みだ。これはアメリカのETSTOEFLで導入したcomputer based testの手法であり、TOEICも開発・制作したETSGTECに先を越されたということである。

GTECは既に日本の一流企業(三井物産、日本オラクル、アドバンテストなど)に導入され始めており、私の予想では近い将来一般の会社にもかなり普及し、中小企業でも導入されるようになる。そうなれば企業への就職英語力判定としてGTECスコアが使われるようになった段階で大学生まで受験者層が降りてくると思われる。TOEICGTECに受験者を奪われるのを指をくわえて傍観するはずもなく、早い段階でGTECに対抗しうる英語発信能力測定のためのセクションがTOEICに追加されるはずである。

そうなれば今後益々国際的なビジネスシーンで重要視される英語発信能力を如何に正確に測定できるかがテストの良し悪しを決める決定的な判断基準となるはずである。ビジネス版での英語発信能力とは、具体的には電子メールでのやり取りで商談を交わすライティング能力、IP電話やMSメッセンジャー、スカイプなど(インターネットで接続可能な電話に近いPC音声コミュニケーションツール)を使って外国にいる相手と直接口頭英語で交渉するというスピーキング能力のことである。

このように企業が信頼する英語コミュニケーション能力評価テストが英語を「読む」「聞く」という受信能力測定から、英語を「書く」「話す」という発信能力測定に移行することは日本の英語教育にとっても非常に喜ばしいことである。

英語を「読む」「聞く」という受動的な能力のみ測定するTOEICで高得点を取れば実際のビジネスにおいて外国人の言っていることや書いていることは理解できるという証明にはなったが、残念ながら自分の考えや意見などを英語で相手に十分伝えられるという発信英語力の証明にはならなかった。TOEICで高得点を取ることに躍起になってきた大学生や会社員たちにとってはいい迷惑である。

なぜならばTOEICで高得点を取るという目的(如何に速く正確に英文を「読みこなし」、如何に正確に英語音声を「聞き取る」という受動英語能力向上のために英語学習時間を割いてきたからだ。あまりTOEICの得点に影響を与えない英語発信能力の学習に時間が割けなかったからである。つまりTOEIC受験が会社から義務付けられていたので、本当の意味で実際のビジネス場面で必要とされている英語力を伸ばすことができなかったのである。この意味において、いままでTOEIC20年という長期に渡って大あぐらをかいてきたことが、日本の英語学習者に対して少なからず悪影響を与えてきたことは誰も否めないと思う。

しかし過ぎ去ったことで悲観的になるのはもうやめよう。

英語受信能力から英語発信能力の育成へと、日本の英語教育のパラダイムが大きくシフトしようとしている。

明るい未来が私たち英語学習者を待っている。

PRエース英会話は創設以来、英語発信能力の育成に邁進している。

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September 01, 2005

学校英語を活用して話せるようになるコツ

前回のブログで学校英語では理解の指導しかしていないので話せるようにならないと書いたが、学校英語で蓄積した文法力と語彙力を鍛えあげれば必ず話せるようになる。何が足りないかというと、ズバリ自分の持っている語彙力と文法力で独自のセンテンスを組み立てて表現するというクリエイティブな練習、機会が足りないのである。

中学高校で多くの時間を英文和訳(英文読解)と文法学習に費やしているので(grammar translation method)、英語を表現するための知識はある程度身についているはずである。しかし残念ながら、学んだ知識を使って外国人との実践会話で運用できない(使えない=話せない)。知識は十分にあるが実践(実技)練習が足りないのである。

これは車の運転によく似ている、いくら交通ルールや車の構造、機能(ハンドル、クラッチ、ブレーキ、ギアチェンジなど)を知識として学んでも、それだけでは車はまともに運転できない。実技として実際に車に乗って車の操縦方法を自分の手と足を使って体に覚え込ませないと安全に走行できない。発車して真っすぐに走るだけではなくジグザグのカーブを曲がったり・バックしたり・急な坂で停まったり発進したり、車庫にバックして入れたりするためにはそれなりに時間をかけてじっくりと練習しないと出来るようにはならない。

英語もこれと全く同じだ。いくら英単語をたくさん知っていたり英文法のルールや構文の知識があったりしても、それを実際の会話やクリエイティブに自分で英文を書いてみるという技能練習(実地訓練)をしないとせっかく覚えた言語機能は使いこなせない。

天候による路面の状態や交通渋滞、歩行者や自転車という外的な要因も考慮しながら、的確な判断で車を運転しないと思わぬ事故を起こしてしまう。やはり教習所のコースでの練習後に実際に路上に出て車を運転して教習所のコースでは経験出来ないさまざまな状況に対応出来るように路上トレーニングが必要なのだ。

実際に初心者マークを外せるようになるまで高速道路を運転して問題なく車線変更をしたり、暗い夜道でも無灯火の自転車や歩行者に注意しながら運転したり1台通れる一本道で対向車とうまくすれ違う方法などまだまだ実際に車を運転して身につけなければならないことが山積している。様々な状況で経験を積んで初めて初心者マークを外して普通の標準的なドライバーになれる。

英会話においても場面状況や話し相手に応じて一定の社会的なルールに則って英語を話さないと思わぬトラブル(自分の意図が相手に正確に伝わらない、誤解を招く、相手に対して失礼なことを意に反して言ってしまうなど)を起こしてしまう。様々な状況において、いろいろな場面でいろいろな人と実際に会話することによって、初めて初級から中級の入口、準中級へとレベルアップできるのだ。

一つ例を挙げる。私はアルクに勤務していた際に、早稲田大学との遠隔PCテレビ会議システムで実験的に早稲田の学生に英会話を教え、出来るだけ学生に話させる(自分で英文を作らせる)という、創造的なレッスンをアルクの講師チームで行った。(数年に渡って実施したので、講師は延べ30人以上、生徒も300名以上だ。)学生はみるみると英語を話せるようになった(言語機能を実際の会話で運用するという、言語運用力=language proficiencyを高めることが出来た。)英文科など英語を専攻していない学生でも早稲田に入学するためにそれこそ何千時間も費やして中高6年間で学んできた語彙力や文法力・構文力が顕在化したのである。

まさに持っていた英語の知識を技能として使えるようにするための実技トレーニングを、教官が運転席の隣にすわって手取り足取り指導する自動車教習訓練のごとく1対4という少人数で生徒に自分の持っている語彙と構文力で英文を徹底的に創らせる(その場で英会話の課題や質問をして即話させる)訓練をした成果である。

今日本の英会話教育で最も必要とされているのは機械的な暗記や無味乾燥な暗誦、リピーティングではなく、自分で英文を口頭でクリエイトするという創造的な技能訓練、オーラルトレーニングである。英語をスムーズに話すコツは日本語で考えたことを英語で表現することを極力避け、英語で直接自分の考えを表現することである。

それは日本における実践的英語教育の父、故松本亨先生がその生涯をかけて主張し続けた「英語で考える」、つまり日本語を一切介在させずに自分の表現したいことを自分の持っている英語の語彙と構文力を駆使してダイレクトに英語で発想して話すことだ。

PRエース英会話では講師がマンツーマンで生徒に英語で出来るだけ多くを語らせ、自ら英文をクリエイトさせるオーラルトレーニングという教え方を実践している。

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August 17, 2005

学校英語の授業で一向に英語が話せるようにならない理由は簡単だ。

中1と中2の英語の教科書は確かにダイアログが中心で口頭英語を教える素材となってきた。(中3からは以前と同じエッセイ中心のテキストであまり進歩がないが・・・)また高校の授業でも英語オーラルコミュニケーションという教科書を使って授業を行っている。

しかし、学校英語の授業のお蔭で生徒が英語を話せるようになったという報告は耳にしたことがまったくない。何故か?

答は簡単だ。未だにGrammar Translation(文法解説と英文和訳中心の授業)を根本にした授業が行われ、教師は生徒の理解の指導に終始して、話せるようになるまでの指導が出来ていないからだ。

相当な教授法研修を受けない限り「教師は自分が教わってきた方法以外で生徒を指導することが出来ない」という定説がここに生きているのだ。英語が使えるようになるための指導が具体的にどういうものなのかはっきりと認識しそれを実践できる日本人の英語の先生が中高でどのぐらいいるかはその学習成果から明らかであろう。10%いれば良い方だと思う。中高の先生を養成している大学の教育学部や英文科・英語学科の講義において、具体的にそれがどういうものか講義し、教え子である中高教師が実際に教壇に立ったときにそれを実践できるように指導(トレーニング)できている大学講師や教授があまりにも少ないということでもある。

教科書に書かれた英文を生徒が実際の会話で使えるようするための、一つの方法は次の言語学習5段解理論を実践することだ。

第一段階 Recognition(認知=理解)

教科書に書かれた英文をまずは理解する。理想的には最初は音声での聞き取り(Listening)指導から入り、次に聞いた英文を読んで(Reading)詳しく理解する指導=英文の構文理解(Structure=Grammar)と語彙・語法解説(Vocabulary)を含む意味の指導へと進む。ここで注意しなければならないのは英文を決して日本語に一語一句正確に訳してはいけない。むしろその英文の言語機能(language functions)と正しい使い方(social linguistic aspects)を教えることが大切だ。

第二段階 Imitation(模倣)

上記で充分に理解した英文メッセージの意味を十分に念頭に置きながらCDなどのネイティブの音声を真似て言ってみる発音・音声指導である。フォニックスと音声変化のルール(音のリンクや脱落など)を上手く絡めて指導すると効果的である。

第三段階 Repetition(反復)

正確に意味を理解しネイティブに近い発音で言えるようになった英文を何度も反復して発話させ、定着をはかる。(これによって自然に英文を暗記し暗誦できるようになる。(リピーティング指導)

第四段階 Diversion(展開)

憶えた英文の一部をいろいろ変化させて、新しい英文を作る応用力を養成する。(ドリル指導)

第五段階 Selection(選択)

いろいろな場面や状況に応じて適切な英語表現を選択して実際の会話で使ってみる(実践会話)学校での指導は第一段階:理解の指導もしくは第二段階:音声指導で終わっている。しかも未だに詳細に渡る文法解説や英文和訳に授業時間のほとんどを費やしている先生方が多い。ゆえに英文は理解(訳せるが)使えるようにはならない。使えるようになるための指導(反復・展開・選択)を行っていないのであるから使えるようになるはずがないのだ。

「1クラス20人も30人も生徒がいて実践的な英会話は教えられない」という中高教師の言い訳が聞こえてくる。

しかし人数は問題ない。生徒が30人であったとしても実践的な会話は充分に教えられる。

1)全体学習 2)ペアー学習 3)個別チェック 4)全体学習 という4サイクル指導手順を踏めばクラスサイズが30名であっても十分に対応可能である。

ここでは実際に中1の英語のテキストから抜粋した次のダイアログを、第一段階:理解の指導および第二段階:発音・音声指導が終わって、第三段階のリピーティング指導(反復による定着)に入ったとして簡潔に説明する。

Situation: At a Japanese restaurant

Yumi: Do you like Japanese food, Lucy?

Lucy: Yes, I do.

Yumi: What do you like?

Lucy: I like sushi and tempura.

☆第三段階の反復による定着を4サイクルで指導する例

1)全体学習

A. Choral Reading: 講師の発話またはCDのネイティブの音声のあとに一発話ずつクラス全体に大きな声でリピートさせる。(1発話2回ずつ)

Teacher: Now, class! Read the dialog after me. Do you like Japanese food, Lucy?

Class: Do you like Japanese food, Lucy?

  最後まで続ける

B. Role Reading: 講師とクラスでダイアログの発話のやり取りをする。

Teacher: Let's do role reading. I will take the role of Lucy first. Why don't you take the role of Yumi?

Teacher: Do you like Japanese food, Lucy?

Class: Yes, I do.

Teacher: What do you like?

Class: I like sushi and tempura.

    ロールチェンジしてもう一度

2)ペアー学習

隣の人とペアーを組ませRole Readingをさせる。講師がストップと言うまで何度でも繰り返させる。頃合を見計らってロールチェンジさせる。生徒がやっている間、講師はクラスを見回って生徒一人ひとりの発音などを出来る限り矯正する。

3)個別チェック

生徒2人を指名し、その場に立たせてロールリーディングをさせる。3~4組実施。矯正する部分があれば矯正し、クラス全体にも矯正箇所をリピートさせる。

4)全体学習

 締めくくりとして、再度講師対クラスでロールリーディングを実施する。

以上でロールリーディングは終了

次にテキストを閉じさせて、講師の声またはCDのネイティブの音声のあとに一発話ずつクラス全体に大きな声でリピートさせる。上記と同じ手順でテキストを一切見させずに4サイクルでロールプレイができるように指導する。

☆次に第四段階 Diversion(展開) ドリル指導

(日本食レストランでの会話)

(中華レストランでの会話)

(イタリアンレストランでの会話)

などと設定して、

A: Do you like Italian food?

B: Yes, I do. (No, I don't.)

A: What do you like?

B: I like Pizza and spaghetti.

と応用させる。

さらに発展させ、

(スポーツの会話)

A: Do you like sports? ※1年生なのでまだ不定詞は使わない

B: Yes, I do. (No, I don't.)

A: What do you like?

B: I like soccer and tennis.

(音楽の会話)

A: Do you like music?

B: Yes, I do. (No, I don't.)

A: What do you like?

B: I like rock and popular music.

※以上を4サイクルで指導する。

☆第五段階 Selection(選択) 実践会話

主にペアーでの会話に最大限の時間を割く。

A. You are at a Chinese restaurant, Italian ...

B. Talk about music, sports, ...

などと場面やトピックを講師が指定してペアーで会話させる。

※これも4サイクルで指導する。

以上が簡単であるが4サイクルを使った指導の具体例である。

お気づきのように第三段階から第五段階まではあくまでも生徒が主役であり、講師は脇役である。講義形式なんてとんでもない!生徒は第一段階と第二段階で理解した英文を徹底的に声に出して活発に使ってみるのだ。

ここまでやれば、このダイアログにおける次の目標言語機能(target functions)は、英語でのコミュニケーションである程度使えるようになる。

何かが好きかどうか尋ねる表現 Do you like ...?

それにYesNoで答える。

さらに具体的に何が好きか尋ねる表現 What do you like?

それに具体的な名前を挙げて答える。 I like A and B.

※言語概念とその機能的なアプローチ(Notional Functional Approach については別の記事で説明したい。

私はECCで20年前に30名近くの生徒へ3年以上上記の指導方法で直接教えたことがある。さらに日本人講師を研修し、直接・間接的に5年間以上で1千人以上の生徒へ実践した。教えた英語を実践の英語コミュニケーションで使えるようになったかという観点からは、中高での学校英語授業の効果とは雲泥の差があった。当時ECCの年間受講料は20万円を越えていたがそれだけの価値は十二分にあったと確信している。(週2回、1回80分)

最後に英文和訳をいくらやっても英語が話せるようにならないどころか、むしろ英語が話せなくなる実例を挙げてこの記事を締めくくる。

今年の5月頃、NHKテレビで著名な翻訳家(有名大学の英文科で英日翻訳も教えている)がインタビューを受けていた。私はその翻訳家の回答に衝撃を受けた。翻訳家曰く、「英語は恥ずかしくなるほど話せないんですよ。海外でのパーティなどでは本当に困ってしまいます。」

1日のほとんどの時間を英文和訳に費やしているにも拘らず英語が話せないとは?!

しかしよく考えてみると、これは当然と言えば当然だ。口頭英語でのコミュニケーションにおいて英文和訳は弊害の他なにものでもない。英語を聞いたり読んだりする時に日本語を介在させることは、英文を英語で直接理解すること(直解)の大きな妨げとなる。

英文和訳を続けていると自分がいざ英語を話そうとするときに日本語が頭に浮かんでしまい、その日本語を英語に置き換えようとしてしまう。これでは英語がスムーズに話せるわけがない。右脳で浮かんだ自分の話したいメッセージ(イメージ)を日本語を介在せずに、左脳に蓄えた自分の英語のボキャブラリーと文法力でそのまま言葉にすることによって初めて英語がスムーズに話せるのだ。

PR:エース英会話スクールでは英文理解(認知)の指導に留まらず、使えるようになるまでの指導(模倣・反復・展開・選択)を実践している。

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August 11, 2005

英会話マスターにとって右脳学習と左脳学習(認知学習)はどちらが有効か?

新宿紀ノ国屋に行って一番売れている英会話学習本が右脳学習なのに驚いた。前の記事に右脳学習はオーディオリンガルに基づいていると書いたがその本を手にとってみて増々確信した。

その本は約50ある英文エッセーを暗記暗誦するというものだ。暗誦と呼ぶかわりに「つぶやき」という表現を使っていたが、同じことだ。毎日10分間CDを聞いて真似しながら(模倣)丸暗記するという単純な学習方法である。おそらく英文法を確りと理解し英文エッセーの意味を確りと理解している人は丸暗記して暗誦(最初から最後までつぶやくこと)は出来るかもしれない。しかし丸暗記に費やされる労力は並大抵なものではない。その労力にむくわれるだけ会話力が身につくとは到底思えない単純な教材である。

前の記事で右脳学習はオーディオリンガルのパターンプラクティスに似ていると書いたが、オーディオリンガルのもう一本の柱は英文を模倣し暗記暗誦することにある。模倣するとは聞いた英文を素早くオーム返しに聞いたまま再生することで意味を考えながら再生することではない。(最近はリピーティングと呼ばれる場合が多い。)まさに刺激と反応の世界である。犬が肉を見てよだれを流すとの全く同じである。これはその本の筆者の狙いとする赤ん坊や幼児が親の言うことを意味はおかまいなしに真似することである。意味を考える左脳を介在させずに音声:言語の表層構造を真似して言ってみることに過ぎないので、すらすらと暗誦できたとしても自分の言いたいことを表現できるようになるとは到底思えない。

その筆者は、「語学学習では赤ん坊のように真似して言ってみる事が一番大切だ」と書いているが、大人と赤ん坊はまったく別な学習パターンを持っており、所詮、学生(厳密には体験学習から概念学習・認知学習に移行する小学校高学年から大学生まで)や大人が、赤ん坊に戻ってその学習過程を踏襲することは不可能であるし、その真似事をしたとしても効果は高が知れている。学生や大人にはその年齢に応じたもっと効果的な学習方法があり、それを実践すべきだ。

その本の右脳学習はまさに20年以上前に英会話スクールで盛んに実践されていた暗記暗誦指導だ。私も1年間を費やして生徒にテキストを最初のページから最後のページまで暗記暗誦させていた。生徒にとっては大変な労力であった。もちろん英会話学校であるから暗記暗誦した英文を実際の会話で使えるようにドリルでパターンプラクティスを十分に行い、実践会話で使う時間ももちろんあった。暗記暗誦の後のこのようなきめ細かなフォローがあったので効果はある程度あった。しかし同じような効果は暗記暗誦をしなくても達成出来たというのが私の実感であった。

5年間ほど自分のレッスンや新人講師の研修で暗記暗誦を徹底的にやって直接的・間接的に1千人近くの生徒へ教えて私の得た結論は、「同じ1日1時間、年間何百時間を英語学習に費やすのであればもっと効率の良い学習方法に切り替えた方が遥かに賢い選択である。」ということだ。

別な観点から考えてみたい。

私は日本の大学在学中にESSという英語部に入って英語によるコミュニケーションを学んだ。ドラマ、スピーチ、ディスカッション、ディベートセクションという4つのセクションに別れて活動を行っていた。ドラマは英語で書かれた台本を暗記して演じる(暗誦)する活動=言うなれば暗記暗誦学習=右脳学習であった。ディベートはある話題について自分でスピーチを書き発表、相手の反論に対して即興英語で太刀打ちする、言うなれば実践会話の場がたくさんあったので自分の話すメッセージ内容を考えてそれを表現する=まさに左脳学習だった。どちらのほうが真の会話力が身につくかは答を言うまでもない。

暗記暗誦も良いがその労力に見合った成果は期待出来ない。闇雲に英文を模倣し暗誦するというような非効率な学習方法はお勧め出来ない。学習者はもっと利口になるべきだ。英語を実際のコミュニケーションで使うことを考えてほしい。だれでも外国人と自由に自分の思っていることを話せるようになりたいと思っているはずだ。相手に伝えたいメッセージはイメージとして右脳で生まれ、それを左脳で言葉にしなければ話せない。イメージだけから言葉は生まれない。左脳での意味の処理が不可欠である。意味を十分に意識しながら英語の言葉のルール(英文法や語法)を確りと認識して自分で表現したい英文を創れる自力を養うことが大切である。

PR:エース英会話スクールでは受講生の年齢に応じた最も効果的な英会話指導方法を実践しています。

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«英語右脳教育に物申す:英会話学習に発話スピードは重要か?